昨日より泰日文化倶楽部が2015年の授業をスタートさせた。2週間の年末年始は長いようで短かった。生徒の皆さんの様子を拝見すると、特別に気負っているふうでもなく、おだやかな表情をしておられる。今年も楽しく勉強できそうだ。
そんな中、元生徒さんからメールが届いた。最近、タイやラオスへ行く機会が増えてきたので、またタイ語を勉強したいという内容であった。大歓迎だ!
いろいろな事情が有ってタイ語の勉強を中断された方達でも、タイへはいつも思いを馳せている。その気持ちさえあれば、タイ語の勉強の再開はいつだって可能。中断している間にタイのこと、タイ人のことが、もっと詳しくなっていることも考えられる。
語学はテキストだけを一方的に勉強してもつまらない。幅広い総合力があってこそ、語学力がつくと思う。
若者の模索
バンコクから一人で武者修行に来ているタイの高校生が富士山を見たがっていた。そこで、昨日、河口湖へ連れて行ってあげた。
新宿からバスに乗ると、タガログ語が聞こえてきた。そして、フランス語も…..。フィリピン人もフランス人も皆、富士山見物らしい。
河口湖に着くと、富士山が一番きれいに見えるホテルの展望台へ行き、美しい富士の姿をまぶたにおさめる。高校生は大いに感動してくれた。
そのあと、富士急ハイランドへ行き、ジェットコスターの入園口で切符を買っていると、ハイソ―なタイ人御一行様と一緒になる。
帰りのバスは中国人だらけ。皆さん、遊び疲れているのか静かに眠ってくれていたのでやれやれ。
新宿から山手線に乗ると、仕事始めの若い会社員が同僚らしき女性にタイの話をしている。
「タイへ行くと、オレ、人生が変わる感じがするんだ」
その話を高校生に訳して聞かせてあげた。何故ならば、高校生も新しい人生を探して、日本に刺激を求めに来ているからだ。
タイ語よりもタイ料理
年賀状の中に、「タイ語はもう忘れました」という内容のものが多く有った。そして、「タイ語は忘れましたが、タイ料理の味は忘れません」という文面に接した時は、正直でいいなあと思った。なるほど、学ぶよりも食べることが大切なんだ。
あの強烈な辛さのタイ料理を食べれば、もはや絶対に忘れることはないであろう。小さい時にタイに住んでいたという帰国子弟に対して、「何を覚えていますか?」と尋ねたところ、「タイ料理です。舌が覚えていますね」という返事をもらったことを思い出した。
タイ語の勉強には根気が要求されるが、タイ料理ならすぐ口にもっていける。なかなか覚えられないなあといういらいら感に対して、タイ料理はすぐに満腹感を充たしてくれる。今年もやはりタイ料理には勝てないのであろうか?
昨晩から、NHKの大河ドラマが始まった。松下村塾における幕末の青春群像が下敷きになっている。我がタイ語塾にも新しい若者がやって来て、熱意を持ってタイ語を勉強してくれることを強く願う。
聞こえてきたのは、なんとタイ語!
昨夕、年賀状の返信を少しでも早く出すため、新宿郵便局へ行った。目白駅から山手線に乗ると、乗客はまばら。ああ、世の中はまだ三が日だなあと思いながら、新宿へ。
電車を降りると、うわあ、大勢の人! そして、聞こえてきたのはタイ語!
なんだ、なんだ、タイ人がホーム・ジャック? タイ人の観光客を見て、彼らの旅行欲に圧倒された。いや、圧タイされた。
このぶんだと、今年、いったい何名のタイ人が日本にやって来ることやら…..。
泰日文化倶楽部の皆さん、趣味的な勉強はさておき、黒船ならぬ、泰船を受けて立とうではありませんか。
タイ人パワーはすごい、すごい。彼らの日本に対する関心度は以前の10倍に沸騰していること、間違いなし。
戦後70年という今年
元旦、群馬県で行われた「ニューイヤー駅伝」のTV中継で実業団のトップランナーのすがすがしい走りを見た。そして、夜は、ウィーンフィル交響楽団の「ニューイヤー・コンサート」を楽しんだ。
特に、インド出身のズービン・メータ氏が指揮されたことが嬉しかった。メータという意味は、<慈悲>。サンスクリット系の単語だから、アジア諸語にもこの単語は生きている。洋の東西で活躍するメータ氏。彼の指揮棒により、東洋にも西洋にも、どうか仏陀や神の慈悲が満ちあふれますように…..。
今年のマスコミは、正月早々から「戦後70年」という表題を掲げ、いろいろな番組を提供してくれている。戦後生まれの私はもう何度も見た映像であるとはいえ、区切りの70年となると、再び見るのも悪くはない。何故ならば、初めて見る映像に、新たなる視点が得られるからだ。
それにしても、東京の変容にはあらためて驚いている。2020年の東京オリンピックまであと5年半。東京はどこまで変わるのであろうか? 東京のパワーを感得しながら、今年も始動だ。
HM氏の年賀状
年賀状を出すのも大変だけど、頂いた年賀状を読むのも大変。印象に残ったのは、今年もやはり元生徒のHK氏(65歳位)からのものであった。
「暮れから予定していた仏領ラバ島旅行は、タヒチからの船便が相変わらず3ヶ月に1度なので断念して、新春早々ラオスに転進します」
仏領ラバ島? 恥ずかしながら初めて聞く名前だ。3ヶ月に1度の船便? まだそのような場所が現代の世界に残っていたとは!
HK氏の年賀状には、「実は昨年、北海道で交通事故に遭い、搭乗者6名のうち1名が亡くなったので、今回ほど<迎春>という言葉を重く意識した事はありません」と冒頭に書いてあった。
だが、さすが、世界の秘境を撮影しまくる彼。死んでたまるかの精神。今ごろはラオスの山の中に入ってカメラをまわしていることであろう。
謹賀新年 2015 GO!
新年おめでとうございます。
羊の年。漢字の中に「羊」が入っているものはたくさん有るようです。
美=日常にたくさんの美を取り込みたいです。
善=善行に励みたいです。
義=義を尊びたいものです。
達=小さな目標を達成したいです。
詳=ニュースは詳しく分析したいです。
洋=洋の東西を問わず、いろいろと学びたいです。
着=人生、着々と歩みたいです。
翔=夢と希望だけはいつも飛翔していたいものです。
今年も、泰日文化倶楽部で、楽しくタイ語を勉強しましょう!
塩を造る
昨日、実家の草取りと先祖の墓参りのため、日帰りで郷里の香川県に帰った。母方の先祖の墓は宇多津にある。寺の近くにある花屋で正月用の花を2束、つくってもらった。驚いたのは、値段が東京の半額であったこと!
経営者の若者に尋ねてみた。「儲かってますか?」
彼は答えた。「もうかりません。私は花屋だけやっているわけではなくて、普段は、塩田で塩を造ってます」
塩田と聞いて、そういえば、昔、宇多津といえば、入浜式の塩田がいっぱい有ったことがすかさず脳裏に浮かんできた。そして、祖父が塩田を有していた話も思い出された。
入浜式から流下式になり、そして、日本で塩を造るよりも外国から買ったほうが安いという時代になり、塩田は無くなってしまった。
60年経過して、日本の伝統文化である入浜式を若者達が継承し始めたことを知って、とても嬉しく思った。
羊というタイ語
タイ語で羊のことを<แกะ ゲェ>という。この単語は、動詞としての意味も有る。即ち、「彫る」、「開く」、「爪ではがす」、「(皮を)除去する」、等々。
「彫る」の場合は、<แกะสลัก ゲェ・サラック>と重ね語で表現する場合が多く、かつ、このほうが分かりやすくもある。
来年は干支が羊(ปีมะแม)だから、気分もスローダウンできそうだ。表面だけを上滑りするのではなくて、何かを彫って行くぞという精神を持つことも必要。
羊と言えば、羊毛。羊毛からつくる毛糸を使っての編み物は楽しい。習い始めてもう8年以上になるが、辞めないことをモットーに、編み物教室へ週1回の割合いで通っている。
1本の糸をどんどん編んで行くと、次第に<面>となって形を成して行く。後ろ身ごろ、前身ごろ、両袖、そして、襟のパーツを組み合わせれば、1枚のセーターが完成。根気を要求されるが、途中で放棄するわけにはいかない。
またまた話題をタイ語の学習へと向けて恐縮だが、いろいろな表現や文法を習って、それをうまく繋ぎ合わせ、実際に使ってもらいたい。いろいろなパーツを豊富に貯めると、いつか、必ずや、ああ、タイ語を勉強しておいてよかったという日がくること、間違いなし。
M氏からのハノイ・レポート
泰日文化倶楽部では、2013年2月から2014年3月まで、ベトナム語クラスを開講していた。そのクラスで学んだM氏が、目下、ハノイに旅行中である。
M氏はLINEで写真をたくさん送って来てくださるので、まるで私も一緒に旅行している気分を味わっている。
ハロン湾の光景、ハノイの料理、そして、人々の生活風景、いずれも皆、覚えている。追体験もまた楽しい。
M氏に質問した。「ベトナム語は使ってますか?」 答えは、「まだまだですが、そこそこ通じてます」
彼の専門は中国語。タイ語の学習歴は5年。ベトナム語はすいすいと習得された。声調言語が大好きな彼。語学の勉強の仕方は十分に心得ておられるので、あとは現地でたくさん喋って体で覚えていくだけだ。今日から彼はタイ入りをされる。สำหรับเขาไม่มีปัญหาอะไรเลยค่ะ