タイシルクのスカーフ

 昨日、フランス語の授業の後、フランス語を習っているY子さんが経営している「ダブルAパニック」へ、店主の出勤に合わせて一緒について行った。店は湯島聖堂の真ん前にあるので、御茶ノ水駅を降りた後、湯島聖堂を通り抜けて行った。孔子の大きな銅像の前を通るたびにいつも孔子の声が聞こえてくるような気がする。「漢字を勉強しなさい。書道をやりなさい」、と。
 店へ行った理由は、クリスマスのプレゼント選びである。デパートで買物をするよりも、知った方のお店にお金を落とすほうがいいという考えを私は持っている。お金が<回りもの>であるならば、お互いに知った方のスキルや品物を求めたほうがいいと思う。
 ところで、私のお目当てはやはりタイシルクのスカーフであった。依然に買ったチェンマイで織られた山繭(やままゆ)のシルクがすばらしかったので、それを買いに行ったが、すでに在庫は無かった。店主曰く、「最近、山繭の生産が落ちているんですよ」
 ほかにもタイシルクがたくさん有ったが、古い織り方のものをわざと選んだ。何故ならば、いずれその技術がすたれて、この世から消えて行くかもしれないと惧れたからである。

HEART KNIT

日曜日に表参道を歩いた時、東京ユニオンチャーチの入口のところでニットの手作り製品が売られていた。興味を覚えて中に入って行くと、それらの製品が東日本大震災で被害に遭った女性達が編んだものであることがわかった。いずれもそれはそれは立派に編まれたもので、プロ級のものであった。私はその中からひざ掛けを買った。自分でも編めるが、寄付に参加したかったからである。
 帰宅して製品についているタグをよく見てみると、大槌の女性(SYさん)が編んだということが、署名でわかった。編み目もすばらしいが、署名の漢字に品と力強さを見た。「ちゃんと前を向いて、しっかりと生きています!」という気持ちが伝わってきた。タグには次なる説明が書いてあった。
 ーー日本全国、アメリカ、ヨーロッパからもご寄附頂いた毛糸を使い、3.11東日本大震災「被災地発!」の全てがハンドメイドの作品を作っています。編み物をすることによって、何もない所から一歩前に進む勇気と希望を貰いました。私達が一目一目心を込めて編み上げた作品。それが「HEART KNIT」です。
 三陸の女性達がアミマーとして、毎日、明るく楽しく編んでいることをWEBで知った。ケネディ大使がアミマー達を訪問しているニュースが流れたが、ちょうど手作り作品を買ったばかりなので、情景がよくわかった。

イタリア人は身振り手振りで話す

 イタリア語が得意で、来年からイタリアへ留学を決めている女子大学生から、昨日、面白いジョークを聞いた。内容は次の通りである。
 「あるイタリアの男が逮捕され、ぐるぐる巻きに体を縛られた。縛られた状態でずっと取調べが行われたが、その男はうんともすんとも全く答えようとしなかった。そんな状態がずっと続いた結果、ついに釈放されることになり、縄をほどくと、途端にペラペラしゃべり始めた。何故、今になってしゃべるんだと詰問すると、体が縛られていたので、手を使って話すことができなかったからであると、その男は答えたそうだ」
 この話を聞いて、私はすかさず笑ってしまった。なるほど、西洋人は身振り手振りで話すのが普通なんだということを思い知らされた。
 それに比べて、タイ語はジェスチャーを使わない。手や体でリズムを取ると、案外、声調もうまく覚えられるかもしれないが、手を振ったり、体を揺さぶったりすると、なんだか欧米人っぽくっておかしなことになる。
 いずれにせよ、声調を体に浸み込ませるには、一人でリズムを取る必要があることだけは十分に自覚しておきたいものだ。

英語教師からアーティストへ転身

昨日、西麻布のギャラリーへ出かけた。新潟在住の親友から、彼女の友人の個展を見に行ってくださいという案内を受け取っていたからである。
 会場で作品にじっと見入っていると、一人の女性が近づいて来た。親友が紹介した作家であった。いろいろ話しているうちに分かったのだが、彼女は元々は高校の英語教師であったそうだ。世界史を教えていた私の親友と教員室で隣りどおしで座っていたとのこと。
 英語教師が何故、アーティストに? 非常に興味を覚えた。英語教師を辞めたのは、ご主人のニューヨーク転勤がきっかけだったようだ。ソーホーへ作品を持ち込んだ様子を熱烈に語る様子を見ると、ニューヨークでアート魂が開眼したのだなあと、私は勝手に想像した。シカゴの美術会員になり、毎年のように出品しておられる話を聞くと、ますます彼女の熱意が伝わってきた。「私、戦前生まれなんですよ」という言葉を聞いて、「すごいなあ。負けてはいられない」と、大いなる刺激を受けた。
 「最初は油絵をやっていたのですが、今は立体のほうが面白くなって。現代は3Dの時代でしょ!」と言われると、彼女のヴァイタリティのすごさに圧倒された。語学教師でのんびりしている場合ではない。

古着屋 と ベトナム人

何も用事が無い時は、早稲田松竹映画館に飛び込むことにしている。昨日も午後から飛び込んだが、ほとんど寝てばかりであった。唯一、起きてしっかりと見たシーンといえば、昨年行ったサンフランシスコの光景だけ。
 2本立ての映画が終わって外に出ると、映画館の反対側に新しくオープンした古着屋をみつけた。中に入ると、かなりの広さが有り、ところ狭しと古着が吊り下げられていた。売っている古着はほとんどが中国製か韓国製。
 古着が発する独特の哀感を感じていると、すぐ近くで若い娘2人がそれはそれは嬉しそうに古着を物色している。まるで、デパートで新品を買うかのごとく。ベトナム人であった。おそらく留学生であろう。これから寒さに向かう折り、しっかりと冬支度をしておきたいのであろう。
 他にも中国人達がいたが、買物かごいっぱいに古着を入れて、レジで待っている。1枚¥300~¥500の洋服を、10枚くらい買うみたいだ。あまりにも安すぎるので、店主はテナント料を捻出できるのであろうかと、余計な心配をしてしまった。
 昨日の雑感=古着屋はアジアの言葉が飛び交う場所なりが

訳文はいろいろな言い方あり

 タイ語入門クラスの生徒さんの一人が、「先日、公園でタイ人に話しかけられたのですが、あわててしまって何も言えませんでした。<嫁がタイ人です>と、伝えたかったのに、嫁という言葉がわからなくて……」と、おっしゃった。
 それを聞いて、私は言った。「あら、残念。確かに、入門のテキストでは、嫁という単語は出てきませんから仕方ないですが、習った単語を並べても、同じような表現ができたと思います。たとえば、① 息子はタイ人と結婚しています。 あるいは、② 息子の奥さんはタイ人です。しかしながら、あわてると、なかなか軌道修正できないことがある。嫁という単語にとらわれると、他の表現が浮かんでこない。
 私も、この間、「慢性」という単語が思い出せず、少々あせった。かなり近い線まで思い出したのだが、あと一歩で通じない。そこで、「ずっと長く罹っている病気」というふうに言い換えて、どうにかこうにかその場は済んだが、日頃からあまり使わない医学用語に弱いことが思い知らされた。
 単語はすぐに忘れる。忘れないようにするには、毎日、少しでもいいから、単語のおさらいをすることである。タイ語の構文自体は、そんなに難しくはない。あくまでも単語力が勝負だ。

30年選手のタクシー運転手

昨日、タクシーに乗ったところ、かなり高齢の運転手さんであった。私はあれやこれや尋ねてみた。
 「都内のすべての道、おわかりですか?」 「わかります。30年、運転手をしていますから」
 「失礼ですが、今、何歳ですか?」 「61歳です」
 「あと何年、お仕事、されますか?」 「65歳を区切りにしてますが、年金だけでは遊びの金が出ません」
 「働こうと思えば、何歳までできますか?」 「会社は75歳まで雇ってくれます」
 「運転しておられて、嫌なことは?」 「家庭や会社で溜まったストレスをタクシーの中でぶちまけるので、たまったものじゃありません」
 他にもまだまだ話したが、私は彼が61歳であると知って驚いた。70歳位に見えたからである。相当に疲れているように見えた。
 「人間は、金が有る人も無い人も、皆、何らかの悩みを持ってますね」と、私がタクシーから降りる前に、彼は達観したように言った。

女優 と タイ

『安部公房とわたし』(山口果林著・講談社 2013年)を読んだ。タイ好きの彼女は朝日カルチャーセンターでタイ語を習ったことを書いてあった。その時、教えた講師は私である。発音を丁寧に矯正してあげたが、本職の台詞を覚えるよりも難しそうにみえた。
 本書の中で、彼女がタイに対する感想を述べている。描写が生き生きとしていて、すばらしいので、以下に引用させていただく。
 タイのプーケットが特に居心地が良かった。時計の針がゆっくり進む。じっとりとした暑さの中、木陰で深呼吸し、波間に漂い、情報を遮断して一瞬一瞬だけを味わう。仏教の懐の深さを、タイで感じた。消された私を、優しく受け止めてくれる。「生きているだけでもいいのだよ」
 彼女と知り合ってから、彼女の出演する劇を何度か観に行ったが、台詞と演技はいつも完璧であった。おそらくタイで充電して、英気を養ってこられたに違いない。

ウズベキスタン土産の鋏

11月16日に「第80回アジア女性のための生け花教室」を実施した。12月はクリスマスの花、もしくは、正月の花を生ける予定である。
 ところで、華道講師がウズベキスタンへ旅行されたということで、生徒の皆さんにお土産が手渡された。私は特別扱いで、「コウノトリの鋏」というものを頂いた。ウズベキスタンでは有名なお土産だそうだ。デザインが良く、とても気に行った。鋏の切る部分が長いくちばしにみたてられていて、指を入れる部分が鳥の足になっている。他の鳥ではなくて、コウノトリというのが実にめでたい。
 華道講師はよく書を読み、そして旅に出られる。ここ数年においては、タイはもちろんのこと、ミャンマー、トルコ、ニュージーランドへと出かけられた。そのたびにお土産を頂くから、ご一緒に旅行した気分にさせてもらえる。旅行をなさることで、非日常から離れ、自然の中で花の構想を練っておられるのかもしれない。花の組み合わせをお考えになられるのがすばらしい。色彩感覚に品が見られる。
 華道講師が敬愛してやまない工藤先生という大長老は、やはり抜群の色彩感覚をお持ちであられるが、お若い頃から旅をよくなさってこられたことが作品集に明記されてある。

フランス語のメール

 今日はフランス語の授業が有る日だが、フランス人講師が風邪をひいたということで、昨日、休講を決定した。その際、私は先生に英語でメールを送ったが、彼女からの返信は、フランス語+英語であった。彼女の風邪は、きっと私がうつしたものにちがいないと思い、何度も謝ると、最後に次なるメールが来た。
 Merci encore pour votre gentillesse.(Thank you again for your kindness.)
Prenez soin de vous aussi.(Take care too.)
このメッセージを電車の中で何度も読むと、フランス語の生きた表現が学べて、とてもお得な気がした。
 タイ語の生徒達の中にも、タイ人とタイ語でメール、あるいは、ラインをしている人が数人おられるが、とてもいい勉強になっていると思う。用件を短文で書く訓練をすると、タイ語で書くことが苦にならなくなる。それに、忘れた単語を思い出したり、相手からのメールの中に知らない単語や表現を見つけ、是非とも応用しようという気になればしめたものである。