竜巻

 昨日の午後、越谷から野田にかけて竜巻が発生し、多大なる被害を与えた。屋根が吹っ飛び、窓ガラスが粉々。一瞬の出来事だ。
 そこで、夜のベトナム語のクラスで、ベトナム人講師にたずねた。「ベトナム語で竜巻は何と言いますか?」
 彼女はすかさず答えた。「ヴォイ・ゾング」。ヴォイは象の鼻、ゾングは竜、という意味だそうである。面白い組み合わせだ。竜はわかるが、象の鼻とは! 形を考えると、イメージできなくはない。ベトナムでは、象と竜は仲がいいんだなあ。いずれにせよ、両者からは、時代、歴史を超えた偉大さが感じられる。
 タイ語では、辞書を引くと、「回転する風ลมหมุน 」と書いてある。しかし、一般的には、「トーナードー」。これは英語をタイ・イングリッシュ的に、すなわち、タイグリッシュで発音したものである。

救急

 昨晩、火曜日の生徒さん達が楽しそうに勉強しているのを見届けてから、高田馬場駅へ向かい山手線に乗った。だが、私の乗った電車はすぐには動かなかった。何故ならば、私が乗った車両の真ん前のホームで男性がバタンと倒れたからである。意識がなさそうに見えた。駅員が飛んで来たが、駅長室への連絡のためであろうか、行ったり来たりしている。
 すると、私の横にいた女性がすかさず電車を降りて、彼の処置にあたり始めた。そして、近くの人に指示を出していた。タオルを出して、倒れた人の頭に置くように、と。彼女もバッグの中から小さなハンドタオルを出していた。
 いずれにせよ、私は救急にあたるその女性の勇気に驚いた。と同時に、尊敬もした。おそらく、看護師さんであろう。職業意識をしっかり持ったプロ中のプロだ。人を救うということにはいろいろなリスクが伴う。しかし、彼女は見知らぬ初老の男性を蘇生させようとして必至であった。そのような姿を目の当たりにして、とても心打たれた。

布団

太陽君が札幌に帰ってから2週間が過ぎた。彼は日本文化が大好きなので、学校では茶道部に入っているという。だから、私も新しい抹茶と茶筅を買って、彼にお茶をふるまった。おでんが食べたいと急に言い出した時は、大雨の中、びしょ濡れになっておでん専門店へ行った。
 彼が一番喜んだのは布団であった。彼のためにベッドを用意しようかと考えていたが、それは杞憂に終わった。布団が何よりも好きだということで、まるで夏用のかけ布団を抱くようにして寝ていた。
 私は太陽君のためにこまめに布団を干し、寝る時は太陽のにおいがたっぷりするようにしてあげた。すると、彼はぐっすりと眠り、朝、なかなか起きなかった。「あと5分、ください」、「あと1分」と言いながら、とても幸せそうな顔をして眠っていた。
 今はベッドの時代だが、布団は布団でいいことを太陽君から改めて考えさせられた。彼はバンコクに帰るとき、是非とも布団を買って帰ると言った。化繊のマットレスは彼は嫌いなのだ。綿がたっぷり入った布団でなければならない。しかし、布団が好きな理由は、ベッドから落ちる心配がないのもあった(笑)。

20年前の生徒さん 来訪

「タイ語初級 金曜日20:30」のクラスで勉強しておられる生徒さんが、一昨日、一人の男性を連れて来られた。その男性は泰日文化倶楽部で20年前に習っておられた生徒さんであった。
 「どうぞ、ご見学なさってください」とお声をかけると、彼は早速にも机に向かい、タイ人講師と積極的に話し始めた。タイへはよく旅行しておられるとのことで、また、仕事上、タイ人と接することが多いということで、単語が次から次に出てくる、出てくる!
 20年という歳月。彼も私も年をとったことは否めないが、気持ちはいついつまでも若い。
 あと1ヶ月もすれば、泰日文化倶楽部は創立25年を迎える。4半世紀だ。20年前の生徒さん、どうかタイ語の勉強にまたいらしてください!

新しい先生は輝くダイヤモンド

8月も今日で終わり。夏休みでタイへ帰国していた先生方も、皆さん、帰京された。9月以降、熱心にタイ語を指導してくださることと期待している。
 ところで、昨晩から、新しいタイ人講師を採用した。月曜日と金曜日を担当していただく。お名前を訳すと、「輝くダイヤモンド」。なんとすばらしいことか! ご両親が愛する娘につける名前としては最高だ。彼女の愛称は英語からとられたものであったが、日本人にとっては発音が難しい単語であった。「ですから、アンと呼んでください」と、彼女は生徒に向かって自己紹介した。
 最初の授業であったので、自由会話をしてもらった。生徒達も教科書にしばられることなく、新人講師とタイ語を楽しんでもらおうと思ったからである。そこで分かったことは、語彙力が無いという以前に、話す話題が無いということであった。
 今後の課題としては、語彙と表現をたくさん指導しながら、聴力も鍛え、生徒の気持ちをらくにさせながら、会話を楽しんでもらうように方向づけしたい。

プック先生のルークチャーイ

昨日、プック先生がお子さんを連れて、突然、教室に現れた。昨年2月、タイでの出産のため、泰日文化倶楽部をおやめになって以来、お会いしていなかったので、とても嬉しかった。
 お子さんは坊や(ルークチャーイ ลูกชาย )で、1才4ヶ月。プック先生はタイ語で育てているそうだ。人見知りをすると聞いていたので、大きな声で話しかけると怖がられるような気がして、なるべく小さな声で話しかけた。
 しかし、心配は無用であった。だんだんなれてきて、教室の中を歩き始めた。私が「走って! วิ่ง 」とタイ語で言うと、少し走った。なかなかにいい感じだ。
 プック先生の話では、これから保育所を探すそうだ。理由は、日本語も覚えてほしいからである。何よりも、ご主人のお父様、すなわち、おじいちゃんが早く孫と話したがっているので、そのためにも日本語教育が必要と感じているとのこと。

タイ旅行から帰って来た生徒達

8月は泰日文化倶楽部で勉強している生徒達の多くがタイへ武者修行に出かけた。帰国したばかりの皆さんの顔を見ていると、頭も心もまだタイに残してきている感じがする。「今度、いつ行きますか?」と尋ねると、「来月、また行きます」という方達が数人おられた。うらやましい限りである。
 私の関心は彼らのタイ語だ。皆さん、それなりに通じたようなので安心した。
 だが、一人の生徒が言った。「数字が難しいですね。ソイの11に行ってもらおうと思ったのに、タクシーの運転手は通り過ぎてしまいました。私の発音がソイの18に聞こえたようです」
 なるほど。以後、数字の発音を徹底させることにしよう。
 いずれにせよ、自分の関心が有ること、特に、ゴルフ場での会話は問題がなさそうだ。何故ならば、何回も繰り返して使っているからだである。キャディーさんとの会話が伝わってきて、なかなかに楽しそうだ。

「介入する」というタイ語

タイ人に日本語を教える際、教科書だけではつまらないので、その日の新聞も使っている。目的は、見出しの漢字を印象づけて覚えてもらうためである。
 昨日の夕刊は、「軍事介入」であった。そこで、「介入する」というタイ語をタイ人に訳そうとしたのだが、すぐに出てこなかった。我ながらいらついた。しかし、平和な生活をしていると、物騒な単語から遠ざかってしまっているのは当たり前だと、自分をなぐさめもした。
 「介入する」というタイ語は、「セェーク・セェーング แทรกแซง 」。「セェーク」は「介入する」、「「セェーング」は「割り込む」という意味だが、2つの単語を並べて使うことにより、「介入する」という意味が強まる。
 世界情勢は次第にきな臭くなってきた。悪いイメージの単語が新聞紙面に増えないことを願うのみである。

タイ語で夢を見ますか?

 昨晩、生徒さんから、「タイ語で夢を見ますか?」と聞かれたので、「見ますよ。最近はあまり見なくなりましたけれど」と答えた。
 すると、彼は言った。「僕が話すタイ語はまだ日常会話程度なので、レベル的には高くありません。しかし、夢の中に出てくるタイ人のタイ語はペラペラなんです」
 それを聞いて、非常に面白いと思った。専門的にはわからないが、彼にはタイ語を話す情景がきちんとインプットされているのであろう。したがって、彼の夢の中には映像として、タイ語の環境が再現できるのだと思われる。
 そういうことを聞くと、映像や生の音は、語学の勉強にとって重要である。さらには、語学漬けの毎日を送っていると、そのような現象が現れるのであろうと考えられる。
 少しでも早くタイ語が上手になりたい人は、タイ語漬けの毎日を送り、五感を研ぎらせながら、タイ語の語感に親しむことだ。
 

個人レッスンの効用

昨日、個人レッスンを受けておられた生徒さんが自主卒業をされた。何故ならば、9月にバンコクに赴任されるからである。わずか9回、すなわち、13.5時間だけの授業時間数であったが、生徒さんの語学センス+しっかりした予習により、大きな成果を得られた。
 そこで、個人レッスンの効用をあらためて考えてみた。勉強する日にちや時間が自由に決められる。したがって、授業料が無駄にならない。次に、先生の指導が自分自身に集中するので、他者に配慮する必要がない。気楽だ。さらには、質問したくなると、即座にできる。疑問点が、即、解決できるというわけである。
 ひるがえって考えてみると、語学の学習は個人レッスンのほうがいいかもしれない。マッサージにたとえるのは少々変かもしれないが、マッサージは一人のマッサージ師が一人の人を施術するのがふつうだ。マッサージ師が一度に数人の人の体を揉むことはできない。手厚い施術を受けた時は、爽快感がある。
 そこで、本日の結論。タイ語の指導も、個人を徹底指導すると、講師も生徒も大満足感が得られることがわかった。