昨晩、携帯が鳴った。「Aです。先生、覚えてますか? 以前、タイ語の勉強に行っていた者です」
私は答えた。「Aさんと言われても、たくさんいらっしゃいますから、どのAさんかしら?」 彼は言った。「がたいが大きい者です」
そう言われる前に、私は彼の声で、どのAさんかがほぼ分かった。彼から体格がいいと言われた瞬間、彼の顔が鮮明に浮かび上がった。
Aさんの用件は、来年からタイで仕事をすることになりそうなので、またタイ語を勉強しなおしたいということであった。
「それでは、明日から早速、中級クラスにいらっしゃい!」と勧めると、Aさんは素直に「行きます!」と答えた。
語学の勉強をし始める時、迷いに迷う人がいるが、それでは時間のロスである。Aさんのように即断するタイプが好きだ。
それにしても、泰日文化倶楽部は、何と便利なタイ語教室であることか! 一度やめても、いつでも戻ってタイ語を勉強しなおすことができるからだ。教室の存在を守り抜くということには、いつも大変な思いをしているが、Aさんのような方が戻って来てくださるとなると、教室の存在価値は大きい。
古本屋の投げ売り
目白にある古本屋が今月下旬で閉店することになり、投げ売りを始めた。そこで、昨日、4冊の本を買った。
(1)『外国人労働者新時代』(井口泰著 ちくま新書 2001年)→ 外国人労働者が日本にどんどん増えているので、この本はとても興味深い。彼らの勢いはすごい。日本人のほうがおとなしすぎる。外国語ができれば、自分の意思を彼らに対してはっきりと言えるであろうに。
(2)『生き方の不平等』(白波瀬佐和子著 岩波新書 2010年)→ 生まれたての赤ちゃんが取り換えられた結果、60年の人生が逆転した話題が最近、ニュースになったばかりだが、教育も、家庭の財力によってどうにでもなることを知り、考えるところがあった。
(3)『脳がほぐれる言語学』(金川欣二著 ちくま新書 2007年)→ まだ読んでいないが、著者の言葉を引用すると、「言語学の応用というと、ふつう語学教育などをさすのだが、ここではもっといい加減に考えて、生きるための道具として、言語学を使おうと思う。ものの見方がきっと変わってくる(はずだ)。言葉を考えることは人間を考えることだから。」
(4)『食べていくための自由業・自営業ガイド』(本多信一著 岩波書店刊 2004年)→ 実用書である。語学教室の経営の仕方も書かれてあった。
茶色 vs 栗色 vs 砂糖色
フランス語の授業では、色の名称を習っている。初心者にとって、色の名称は、挨拶や数字の次に習う内容の一つである。テキストがカラー版だから、なかなかに興味深い。
フランス語では茶色のことをマロン色、すなわち、栗色というそうだから、発音するたびにおいしそうな栗が頭に浮かぶ。女性の髪の毛もマロン色というそうだ。そういえば、「亜麻色の髪の乙女」というが、感覚的には近いのかもしれない。
それに引き換え、タイ語では、茶色のことを砂糖色(シー・ナムターン)という。サトウキビを搾ると、たしかに茶色の液体が生じる。これまた、想像するだけで、甘い気持ちになる。
日本では茶色。たしかに茶葉を煎ると、茶色になる。香ばしい香りがいい。渋い表現だ。
秋から冬に向けて、黒色の洋服を来た人が多くなるが、茶系を選んでいる人もよく見かける。茶系は落ち着きがあって品がいいが、気をつけないと、顔が暗く映ることがある。しかし、フランス語風に、マロン色と言うと、なんだか急におしゃれになったような気分になるから、これまた不思議である。
お稲荷さん
先日の昼、鬼子母神近くの鮨屋に行くと、せっせと寿司を握っている大将に向かって、おかみさんが、「Aさんの家には届けますか? Bさんの家はどうしましょうか?」と、いちいち訊いている。手には葉書がいっぱい。すでに宛名書きが終わったようだ。今から届けるとなると年賀状ではない。もしかすると、閉店案内かもしれないと思い、おかみさんが料理を運んで来た時、おそるおそる尋ねてみた。「何の案内ですか?」
すると、鬼子母神境内にあるお稲荷さんの初午祭の通知だと答えた。「最近はお稲荷さんのお参りが少なくて。若い人は関心が無いんですよね」と、淋しそうにつけ加えた。横から、大将が割って入った。「私は講元をしているんですよ。あの稲荷は鬼子母神よりも前から、鬼子母神境内にあったんだからね。」
講元と聞いて、大将の顔をしっかりと見た。おかみさんが、「どうかお参りしてください」と言って、私にも葉書をくださった。葉書には冒頭に、こう書かれてあった。「武蔵の国雑司が谷鎮座四百八拾年 鬼子母神の地主神 開運出世武芳稲荷初午御通知」
大変なお世話をしている講元の鮨屋さんに、どうかお客がたくさん来ますように!
仕事はコツコツ、営々と
昨日、NHKの「小さな旅」で、尾道の向島が紹介された。教え子がそこに住んでいるので、興味を持って見た。瀬戸内風景は私にとって原風景だから、とりたてて珍しくもないが、番組の中で、帆に使う帆布を50年以上、夫婦で織っている工場が紹介された。ご主人は82歳、奥さんは78歳。お二人とも仕事に対してとても意欲的であった。
「朝起きると、仕事をすることが当たり前になっているので、これからも変わりません」と奥さんは言った。最近は帆布に対するニーズが増えてきているので、彼らはそのニーズにひたすら応えようとしている。
その工場に、1年前、東京の美術大学を卒業した若い女性がやって来て、ご夫婦の仕事を手伝い始めた。見学に来た時、その工場に魅せられ、移住を決意したそうだ。老婦人と若い娘。ものすごく対照的だ。だが、もしも彼女が後継者になれば、帆布を織る技術は伝承されていく。
長く仕事をしていると、仕事って、何だろうか? 何歳までやって、何歳でやめるべきか?、ということを考えるが、帆布のご夫婦を見ていると、仕事は日常生活の中にうまく入りきっている。番組では、「櫓」を造るおじさんも紹介されたが、彼も「仕事一筋人間」であった。瀬戸内のおだやかなリズムは、職人の仕事を自然に生かしているようだ。
学ぶのは、謙虚さを忘れないため
昨日も、多忙な仕事の合間を縫って、台湾青年が個人授業を受けにやって来た。吸収力は抜群でいつも感心しているが、彼の素直さがこれまた実にすばらしく、それが一体どこから来るものかと、いつも不思議でならなかったが、昨日、その理由がわかった。
「タイ語を勉強する理由は何ですか?」と、もう一度、基礎的な質問をすると、「答えるのはむずかしいです」と言った。それ以上、尋ねると嫌がられる惧れがあると思って、会話は終わった。ところが、授業が終わった時に、理由を教えてくれた。
「私は仕事でスキルを磨き、仕事がよくできるようになっていくにつれて、自分の中から謙虚さが消えて行くのを感じております。それを防ぐために、何か新しいことを始めて、初心に戻るようにしているのです」
それを聞いて、私は彼から大事なものを教わったような気がした。生徒として私の前に座っていた彼が、その瞬間、私の師となった。
新しい生徒 vs 古参の生徒
10月と11月に新しく開講した入門クラスは4クラス。「火曜日20:30」、「水曜日13:00」、「木曜日20:30」、そして、「土曜日11:00」の4クラスである。いずれのクラスも仲良く、楽しく勉強してくださっているので、勉強風景を観察しながらほっとしている。彼らの表情を見ていると、解禁されたばかりのボージョレ―・ヌーボーのように見える。初々しくて、若々しいからだ。
それに比べて、1年、2年、3年とタイ語の勉強を続けて行くと、いろいろな難しさにぶち当たるので、顔の表情から若々しさが消え、深刻そうな趣きを呈してくる。それも当然なり。勉強することで、もっと欲を出せば、目も鋭くなり、皮膚の硬さも増す。
昨晩、横浜から3年間、真面目に通って来られた女性を表彰した。彼女の学習態度にはいつも頭が下がる。級友とも仲良くし、かつ、心遣いが細やかである。かくして、彼女が所属しているクラスは和気あいあいとして、とても雰囲気がいい。このようなクラスがたくさん出来ることを望んでやまない。
スウェーデン滞在中のボン先生からメール
泰日文化倶楽部でたくさんの講座を担当しておられるボン先生が、11月8日から御主人の出張にくっついて、スウェーデンへ行かれた。生徒のみんなにはメールが届いていたようだが、昨晩、やっと私のところにも来た。文面は生徒に出したものとほぼ同じ内容であったが、私に対するメールには、長期間、授業を休んでいるので迷惑をかけていることの詫びが丁重に書かれてあった。
代講講師の手配は何とかついている。だが、その代講講師が風邪をひいたりしたものだから、さらなる代講講師を手配するのに大変な思いをしているが、ボン先生への返事には、「マイペンライ・カ。教室はうまくいってます。どうかご心配なきように」と書かざるを得なかった。
スウェーデンの料理はだいたい想像がついていたので、ボン先生がアジア食材専門店をみつけて、せっせと自炊していることは理解できた。日本で売っているアジア食材よりもスウェーデンのほうが安いのは不思議だと書いてあったが、アメリカでもそのような現象がみられたので、私には不思議ではない。日本の場合、流通コストが高い。特に、東京だとテナント料がべらぼうに高いのが起因していると思う。
いずれにせよ、ボン先生と御主人は、今日、フランスのリヨンへと向かう。リヨンには、泰日文化倶楽部でタイ語を教えていたノイ先生がおられ、タイ料理店を経営しておられる。ボン先生にはノイ先生のお店を紹介してあるので、近々、美味しいタイ料理にありつけるであろう。
タイシルクのスカーフ
昨日、フランス語の授業の後、フランス語を習っているY子さんが経営している「ダブルAパニック」へ、店主の出勤に合わせて一緒について行った。店は湯島聖堂の真ん前にあるので、御茶ノ水駅を降りた後、湯島聖堂を通り抜けて行った。孔子の大きな銅像の前を通るたびにいつも孔子の声が聞こえてくるような気がする。「漢字を勉強しなさい。書道をやりなさい」、と。
店へ行った理由は、クリスマスのプレゼント選びである。デパートで買物をするよりも、知った方のお店にお金を落とすほうがいいという考えを私は持っている。お金が<回りもの>であるならば、お互いに知った方のスキルや品物を求めたほうがいいと思う。
ところで、私のお目当てはやはりタイシルクのスカーフであった。依然に買ったチェンマイで織られた山繭(やままゆ)のシルクがすばらしかったので、それを買いに行ったが、すでに在庫は無かった。店主曰く、「最近、山繭の生産が落ちているんですよ」
ほかにもタイシルクがたくさん有ったが、古い織り方のものをわざと選んだ。何故ならば、いずれその技術がすたれて、この世から消えて行くかもしれないと惧れたからである。
HEART KNIT
日曜日に表参道を歩いた時、東京ユニオンチャーチの入口のところでニットの手作り製品が売られていた。興味を覚えて中に入って行くと、それらの製品が東日本大震災で被害に遭った女性達が編んだものであることがわかった。いずれもそれはそれは立派に編まれたもので、プロ級のものであった。私はその中からひざ掛けを買った。自分でも編めるが、寄付に参加したかったからである。
帰宅して製品についているタグをよく見てみると、大槌の女性(SYさん)が編んだということが、署名でわかった。編み目もすばらしいが、署名の漢字に品と力強さを見た。「ちゃんと前を向いて、しっかりと生きています!」という気持ちが伝わってきた。タグには次なる説明が書いてあった。
ーー日本全国、アメリカ、ヨーロッパからもご寄附頂いた毛糸を使い、3.11東日本大震災「被災地発!」の全てがハンドメイドの作品を作っています。編み物をすることによって、何もない所から一歩前に進む勇気と希望を貰いました。私達が一目一目心を込めて編み上げた作品。それが「HEART KNIT」です。
三陸の女性達がアミマーとして、毎日、明るく楽しく編んでいることをWEBで知った。ケネディ大使がアミマー達を訪問しているニュースが流れたが、ちょうど手作り作品を買ったばかりなので、情景がよくわかった。