私が住んでいるマンションではご近所さんからフルートの音が聞こえてくる。とてもお上手だから、練習の音は全く気にならない。先日、テレビを見ていたら、フルート教室が紹介され、20人くらいのクラスの中で、一番長く習っている方として、そのご近所さんがインタビューされていた。
親しくしているマンション仲間は、ヴァイオリンを習っている方や、防音室を造ってピアノを楽しんでいる方もおられる。3人集まれば、室内コンサートが開けそうだ。
そこへ行くと、私は音楽はからきしだめである。ましてや楽器を演奏することは無理。習ったことがないから。あっ、そうそう、琴は習ったことがあった。六段もかつては楽譜無しで弾けた。だが、それは遠い昔。
「音楽はだめです」と、がっかりした様子で言うと、「語学があるじゃないですか」と、慰めてくれる人がいた。「楽」と「学」は同じ響きだから、どちらかできれば、まあ良しとしよう。
タイのTシャツ
昨日、上智大学のキャンパスを歩いていると、タイの国旗がプリントされたTシャツを着ている学生とすれちがった。そこで、彼に声をかけてみた。「タイに行ったことがあるの?」
しかし、彼は行ったことがないと答えた。「じゃあ、おみやげにもらったものなの?」と訊くと、「自分で買いました」と答えた。
買った場所は忘れたようだが、どうやらなにげなく選んだようだ。国旗のすぐ下には、ประเทศไทย と書かれていたので、タイ文字が格好いいと思ったのかもしれない。
その後、新宿の街をぶらつくと、またしてもタイのTシャツを着ている人とすれちがった。今度はワット・プラケオの模様であった。
7月1日から、タイ人の観光ビザ(15日間)が要らなくなったので、タイ人の観光客がますます増えている。泰日文化倶楽部の生徒たちからも、電車でタイ人に会ったという話を毎日のように聞く。
そういった時は、恥ずかしがらずに思い切って話しかけてみよう。そして、習ったタイ語がどのくらい通じるのか確認し、次なるステップとしようではないか。
誤字はお互い様
授業中、パイナップル สับปะรด の話が出たので、横で座っていた太陽君にタイ語で書いてもらったところ、最後に書かれた末子音が間違っていた。そこで、ユキ君に書かせると、これまた単語の途中があやしくて、明らかに誤字であることがわかった。
タイの若者たちが正しい表記ができないのは、やはり書く訓練をしていないからであろうと思う。タイ人も書かなければ、タイ語は正しく書けなくなる一例である。
その夜、別のクラスを見ると、ホワイト・ボードに 「อารมณ์ きげん」と書いてあった。「きげん」を漢字で書くようにと言うと、生徒達は、「気嫌」と書いた。
一見、正しくは見えるが、やはり間違っている。「機嫌」と書かなくてはならない。日本の若者達のみならず、多くの日本人が漢字に弱くなりつつある。タイ語と並行して、漢字もノートにしっかりと書いていこう。
七夕 と 短冊
昨日は七夕であった。高田馬場のパチンコ店の前に笹の木が飾られ、いろいろな願い事が書かれた短冊がぶらさがっていた。どんな願い事が書かれているのかと、短冊の数枚を読んでみると、やはり、健康第一、家族の幸福、そして、仕事のことであった。
突然、そばにいた店員が、「短冊に願い事を書いてください」と言ってきた。パチンコ店もなかなか風流なことをすると思い、次のように書いた。
「タイ語を習いたい生徒さんがたくさんタイ語を習いに来てくださいますように。泰日文化倶楽部」
パチンコをしに来る人が果たして読んでくれるか否かは全く期待できなかったが、一人でも読んでくれればいいと思う。
それにしても、短冊に願い事を書くのは風流だ。ましてや、五七五や五七五七七のリズムを考えると、どこかなつかしささえ覚える。日頃から情景や思いをまとめる訓練だけは意識して、どんなに老いようとも継続させたいものである。
女性 と タイ語
「タイ語初級 木曜日13:00」のクラスは女性3名が仲良く勉強しているクラスである。先日、生徒のHさんがタイの宮廷菓子を持って来られた。サイアム・パラゴンで買って来たとのこと。みんなが、「あら、可愛い! まあ、おいしい!」と歓声を上げた。聞くところによると、Hさんはタイの食文化に関する記事を業界紙に書いておられるそうだ。
そこで、私は宮廷における女性達のお菓子づくりや、フルーツ・カービングについて、私なりの知識を紹介すると、女性の生徒達は大いに聞き入ってくださった。
泰日文化倶楽部は男性も歓迎だが、本音を言うと、女性の皆さん達にもっともっと来てほしいと思っている。日本女性の眼と心で、タイの良さを発見し、それを日本社会に活かしてもらいたいのだ。
昨日、業界紙を読んでいると、タイ人デザイナーが作った靴が日本の通販で売られているが、それが評判を呼んで、デパートでも販売されることになったという記事であった。
女性の皆さん、タイ語を学び、タイでビジネス・チャンスをゲットしませんか!
小さなカフェでの英会話
昨日は猛暑日であった。アイスクリームが食べたくてたまらなくなった。そこで、泰日文化倶楽部の近くに有る小さな小さなカフェへ行き、とうふのアイスクリームを食べてみることにした。
そのカフェでは、身体が不自由な方達が作業場で作った布製品やお菓子が驚くほど安い値段で販売されており、私は時々、立ち寄ることにしている。
昨日、私のあとに、欧米人のカップルが入って来た。旅行者であった。カフェの従業員が上手な英語で応対しているのを見て驚いた。態度が堂々としている上、大和撫子の優しさを自然に醸し出していたからである。
私もそこで彼らに話しかけてみた。英国から来たそうだ。高田馬場の住宅街に近いところで、この猛暑日に、日本女性の優しい接待を受けて、彼らはさぞかし満足したことであろう。
古本まつり
今月もまた、高田馬場駅前のビッグボックス広場で古本まつりが行なわれている。どのような本が置かれているかなあと期待して見に行ったが、興味をそそる本は無かった。
最近、そのような傾向が続いている。そこで、ふと考えた。本の出版自体が昔の本と比べて、どことなく安っぽくなっている。人々の本離れも影響している。
スマートフォーンで本を読む人が増えると、本の装丁業者の仕事も減少すること間違いなし。そして、自宅における蔵書数も減っていく。古本業者に売却されていく本もいずれは......。
素敵な装丁がなされた本は、手に取るだけで本の世界にさそわれていく。長く長く傍らにおいておきたいという本が今後も発行され、いつか将来、古本まつりに出没することがあれば、本を探す人に対して、大いなる喜びを与えることであろう。
一時帰国中の駐在員のタイ語学習
「バンコク駐在員が今、一時帰国しています。4回だけ、タイ語を教えてくれませんか?」、という要望が某社の社長から出された。その社長自身、目下、泰日文化倶楽部で個人レッスンを受けておられるが、タイ語の勉強が面白いので、社員にも勉強させたくなったようだ。
そこで、早速にも翌日から一時帰国中の駐在員が教室にやって来られた。タイに赴任して半年になるそうだが、赴任前に東京でタイ語の勉強をしてはいかなかったとのこと。
しかしながら、半年のバンコク生活において、タイ語はたくさん耳にしているようだから、とても教えやすい。声調言語であるタイ語は、目から入るよりも、耳からの学習のほうが断然いいに決まっている。
赴任前後は何かと忙しくてタイ語の勉強どころではないが、半年が経過して、タイを観る眼がしっかりしてくると、タイ語を勉強したくなるのは当然だ。一時帰国中にタイ語の特訓を受けるという例は稀有なことだが、その精神と意欲に乾杯!
米国籍の韓国人
昨晩、韓国語クラスの前期授業が終了したので、恒例の会食が行われた。今回の会食には、韓国人講師が同窓生の息子さんであるP君を連れて来られた。生徒のアジュンマ(=おばさん)9人に取り囲まれて、P君は大興奮。
P君はアメリカに生まれ、アメリカで育った韓国人であった。大人になってからソウルに行き、韓国語を勉強したそうだ。その際、並行して、日本語も勉強したので、日本語もペラペラ。それなのに、目下、東京の日本語学校で日本語をブラッシュ・アップ中。
P君は歌手であった。そこで、アジュンマ達が「歌ってください!」とお願いすると、その要望にこたえて、甘い声で歌ってくれた。ただし、英語で。
語学も歌も抜群の米国籍の韓国人男性に会うことができて、昨晩の会食は大いに盛り上がった。
太陽君 と 高田馬場
太陽君がホームステイのために東京にやって来てから早くも2週間が過ぎた。今日から泰日文化倶楽部の近くにある日本語学校でグループ・レッスンを受講する。プライベート・レッスンは生徒のボランティアのおかげでうまく進んでいるが、友達と話したいという理由で、グループ・レッスンにも参加することになった。
太陽君が面白いことを言った。「高田馬場は、歩けば歩くほど、まるでバンコクみたいだ。パッポンの雰囲気があります」
彼は日本が大好きなので、去年から来日している。タイを離れた理由は、「タイ、暑いです。僕は日本の気候が大好き。タイ、きらい」ということらしいが、要するに、タイの生活に飽きていた気配が濃厚だ。手短かに言えば、青年期の悩み、そして、両親の厳しい目から逃れるために幼い時から慣れ親しんでいた日本にやってきた。
ところが、泰日文化倶楽部がある高田馬場はどうみてもバンコクの匂いがするという。毎日のようにそう言われると、私も否定できなくなった。最近、高田馬場はアジア系の人達がものすごく増加した。歩いていると、中国語や韓国語、そして、ミャンマー語がよく聞こえてくるが、その次に耳にするのはタイ語である。