去年から、ドイツに住んでおられる日本人と知り合いになったので、少しはドイツのことを知ろうと思って、『5時に帰るドイツ人 5時から頑張る日本人』(熊谷徹著 SB新書 2017年10月)を買って来て読んだ。本の帯に、「なぜドイツは1年の4割しか働かなくても経済が絶好調なのか? 有休消化率100%以上 夏休み2週間以上 仕事の生産性は日本の1.5倍」にと書かれているが、内容もその通りであった。
著者は、こう書いている。ドイツ語には、日本語の「頑張る」に100%あてはまる言葉は存在しない。「結果はだめだったが、よく頑張った」という誉め言葉は有り得ないのだ。ドイツでは、結果が悪かったら、無駄な労働時間を費やしたとして批判されるだけ。
今年も余すところ1ヶ月になったので、来年に向けての働き方改革を練らなければならない。上記の書を読んでいると、「~のために骨を折って頑張る」、「骨身を削って」、「骨抜きにされる」という表現は、個人主義のドイツ人には関係ないと書いてあった。読書をしていても、骨折後だから、「骨」という漢字に異常なほど目が行く(笑)。
順調なタイ語教室
今年10月に泰日文化倶楽部は創立満29周年を迎えた。あと1年で30周年になるので、「よし、頑張るぞ」と自分に気合いを入れたにもかかわらず、階段を降りたところで着地に失敗。足の筋力が不足していたことが第一の原因だが、よくよく考えてみれば、長年の疲労がたまっていて、足のほうに疲労骨折があったようである。
やむなく1ヶ月余、戦線離脱をして教室を離れていたが、その間、タイ人講師は普段通り授業をやって下さり、生徒達はマイペースで通って来てくれたので、教室の運営が右往左往することは全くなかった。タイ人講師に掃除を頼んだり、生徒にごみ捨てをしてもらったので、教室が汚くなることはなく、普段通り実に順調に進んだ。
問題はタイ人講師達への講師料の支払いが遅れたことだけだ。いずれの先生達も気持ちよく待ってくださった。したがって、退院後の私の仕事は講師料計算であった。10月分と11月分の講師料を全員の先生にどうにか無事に渡すことができ、今朝は退院後、初めてほっとしている。
タイ語でリハビリは何と言うか
かつて何人かの生徒達を見舞った折りに、リハビリ中の姿を見たことがある。だが、その時には外部者として「ああ、やっているなあ」としか思わなかった。今回、自分がリハビリをする必要にみまわれ、そのリハビリの大切さを身に染みて感じ取った。
リハビリは、タイ語で言うと、「กายภาพบำบัด kaai-ya-phaap bambat」。กายภาพ(kaai-ya-phaap)を辞書で引くと、「無生物に関するもの」と書いているが、ここでは、กาย(体 kaai)+ ภาพ(状態 phaap)=体の状態と理解したい。そして、บำบัด(bambat)は、「治療する」という意味だから、前者と後者を併せると、「体の状態を治療する」となる。よって、リハビリという単語が生まれたわけだ。
リハビリは本当に重要である。専門の指導者につくと、リハビリの効果は確実に上がるはず。いずれにせよ、元気になろうという意欲の支えがなければ、回復は遅々として鈍る。
献血好きなタクシー運転手
退院してから9日が経過。電車に乗るのはまだ怖いので、タクシーばかりを利用している。一昨日、教室に行くために乗ったタクシーの運転手さんはちょっと異色な方であった。何故ならば、後部座席に座ると、助手席から客に見えるように小さな表彰状をパウチに入れてぶら下げていたからだ。「献血、100回を表彰する」という内容であった。
運転手は言った。「もう135回、献血していますよ。しかし、来月が最後になるんだ。1月が来ると70歳になるので、もう献血ができないんだよ。150回目にまた表彰状がもらえることになっているんだが….」
献血は男性の場合、69歳までであることを初めて知った。
「ところで、運転手さん、骨折したこと有りますか?」と、たずねると、「有るよ」と言って、すかさずハンドルから右手を離し、指を広げて見せた。薬指と小指が曲がっていた。医者へも行かず、リハビリもしなかったかららしい。献血は好きだけど、リハビリは嫌い。そんな感じの運転手さんだった。
病院で働く人々
病院は外来で行った時と入院した時とでは見えるものが違う。1ヶ月余の入院中、シフトで働く看護師達やヘルパーさん達の話し方に私は注目。そして、失礼を承知で数人に出身地をたずねてみた。
中年のヘルパーさんは、「盛岡。でももうずっと帰っていません」と答えた。
うろうろするおばあちゃんが見当たらないと、「あんれまあ。どこさ行ったべ」という福島県出身のヘルパーさん。
女児のように頭上の髪だけを束ね、あとは全部刈り上げているユニークな髪型の看護師の話し方は独特であった。宮古島の出身だとのこと。若い看護師は静岡県。「婚活したい」と言って、とても明るかった。私がタイ語を書いているのを見て、目をくるくるさせた。
お掃除のおばさんは中国人。67歳のおじさんはいつも明るい声で掃除と営繕を担当。大変そうと思っていたら、新しく青年が採用された。おじさんはその青年にいろいろなことを教えていた。ものすごく真面目な青年だ。今どきどこを探してもみつかりそうもないくらいの従順な青年。八王子から通って来ていると言う。彼のおかげで病院の廊下が急にピカピカになった。
物故者名簿
入院中、テレビも新聞も不要であった。スマホでネット検索ばかりしていると全く退屈しなかった。検索項目の一つとして、2015年から2017年の物故者名簿を見てみた。大学時代に教わったフランス文学の教授が今年3月に90歳で亡くなっておられることを知った。彼女のしなやかなスタイル、キリリと光るセンス、そして、「女性学」の一環として、フランス文学に登場する女性像を熱く語って聞かせてくださったのは50年前のこと。
物故者名簿には各界で著名な方達が載っているわけだが、どんなに著名であっても、書かれているのはわずかに2行。生年月日と死亡日、及び、何をしたかという肩書がほんの数文字で表されているだけだ。
それを見ながら、「どんな人であれ人生は2行なり」、と思った。そのうちの1行は生年月日と死亡日で埋まるから、あとの1行こそが勝負だ。濃い人生を行くか、淡々とした人生を選ぶか…..。いずれにせよ、1行なのだ。
神田川日記(22)
タイ文字の歌 บทกวี ของ มยรลว(MYRLW マ行/ヤ行/ラ行/ワ行)
มีสุขภาพแข็งแรงดี(健康な体を持ち)
ยาและหมอไม่จำเป็นเลย(薬も医者も全く不要)
รักสงบ เรียนเก่ง(静寂を愛し 懸命に学ぶ)
เล่นกีฬาอย่างสนุกสนาน(スポーツで楽しく体を動かし)
หวังว่าชีวิตมั่งมีและมั่นคง(豊かで安定性のある生活を望む)
今回の骨折で筋力の無さを痛感した。病気や怪我をして入院すると仕事ができないので収入減。医療費や入院費がかなりかかることも実感した。今後は、筋力+金力を蓄積し、さらには気力を常に維持し続けなければならない。猛省。
神田川日記(23)
タイ文字の歌 บทกวี ของ สศหอฮ(余行=SSHOH)
สามารทสิ่งที่ทำได้(やるべきことはやれるとも)
ศึกษาค้นคว้าความจริงของชีวิต(人生の真実を追求しよう)
ห้ามเกเร ต้องขยันเข้มแข็ง(怠けるな 勤勉であれ)
อยากเรียนรู้หลายอย่าง(いろいろなことを学びたい)
ฮวงจุ้ยกับโหราศาสตร์ก็น่าสนใจมาก(風水も占星術も面白そうだ)
入院中、多くのことを見聞した。そして、見舞いに来る患者の家族達や友人達を通して、彼らの過去や現在が観察できた。私はこれまで理屈重視で考えて来たが、世の中はそうそううまく行くものではないことを思い知った。私の場合は骨折だから、リハビリをしながら、ただひたすら骨がくっつくのを待つだけ….。退院して行く人、入院して来る人。いやもう、人間デパートだ。
神田川日記(24)
神田川沿いに在る病院は2階と3階が病室で、そこに40名ほどが入院していた。私は3階の大部屋にいたが、或る一人の男性が朝夕、洗面を終えたあと、必ず女性の大部屋に入ってこようとした。嫌らしい意味ではなくて、彼はどうやら方向感覚がつかめないようであった。洗面所で彼に会った時、私は尋ねてみた。「あのー、どこがお悪いのですか?」 すると、彼はすかさず答えた。「頭」
バイクの転倒で骨折した男性は別室にいる男性とよく話していた。聞くところによると、二人は過去、某会社で働いていた時の同僚だそうだ。病室の入り口に掲げられている名前がかなりユニークであったので、声をかけてみたところ元同僚と判明。奇遇!
バイクの男性は元ホテルマン。その後いろいろな職業を転戦し、現在に至っているとか。話が実に面白かったので、彼としゃべるのが楽しみであったが、ヘルパーさんから注意された。「吉川さん、異性とはしゃべらないように」
そう言われて、腰を痛めて動けないおばあちゃん達とは違って、私は女性として見られていたんだなあと気づくと、苦笑せざるを得なかった。
神田川日記(25)
ぎっくり腰で入院している男性(65歳)がいた。「家で家具を動かしていてぎっくり腰になっちまった。仕事は建設業。親方として働いているが、仕事の時は緊張しているから絶対に失敗が無い。これじゃあ、弟子達に笑われるよ。早く退院しないとえらいことになる。仕事がいっぱい。2020年の東京オリンピックまでは仕事がいっぱいだからね」
ある夜中、看護師達がバタバタした。「患者さんの容態が悪い。早く電極を! 家族を呼ばなくては…..」とか言いながら、その患者を個室に入れた。朝になって、その方が亡くなられてすぐに病院から運び出されたことを知った。病院にいても、死ぬときは死ぬ。そう思った。
カバンで向こう脛を骨折した女性はずっと個室に入っておられた。理由は会社の仕事をしておられたからだ。夜中になるとアメリカにいるご主人に電話。個室でないとできないことだ。私の場合は大部屋でおばあちゃん達の生きざまを観察。