今月末から、新しいフランス語講師をお迎えするにあたって、フランスに関する本を読んでみたくなった。料理やファッションだけの単語ではいけないと思ったからである。前の講師がアルジェリア系のフランス人であったので、『移民と現代フランス』(ミュリエル・ジョリヴェ著 集英社新書 2003年)を読んでみた。その中に、1979年にカンボジアからタイ経由でフランスに行ったカンボジア男性の言葉が印象的であった。少し、長くなるが、引用させていただく。
「フランスに着いたとき、まずフランス語を勉強しなければいけないと考えました。カトリーヌの知り合いの女性に教えてもらいました。夜遅く勉強したんですが、いまでもカンボジア語ーフランス語の辞書を思い出します。私はほとんど全頁暗記しました。言葉を学んだのは、仕事をするためでした。もしいつかフランスを離れて、アメリカや他の国へ行くとしても、私はやはり言葉を学ぶことから始めます」
タイ語を習う日本人は、趣味やボケ防止だという方達が多い。それはそれで幸せだ。だが、移民は違う。より良き仕事にありつくには、必至で言葉を勉強する。
マッサージ師のタイ語勉強
ここ最近、マッサージ師の方達が「タイ語をきちんと習いたいです」と言って、入会されるようになった。施術の仕方に関しては、バンコクに於いても日本語でも勉強できるようだが、さらに技術を磨くために、再度、訪タイする際には、タイ人の専門家から直接、習いたいという希望が強いみたいだ。
身体に関する部位も、タイ語で理解すれば、自分自身がタイのマッサージの世界に一歩一歩踏み込んでいく自信が感じられ、楽しくなるにちがいない。そして、施術に対する学びたいという意欲がますます増すこと請け合いだ。
キック・ボクシングであれ、タイ舞踊であれ、タイ料理であれ、本場で修行し、タイ人から直接、教わることは有意義なことである。そのためには、時間とお金に余裕が有れば、出発前にタイ語を学び、タイでの生活を10倍、楽しんでもらいたい。
タイの歌やドラマを見ればタイ語が上手になると思っている方達がおられるが、それらは補助的な教材であって、やはり基礎を学ぶ必要がある。教室で学ぶのには忍耐が要る。授業が面白いと思われる時も、そうではない時もあるが、ひたすら、継続あるのみである。忍耐 → タイ語、そして、タイ語 → 忍耐。
新しい日本語を造ってみました → 「ゆかゆかしい」
昨晩、生徒さんの一人からお食事のご招待があったので、とても楽しみにして出かけた。場所は神楽坂。シックでエレガントなフランス料理店であった。神楽坂は昔から知ってはいるが、年々、若返っているような気がする。商店街がこぞって頑張っているからであろう。
さて、ご招待の主旨は、泰日文化倶楽部の創立25周年のお祝いと、私の誕生日のお祝いのダブルを冠したものであった。単独で祝ってくださった生徒さんのお名前はゆかさん。
美味しいお食事と楽しい会話が3時間半も続いた。大満足の中、帰路についた私は、ふと、新しい日本語を造語してみたくなった。それは、「ゆかゆかしい」という新語である。
日本には、「古式ゆかしい」、とか、「奥ゆかしい」という言葉が有り、日本情緒たっぷりの雰囲気を醸し出してくれている。特に、「奥ゆかしい」は、日本女性に対して、控えめな、しとやかな、つつましい、しなやか、と言った意味で使われているが、英語で言えば、elegant に相当する。
私が今回、提案している造語の「ゆかゆかしい」は、先生(師)に礼節をつくす人、目立たないまま、それとなく上手に創案し、先生にサプライズを与える心根の優しい人に対して使ってみたい。
霜降(そうこう)
今日、10月23日は、24節季のうちの第18季にあたる「霜降」だそうである。「寒露」から数えて15日目。旧暦では、紅葉が終わりに近づき、露が霜に変わる頃だから、そのように言うそうである。
道理で、筋肉が硬くなって、どうにもこうにも動きが悪くなったのを感じる。動脈硬化を起こさないよう運動をして、頭から足の先まで血流を良くしないといけないなあと思う。
特に、語学を勉強している方達は、いつもよりも意識的に口の周りの筋肉を動かし、そして、横隔膜を大いに振るわせながら、タイ語を発音することをお勧めする。テキストにだけ目を落とすのではなく、タイ語講師のほうに向かってタイ語を発音し、発音矯正をしてもらってほしい。
90分の授業中、発音する時間が多いと、帰宅途中でも、授業中に習ったタイ語が思い出せるであろう。語学の勉強はとにもかくにも繰り返し発音することだ。
もしも成果が有り、タイ語力が上がれば、自分に御馳走をしよう。タイ料理でもいいが、ごくたまには、霜降りの高級和牛はいかがかな?
またタイ語を習いたい方達
習い事は1月から始めたほうが気持ちが新たになっていて非常にいいと思うのだが、我がタイ語教室の場合に限って言えば、新しい生徒はあまり来ない。おそらく避寒のため、あるいは、花粉症を避けて、タイへ行かれる方が多いからである。
では、4月はどうかと言うと、人事異動や引越し等の身辺変化に伴い、落ち着かないらしく、以前に比べると、入会する方はそれほど多くはなくなった。
第3期である7月から9月はタイへ旅行される方があまりにも多すぎて、これまた新しい生徒達を多く望むことはできない。
だが、第4期の10月から12月は違う。気温が下がってくると、日本人は精神的に引き締まってきて、何かを学ぼうという気持ちが高じるようである。この時期になると、来年が迫って来ているから、特に人生について考えるらしい。
ここ数日で、タイ語を勉強したいという方達からメールや電話をいただいた。彼らに共通して言えることは、「かつてタイ語を習ったことがあるのですが…..。また、習いたくなりました」という内容だ。泰日文化倶楽部はそういう方達を、いつでも、大いに歓迎する。
タイ人的な顔
一昨日、泰日文化倶楽部が入っているビルに事務所を構える男性から電話が有った。「少々、タイのことをおたずねしたいのですが….」
私は「電話で済むものならお答えしますよ。どうぞ、何なりとおたずねください」と、答えた。しかし、彼は電話では済まないから、どうしても会って話したいというので、時間を作ってお会いした。
話し始めて20分くらいしたところで、「あれっ、日本人ですか? タイ人だと思っていました。電話で話した時、日本語が流暢だなあと感心しました」と、彼は言った。
私の場合、その手の話は、これまでにたびたび経験しているので慣れている。
問題は、タイ語教室だから、タイ人が経営しているものという先入観念を彼が持っていたことだ。
彼はタイやミャンマーとのビジネスに興味が有るらしい。私にはビジネス・マインドはゼロだが、お役に立てるようであれば、タイのことだけは教えてあげることができる。
御会式 と 盲導犬
雑司ヶ谷の鬼子母神の御会式は10月16日から18日の3日間、行われた。同じマンションに住むご夫婦が御会式の行列に参加すると聞いたので、沿道から声援を送ろうと思って、最初(19時半)から最後(22時半)まで彼らを探した。だが、あまりにも大勢の人がいて、残念ながら見つけられなかった。
3時間の間に、今年も老若男女のすばらしい絆を目にすることができた。世話係の年寄りも立派にお役目を果たされてよかったが、何よりも若者のパワーに大いなるエネルギーをもらった。若い女性がこんなにも威勢がいいのかと、頼もしくなった。イナセナなお兄さん連中も、もちろん目の刺激になった。毎年、外国人が行列に参加しているが、今年も楽しそうに日本人に同化して、小さな太鼓を思いっ切り叩いていた。
さらに、目の不自由な人が盲導犬と共に行列に加わっているのが目にとまった。驚いたことは、盲導犬がとても立派であったことだ。鉦や太鼓や笛や、そして、黄色い声が飛び交い、ものすごい騒音が3時間も続いているのに、普段通りの任務を果たし、おとなしかったことである。大きな音に対しても、驚かない、動じないという訓練がなされているのであろう。まるで神様のお使いのように見えた。
新しいフランス語講師
フランス語講師のレイラ先生が留学を了えてパリに帰ってしまわれた。そこで新しいフランス語講師を探すことになった。泰日文化倶楽部の生徒に「誰かフランス人のお知り合いはいませんか?」と、尋ねてみたところ、先月から入会されたばかりのK氏がすかさず言った。「知ってます!」
その後は、話がとんとん拍子に進み、一昨日、新しいフランス語講師とお会いすることができた。スペイン女性だが、フランスでフランス語を勉強したから教えることができるそうだ。彼女と私の会話は英語であるが、英語の先生をお願いしても大丈夫なくらい上手であった。アメリカで英語を勉強されたそうだ。
彼女は「泰日文化倶楽部まで自転車で来てもいいですか?」と私に訊いた。「駐輪場もあるのでかまいませんが、東京は坂が多いですからね」と、答えた。
そして、話が進んでいくうちに、私がタイ人、もしくは、ハーフだと思ったらしい。「れっきとした日本人です。でも、もしかすると、祖先はタイから来たかもしれません」と言うと、彼女は納得した。
新しい講師の名前はテレサ先生である。
「首がすわる」というタイ語
昨日、今年の4月から産休に入っていたノン先生が、赤ちゃんを連れて、教室に挨拶にみえた。赤ちゃんは4ヶ月。泣くこともなく、女性の生徒達の人気者になった。「首、すわってますね」という誰かの声に、ノン先生が「はい、すわってます」と答えた。
タイ語では、「首がすわる」を、「首が硬い คอแข็ง」と言うそうだ。それを聞いて、「あらあら、酒が強い คอแข็ง という表現と全く同じですね」と、私が言うと、皆、大笑いとなった。男の赤ちゃんだから、将来、酒が強くなっても決しておかしくはない。女の赤ちゃんだと、少々困るけれど….。
辞書を見ると、「คอแข็ง」には、他に、「参ってしまい言い返すことができず黙っているさま」、とか、「寝違えて首が回らぬ状態」、とか、「夜会服などの硬いカラー」、という意味もあると書いてある。
身体名称を使ったいろいろな表現をノートに書きつけることはとても勉強になるので、時間があればたくさん調べてみるといい。特に、「口」、「手」、「目」、そして、「心」に関するタイ語表現は、タイ人のものの考え方が分かって面白い。
大阿闍梨の酒井雄哉師の『一日一生』
大阿闍梨の酒井雄哉師が先月(9月23日)に逝去された。千日回峰行を1980年と1987年の2度に亘って達成された大阿闍梨に関しては、その精神の強靱さがどこにあるのであろうかと、常々、不思議に思っていたが、聞き書きしてまとめられた『一日一生』(朝日新書 2008年刊)を読んで、疑問がとけた。
大阿闍梨は若い頃から歩くのがお好きであったようだ。東京で住んでおられた時、三鷹から日本橋まで、毎日、歩いて往復していたのを知ると、千日回峰行で毎日30キロ~70キロを歩くのは、その延長線上であったものと思われる。
本の中でご自分の来歴をわかりやすく述べられているのを読んで、何事を成すにも、その前の準備段階が要ることをあらためて教えられた。ひたすら歩く。それを毎日続ける。師の言葉をお借りすれば、「毎日、くるくる、同じことを繰り返す」ことだそうだ。
語学の勉強も同じ。毎日、こつこつ単語を覚えれば、小さな成果が得られるであろう。その小さな成果と成果をパッチワークの如く結びつけながら、日々、繰り返していけば、何かが見えてくる。見えなければ、見えるまでとにかく、くるくる、こつこつ、繰り返すしかない。