忘年会(2)

昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスの忘年会が、昨年に引き続き、806号教室で行われた。1時間だけ真面目に勉強し、残りの30分を忘年会に充てた。ただし、お酒も入ったので、楽しい語らいが10分近く延長となり、お開きは20時45分。「良いお年を!」と言ってみんな明るく教室をあとにすることができ、この上ない幸せを覚えた。
 今年最後の授業であったので、生徒達の進捗度を観るという目的が私にはあった。長く勉強していると、どうしてもマンネリ化に陥いる傾向がどのクラスにも見られる。この火曜日19:00のクラスも然り。それを解消して、少しでも前向きになろうとするには、教師と生徒の両方に授業に対する意識が高くなくてはならない。
 語学の勉強は、「よく喋る人」、そして、「あらゆることに関心を示す人」に向いている。いつも言うことだが、語彙力が無いと駄目。そして、文法に弱い人も駄目。正確な発音と正しい語順は語学の基本であるからだ。

韓国人が作ったおにぎり

昨夜、我が家にホームステイしているタイの女の子から、キムチ入りのおにぎりをもらった。日本語学校で一緒に勉強している韓国人の友達からもらったそうだが、彼女は炭水化物を一切、摂らないので、私にまわして来たというわけだ。
 私も医者から「やせなさい。それには炭水化物を減らしなさい」といつも警告されているが、なかなか守れていない。昨夜はキムチ入りのおにぎりとはどんなものかという興味がまさって、ついに2個、勢いよく食べてしまった。
 食べながら思ったこと、それは韓国人の留学生がいかに節約して暮らしているかということがわかった。しっかりとにぎられたおにぎり(注:キムチを入れたチャーハンをにぎったもの)は、実に食べごたえがあった。そして、本当においしかった。

大学女性協会

昨日、母校の東京女子大学へ10年ぶりで出かけた。寮友のお嬢さん(ロンドンで活躍中)のバイオリン・コンサートが有ったからである。
 休憩時間に一年先輩から「JAUW会報第259号」というものを手渡された。JAUWとは、Japanese Association of University Women の略称で、「大学女性協会」のことであった。今年で創立70周年を迎えたとのこと。最初は「大学婦人協会」と称していたようだ。
 第1回目の「會報」に書かれた設立趣旨が第259号の会報の第一面に印刷されていた。
 「あなたが高等教育をうけた責任を果たし社會に奉仕する任務を自覺するならば直ぐにあなたの近くの大學夫人協會に參加して下さい」
 これを読んで、身が引き締まる思いがした。そして、時代を感じた。しかし、この趣旨は現代、そして、将来に生かされていいと思う。

忘年会(1)

昨晩、「土曜日14:30」クラスの忘年会が有った。今年、最後の授業日なので、かねてから企画していた通り、新大久保駅近くに在る「世界の山ちゃん」で3時間近く、にぎやかに、楽しく行われた。
 本当はタイ料理店へ行ったほうがよかったのかもしれないが、2時間で追い出されるのが常だから、我々はあえてそれを避けて、3時間ゆっくりできるところを選んだ。
 タイ人講師であるソム先生とパック先生も参加してくださり、2016年の打ち上げが成功裏に終わった。そして、1月7日からの再会を約した。
 我々の人数は8名。ところが隣りの部屋が6時半過ぎから急にうるさくなった。よく見ると、欧米人の若者達30名位が日本人以上に楽しんでいるではないか。みんな若い。彼らも忘年会。さすが「世界の山ちゃん」だけはある。納得。

「増し締め」という単語

一昨日の夜、バンコクから翻訳チェックの依頼が急に舞い込んだ。「グーグル翻訳なので変なところが有ります。日本語から英語の翻訳をチェックしてください」
 工業用の翻訳なので、私には知らない単語が有った。そのうちの一つが「増し締め」。ネットで調べてみると、「すでに締結されているボルトやナットをさらに締め込むこと。または、ボルト、ナットの締結トルクを検査する目的で、トルクレンチによりトルクを見ながら締め込むこと」と書いてあった。
 今年もあと2週間。弛んだ心を増し締めし、新たなる気合を入れ直そう!

阿留辺幾夜宇和

昨日、和歌山県有田郡有田川町からお歳暮が届いた。カネイワ醤油の製品であった。箱の中のちらしの文面に興味を覚えた。
 「明恵上人生誕の地 有田川町 明恵上人の言葉….『阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)』 自分自身に与えられた事を全うする事が大事であるとの教え」
 私は明恵上人(1232年~1173年)という名前は聞いたことがあるが、この方の人生は知らない。ネットで調べてみて初めて少しだけわかった。もっと知るには、数々の参考書を読む必要がある。これは正月の宿題だ。
 ところで、上記の「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」という表現が面白い。内容が濃すぎて、実践がむずか

22年前の生徒さん

22年前の生徒さんであるMさんと、昨日、ばったり都内で遭遇した。これだけならたいした話題にもならないが、私にとっては不思議でならなかった。というのは、彼とはこれまでに2回、四谷と目白で偶然、出くわしたことがあり、今月初め、Mさんはその後どうしておられるであろうかと思ったばかりであるからだ。こんなにも早く、実現するとは!
 私は彼に言った。「お声をかけてくださらないと、私はわかりませんでした」
 彼は素敵な中年になられていた。私の脳裏には30歳の彼しか残っていない。だが、今や52歳になられ、お子さんも社会人。ふっくらとして、落ち着きがみられた。
 どこか都内できっとすれちがうであろうと念じていた生徒さん。その彼と12年ぶりに会うことができて嬉しかった。

手帳

昨日、大学の中に入っている書店へ行った。目的は2017年度の手帳を買うためだ。しかし、年末恒例の手帳コーナーがみつからない。店員に尋ねると、文具コーナーの一角へと案内された。あまりにも少ない数にびっくり。私が愛用している能率手帳はなかった。
 そこで考えた。なるほど、電子化が進んでいるんだ…..。スマホの中にすべての予定はインプットされて、紙の手帳はもはや不要。そういう時代においては、手帳の販売数も減少しているのは当然至極。
 だが、私の場合は能率手帳を高く重ねて、あるいは、ずらりと並べて、過去の自分を振り返るのが好きだ。10年前のものであろうと、20年前のものであろうと、自分のその時の行動がよく思い出されて、とても面白い。そして、思うこと、それは、ああ、人生って短い。たいしたことなんて出来ない。日々、健康に恵まれて、淡々と生きていくしかない。

優しいバスの運転手さん

急ぎの仕事がある場合、タクシーを利用することが多い。特に、師走だから、私は走ってばかり。ただし私が乗る距離はほんの1~2区間。だから、あまり歓迎されない。昨晩、乗車したタクシーの運転手はわざと遠回りをして、3区間分の運賃を要求した。
 だが、私は怒らない。何故ならば、一昨日の夕方、バスに乗った時に、ものすごく親切な運転手さんを見たからである。車イスに乗った娘さんを父親がお世話しているが、わずか2つのバス停しか乗らないのに、車輪停めをあてがったり、バンドでバスの中にあるスチールの柱と車イスを結んだりと、それはそれは丁寧な仕事ぶりであった。もちろん降りる時も、車イスをかかえ持ってあげていた。そして、何よりも運転手さんの声かけがとてもやさしかった。
 良いことと悪いことの両方に接しながら、12月がどんどん飛んで行く。

年賀状のこと

「70歳になりましたので、来年からは年賀状を失礼させていただきます」という賀状が高校時代の恩師から届いたのが15年前。「80歳になりましたので、これで年賀状は終わりにさせてください」という4年前の賀状は、元大学教授から。「90歳になり、手が思うように動きませんので、年賀状はもう書きませんよ」という2年前のお電話は元大学舎監から。
 教え子が多い教育関係者は12月になると年賀状を書くのが大変だと思う。そのようなお知らせをいただき、淋しいとは思ったが、それは一瞬のこと。逆に、そのほうがよろしいと賛同した。
 ところで、私も70歳の大台に乗った。先輩の諸先生方に見倣い、思い切って、今後は年賀状をやめることにした。あらためて挨拶状を書くべきところだが、まずはこの場をお借りしてお知らせする次第である。タイ国民が喪に服しているので、私も同じく深く沈静している。