毎年、年の瀬になると、どうにかこうにか作成した年賀状を持って新宿郵便局へ投函に行くのが私の年中行事になっている。昨日、山手線のホームから階段を降りると、人、人、人。西口改札口と東口改札を結ぶ広い通路はすべて頭、頭、頭。西口改札を出るのも容易ではなかった。
気のせいであろうか。今年はなんだか若者が多いような感じがした。勤めを終えた若者達が淡々と故郷へと向かっている。年寄りが少なくみえるのは時間帯のせいもあろうが、よくよく考えてみると、自分自身が年をとっているのに、それを忘れていたということだ。いずれにせよ、若者パワーが伝わってきて、都会ならではの光景であった。
人の波を逆らうようにして地下広場を歩く。すると、泰日文化倶楽部の現役の生徒さんを見つけた! すかさず声をかける。彼は格別、驚いた様子も見せず、普段通りの話し方で私に応じた。二人が立ち話をしている間にも、人の往来は渦巻のごとく続く。
高速バスの乗り場にも若者がいっぱい。臨時バスが彼らを乗せて地方へと向かう。東京からどんどん若者達が消えていく。私も今日、久しぶりに四国へ向かうことにした。
生け花 と 花瓶
12月21日に、「第81回アジア女性のための生け花クラス」が開講された。その際、例年にならい、華道講師から来年度のカレンダーが2種類、プレゼントされた。一つは小原流本部作成のもの、そして、もう一つは横浜支部作成のものであった。日本全国に支部はたくさん有るが、毎年、卓上カレンダーを発行しているのは、おそらく横浜支部だけであろう。
数年前、私は横浜支部の華展を観に行ったことがあるが、会場に入るや否や、満ち溢れる華やかさに圧倒された。これは何から来るものであろう? そして、やがてわかった。花よりも花瓶がすごい。豪華であることは勿論だが、何かが違う。また、考えた。そうだ、歴史だ。歴史の重みにほかならない。横浜支部の幹部級の方達が持っておられる花瓶は、おそらく、先祖代々のものであろう。横浜港で貿易商を営んでおられたに相違ない。最近、デパートで購入したものとは全く趣きが異なる。
生け花の場合、花が主体であり、花瓶は副。しかし、やはり、器は大切。その器に歴史の息吹が吹き込まれているならば、現在(生け花)と過去(花瓶)が見事に調和して、鑑賞する側に一瞬の緊張を与えてくれる。
雑巾
泰日文化倶楽部が年末年始の休暇に入ってからかれこれ1週間。1月7日の開講日まであと10日もあるので、入門クラスの生徒さんは、おそらくタイ語を忘れてしまうかもしれないと思うと心配だ。1日に少しでもタイ語のテキストを開いて復習をしてほしい。
最近の私は年賀状作成と掃除に明け暮れている。なるべく雑巾がけもすることにしている。その雑巾だが、よくよく見ると、もうぼろぼろだ。来年に向けて古タオルを縫って雑巾を作っておかなければ。
ところで、雑巾のことをタイ語では、「パー・キーリウ ผ้าขี้ริ้ว」という。パーは「布」、そして、キーリウの意味は、「ぶざまな、みにくい、ボロボロ」だ。かつて、桐生さんという方がタイ語を習っていた。彼はタイへ赴任して行かれたが、タイ人の耳には「キーリウ」に聞こえるので、彼の名字が誤解されるかと思うと、とても心配であった。
冨田竹二郎先生の『タイ日辞典』を見ると、次なる表現が有った。「雑巾が金を包んでいる ผ้าชี้ริ้วห่อทอง 」。「身なりは極めて悪いが大金持ちの人」という意味だそうである。
エスプリ(esprit) vs マイペンライ
昨晩のNHK番組「フランス語講座」を見ていると、出演者がそれぞれに好きな言葉を挙げるコーナーが有った。フランス女性は「エスプリ(esprit)」と答えた。すると、日本女性が「それは、日本で言うと、粋、ですね」と、応じた。
辞書で調べると、「エスプリ=精神、知性、才気、霊魂」と出ていた。なんだか分かったような、分からないような….。しかし、とてもお洒落な単語であることよ。
では、タイ語で好きな単語とは? 各自それぞれに異なるであろう。だが、一般的な単語は「マイペンライ」。この単語は人をジタバタさせなくてよい。あきらめをもたらせてくれる。精神的に深く考えなくて済む。知性なんか深く求めなくてもかまわない。才気なんかもいらない。生き方は自然。人間関係も薄く、軽く。
エスプリを求めるのも大変だが、真のマイペンライに徹するのもなかなかに難しい。タイへ行って、タイ人に学ぶしかない。
美容師 と 五穀米
昨日、教室の掃除をした後、美容院へ行った。美容師が2名もお休みだったので、順番が回ってくるまで読書をして待つことにした。やっとイスに座ると、左隣りでマロン色に髪を染めている女性が担当している美容師に向かって盛んに喋り続けた。「ああ、昔はよく儲けさせてもらったわ」 彼女はおそらく自営業者なのであろう。帰る時に、美容師に向かって、「あなた、五穀米を炊いて来たから、食べてよ」と言って手渡していた。
そして、私が帰ろうとすると、美容師が、「五穀米、たくさんもらったから、おすそ分けしてもいいですか?」と、言った。私はその美容院へ11年通っているが、食べ物をいただいたことはかつて無い。「嬉しいです。いただきます!」と、すかさず答えた。
そのあと、美容師と立ち話をした。彼女の人生が少しばかり分かった。1年半前に御主人を亡くされ、今は高校生の娘さん一人と暮らしているが、クリスマス・イブは、娘がパーティーに出かけたので、一人ぼっちだから、御飯をたくさん頂いても食べきれないというわけであった。
「娘さんも美容師になりますか?」と尋ねると、「保育士になりたいと言ってます。手に技術を持っていると強いですから」と、彼女は答えた。それを聞いて、「そうですね。資格があると強いです。私には手に技術が無いけれど、口にはあります」と、応じた。
ゆめ花 と 「和」
「市原ぞうの国」で大活躍している小象のゆめ花(6歳)ちゃんが、21日、来園者の前で「和」という漢字を書いたというニュースを読んだ。来園者達から選ばれた今年の漢字が「和」であったからだ。「平和」とか、「和み」という願いによって選ばれたそうだが、私の場合、「和」は「昭和」の「和」が一番最初に頭に浮かぶ。しかし、昭和は遠くになりけり….。
いずれにせよ、興味深いのは、ノギ偏の漢字だ。ノギ編は稲をイメージされているそうだから、和という漢字は「米が口に入る」ということかも?。みんなが十分に、そして、満足できる食事をすることができれば、心が落ち着き、優しくなれる。
ネットで調べると、ノギ編には収穫に関する漢字が多いそうだ。例:秋、穂、稲、等々。そして、それが転じて、お金に関する漢字が生まれたとのこと。例:稼ぐ、税、租、科、等々。
年末・年始の期間、タイ語の勉強はもちろんだが、漢字の勉強も面白そうだ。暖かい部屋の中で漢字に挑戦し、タイ語とは異なる刺激を脳に与えてみようではないか。
電話 vs LINE
アメリカの大学に留学していたY子さんが1年4ヶ月ぶりに、再び、タイ語を勉強し始めたので、彼女に聞いてみた。「アメリカ人と電話で話すことで、電話の英語にも慣れたことでしょうね。きっとスピードのある英語が話せるようになったのではありませんか?」
すると彼女の口からは意外な返事が戻ってきた。「アメリカでは一度も電話で話していません。すべてLINE でした」
それを聞いて、なるほど、LINEだったのか、と思った。それが世の中の趨勢であれば致し方ない。電話で話すと相手の様子がよくわかり、生の英語を聞くことができるのに…..。
タイ人との連絡もLINEが主流になってきている。タイ語の文章がタイ語で書けるようになったという話を生徒達から聞くと、それはすばらしいと素直に思う。だが、LINE一辺倒ではなくて、時には電話で話し、口をパクパク動かし、聴力を高め、次は何をしゃべろうかという考えを巡らすのも大切である。生きた会話には、いろいろな話題が飛び出し、それが思わぬ方向に発展していき、おのずから語彙力が問われるからだ。
今年、印象に残った生徒さん
今年11月から開講した「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスは、昨日、テキストの第7課まで進んで、楽しく今年の授業を終えた。
このクラスを募集していた時、なかなか受講希望者が出ず、開講があやぶまれた。ところが、1年半ほどお休みしていたM子さんが、「私、また習いたいです!」とメールして来られた。そこで、彼女の意欲に応えて、開講に踏み切った。生徒一人でもよし。かまへん、かまわん。マイペンライ。
M子さんとは昨年8月以降、お会いしていなかった。彼女は突如、教室から消えた。消えた理由をうかがって納得。それは、お母様の介護で忙しかったからだとのこと。どうにか勉強する時間が取れるようになったので、タイ語の勉強を復活されたというわけである。
それを伺い、この世の中、介護の問題が取り沙汰されて久しいが、高齢者の親を持つ中年達で、介護問題を抱えている方達は、好きな勉強に没頭できないことをあらためて知った。諸問題を解決されて、1年半ぶりに復帰されたM子さん、来年も楽しく勉強なさってください!
今年もよく頑張りました!
泰日文化倶楽部の今年のグループ・レッスンは、今日21日(土曜日)で終了いたします。年末年始の休暇は、明日22日から1月6日(月曜日)までです。今年も、皆さん、熱心に通って来てくださり、有難うございました。来年もしっかりとタイ語力をつけてください!
ところで、昨日のニュースで、外国人観光客が初めて1千人を突破したと報じられました。今朝7時のニュースでも同様のニュースが繰り返し流されましたが、その1千人目の外国人が中年のタイ人夫妻であったことはとても興味深かったです。成田空港のセレモニーでインタビューに答えるタイ人男性のタイ語はとても品が良かったです。「訪れるたびに、日本の環境(สภาพแวดล้อม)に関心が深まっていっております」
今年7月からのヴィザ無し旅行で、タイからの旅行客が急増しています。我々のタイ語の勉強にも発破をかける必要があります。旅行客とタイ語を話す話さないは別として、彼らの旅行パワーに負けてはなりません。語学というものは、いつ使うようになるかは予想がつかないものなので、体力と気力、そして、財力が有るうちに、しっかりと勉強しておきましょう!
福引き
先週の1週間、高田馬場4丁目の商店街では福引きが行われた。私は最終日の最終時間10分前に福引券をもって並んだ。私の前に並んでいた男性は23枚の福引券を持っていたので、彼がガラガラポンをするのを私はじっと観察した。ところがいつまで経っても赤い玉が出てこない。そこで、その男性はいらいらし始めた。「なんだよ、これは」
すると、世話係のお年寄り連中が彼に言った。「もっと早く来ればよかったのに。特等はもうすでに出てしまっていますからね」
それを聞いて、私は思った。「なあんだ。残っているのは5等ばかりなんだな。期待するのはやめた。福引きに参加するだけでよしとしよう」
昔の人は言った。「残りものには福あり」 だが、違った。幸運はいつやって来るのかわからない。もしかすれば早めにやって来る人もいるのかも。人によりけり。タイ語では、これを「แล้วแต่ レェーオ・テェー」という。この表現は言い得て妙だ。何故なら、レェーオは「それから」、そして、テェーは「しかし」という意味で、いずれも接続詞から成っているからだ。人生とは、「それから」&「しかし」の繰り返しなり。