このところ、見学者が有る。ある一人の方は、見学後、「木曜日の午後5時半からタイ語入門クラスを開講してください」と、強く要望した。
それに対して、私はこう答えた。「そうですね…..。しかし、午後5時半から7時という時間帯にタイ語を習いに来ることができる方は滅多にいません。何故ならば、会社の退勤時間ですからね」
しかし、彼女はその夜、メールを送ってこられ、どうしても午後5時時半から習いたいと熱く書いていた。「しばらくお待ちください。何とかして生徒さんを集めるようにしてみますから。ただし、3名集まらないと、開講はできません」と、私は返信した。
昨晩、女性の見学者が有った。私はその方に木曜日の午後5時半からに参加できるか否かを尋ねると、「主人と二人で会社をやっていますから、時間のやりくりなら、どうにかつきそうです」と答えた。
よし、あと一名だ。8月7日から開講を予定しているので、まだ2週間近くある。きっと第3番目の受講希望者が出るであろう。生徒も強気なら、私も強気で頑張るしかない。
日本人はけじめをつけるのが好き
昨日で上智大学における前期の講義は終わった。残すは来週の期末試験だけだ。
5月からインフォーマントとして手伝っていただいていたタイ人講師のS先生に感謝の気持ちを表わそうと思って、授業後、食事におさそいした。
ところが、S先生はこうおっしゃられた。「日本人は何かひとつ終わると、食事とかしてけじめをつけますよね。タイ人はそうではありません。しかし、私は日本に長いので、日本人とタイ人の中間の文化で生きてます」
どうやら遠慮をしておられるようであったので、「それではお茶でもして、少しおしゃべりしませんか」と私が言うと、やっと応じてくださった。だが、昨日は四ツ谷駅周辺の喫茶店はどこも満員であった。やっと見つかった4軒目の喫茶店は煙草の煙がきつく、S先生はいやがった。結局、食事もお茶もしないまま互いに家路につくことになった。
「日本人はけじめをつけたがりますね」というS先生の言葉を復唱しながら、そうかもしれないなあと思った。タイ人は日本人と比べると、白黒をつけるようなことはなく、自然な空気の中をくったくなく生きている。タイ人の場合、冠婚葬祭と誕生パーティーは例外だが、何か一つのことが終わって、「打ち上げパーティー」とか、「反省会」とかはあまりしないような気がしてきた。
フランス料理店での英語
昨年、我が家にホームステイした太陽君が、今月からアメリカへ留学する。その途中、5泊だけ東京に立ち寄っている。
彼の高校卒業祝い、大学入学祝い、そして、19歳の誕生日のお祝いを兼ねて、彼の好きなフランス料理店で一緒に食事をした。フルコースであったため、一皿ごとに、料理の説明が有った。私には日本語で、そして、太陽君には英語で。
ところがである。太陽君は日本人の英語の発音がおかしいと言って、タイ語で私に何度も言った。「Thisu isu creamu chizuu. ジッスウ イズウ クリームウ チーズウ と聞こえます。どうして、こんな発音するの?」
私は答えた。「日本語は、単語の終りに必ず母音がつくので、英語を話す時も、this ではなくて、thisu になってしまうのよ」
私の説明を聞いても、太陽君は不思議がり、そして、クスクス笑った。
それを見て、日本人はもう少し発音に力を置かないと、国際化、国際化と言っても、外国から来た客人にはとても通用しないと思った。
個人レッスンの新しい生徒さん
昨日、個人レッスンを希望される新しい生徒さんが教室に見えた。彼女の希望は日曜日。タイ人講師達は日曜日は遊びに行きたいので、講義の依頼は遠慮している。
まず授業の冒頭、タイ語を習いたい目的を尋ねると、彼女が働いている会社がバンコクにも支社が有り、ビジネス上、タイ語が必要だとのこと。社長(中国系マレーシア人)が彼女を顧客に紹介する時、「タイ語が話せるんですよ、この女性は」と断定してしまったそうだ。横で聞いていた彼女は、ものすごいプレッシャーをかけられたと思い、あわててタイ語を勉強することにしたという次第。
教え始めてすぐにわかったことは、全くの初心者ではなくて、他校でタイ語の基礎を修めていたということだ。8年前に習ったにしては、よく覚えている。母音を発音する時の口の開け方の違いを指摘し、無気音と有気音の矯正をしただけで、発音はかなりよくなった。ヒアリングの能力も有り、タイ文字も読める。大変に教えやすい生徒さんだ。
最近、入社した会社がタイと御縁があるということで、彼女のタイ語力が目覚め始めた。8年ものブランクは、一気に解消した。
奇遇
昨日、「第87回アジア女性のための生け花クラス」が実施された。無料開講してからすでに7年半になる。参加される方がいろいろと変わるのは致し方がない。世の移り変わりと同じ…..。そうとらえている。
ところで、昨日は参加者が少なかったので、タイ語の生徒さんに声をかけたところ、昨年10月から勉強に来られているKさんが参加したいと申し出た。
私は昨日4時からタイ人に日本語を教える仕事が入っていたので、生け花クラスを途中退場したのでその後、何があったかは知る由もない。だが、同じく参加されたHさんから、ラインが来た。「華道講師の御主人と、K子さんのお父様が親友だったそうですよ」
それを聞いて奇遇だと思った。帰宅後、華道講師に電話をして、いろいろと話を聞くと、K子さんが小さい時、彼女の家で会ったことがあるとのこと。「主人の恩人です、K子さんのお父様は」と、華道講師は付け加えた。この広い東京の空の下で、何十年ぶりかの邂逅が、泰日文化倶楽部でなされたことは、本当に奇遇である。
タイの象の置物
昨日のブログで雑司が谷に在る學問所雑司寮明哲院のことを書いたが、そこの御主人(哲学者)が、研究室や応接間も御覧くださいとおっしゃるので、お言葉に甘えて拝見することにした。
研究室に入った時、私の目に最初に飛び込んきたのは象の置物2体であった。タイ製のものにまちがいないと直感した。
何故、象の置物が有るのか尋ねてみると、祖父に当たる方が国会内で鍼灸医院をやっておられたことがあり、たくさんの代議士の治療にあたられたが、その中のお一人のS氏から戴いたとのこと。そのS氏は外務大臣をなさっておられた方だから、私もお名前だけはよく存じあげている。
そこで私は考えた。S氏は外務大臣の時、タイの要人達から象の置物を進呈されたのではなかろうか。
築101年の日本民家にタイの象の置物がすんなりとおさまっている。全く違和感が無い。
喫茶 「つかさ」
泰日文化倶楽部に時々、ビジターとしてタイ語を習いにみえる女性がおられる。その彼女が私にラインを送って来た。「つかさという喫茶店、御存知ですか? 手塚治虫がいつも行っていた店ですよ」
私はすぐに返信した。「知りません」
この喫茶店が教室の近くにあるらしいのはわかったが、一体、どこに在るのであろうか、とても気になり始めた。
ところが、気にして散歩していると、すぐに見つかった。これまでいつもその店の前を通っていたのに、全く関心を持ったことがなかったから、店名を覚えていなかった。今どき、こんな古臭い喫茶店がるのであろうかと思っていた店だ。
手塚治虫が愛した喫茶店であると知ったからには是非とも行ってみようと思って、店のドアを開けた。確かに、昭和の雰囲気がする店であった。客人は皆、落ち着いた大人達ばかり。壁に染みついた煙草のヤニの色が歴史を感じさせる。
またこれからも来ようと思い、コーヒーの回数券を買った。
予期せぬ訪問者
昨日の夕方、教室をお貸ししている「韓国語クラス」に参加していたら、707号教室のチャイムが鳴った。セールスマンであろうと思ってドアを開け、用件を伺うと、タイ語クラスのことで聞きたいとのこと。そこで隣りの706号教室に案内した。
彼はいろいろと聞きたそうであった。それに対して、「泰日文化倶楽部のホームページはご覧になられましたか?」と尋ねると、「全く見てません。僕、散歩が好きで、このあたりを数回通っている時、タイ語教室が有るのを見つけ、とても嬉しくなったのです。以前、チェンライでタイ語教室に通ったことが有るので、タイ語、少しだけ分かります。今日は思い切ってやって来ました」
10分くらいで彼に対する回答を終えようと思っていた。ところが、それから40分くらい話し込んでしまった。理由は彼(日本人とスペイン人のハーフ)がとてもユニークな生き方をしてきたことが分かったからである。
タイ語の勉強の必然性を熱く私に語る彼。とても興味深い話が次から次に展開していった。
将来、父親が住むタイへ行く確率が高そうなので、タイ語の勉強を今から始めることを大いに勧めた。
學問所 雑司寮明哲院
昨日の午後、鬼子母神近くに用事が有った。帰路、工事車両が道を塞いでいたので、鬼子母神の境内を通って、迂回することにした。樹齢六百年の欅の木はいつ見ても見事だ。
境内を出て参道に出ると、いつもとは異なる光景が目にとまった。「學問所 雑司寮明哲院」という看板が門扉にかかげられ、そして、その門扉は開いていた。
私は、<學問所>という漢字に惹かれた。4百円でお茶が飲めるということなので、思い切って中に入り、「こんにちは」と大きな声で言った。
すると、立派な体格の男性が現れた。庭から縁側に上がり、床の間のある部屋に招じ入れられた。築101年の家であった。床の間の壁は貝殻でできていた。縁側の床はリフォームをしているが、木材は伊勢神宮の式年遷宮の際に節があるということで撥ねられた由緒正しき檜だそうだ。
その家の主は哲学者であり思想家。「大学教授に教えております」という言葉に一瞬、あれっ?と思ったが、すぐになるほどと理解した。
築百年を超える家で、思索に耽る。なんとすばらしい時間の使い方であることか。
昭和のロマン喫茶店
「タイ語中級14:00」のクラスの生徒達と食事をすると、そのあと、自然にお茶をしようということになる。そこで高田馬場駅から歩いて1分もしないところにある純喫茶店へ2回ばかり行った。名前は「ロマン」。昭和の名残りをただよわせている。そんな喫茶店があるとは全く知らなかった。
2回目に行った時、年をとった店主が私に言った。「あなたは前回いらした時、あなただけ食事をしましたよね」
私はびっくりした。たしかにそうであったから。生徒達はお茶をしたのに、仕事のためパーティーに間に合わなかった私だけが生姜焼きを頼んだ。
私が驚いたのは店主が私のことを覚えていたことだ。次から次にやって来る客がいるというのに、覚えてもらって光栄である。帰り際にレジの前で、そっと尋ねてみた。「おいくつですか?」
彼は答えた。「70歳です」 それを聞いて、同世代であることに共鳴を覚えた。まだまだ頑張らねば……。
余談になるが、2回目に行った時、今、世間で話題のセーラー服おじさんが入って来た。タイでももうすでにネットで有名だそうだ。喫茶店は都会の停車場であり、オアシスと言えよう。