南無大師遍照金剛

最近、私は早稲田から来た都電に乗って、飛鳥山で下車することが多い。停留所のすぐ横に祠が有って、小さな幟(のぼり)が20本ばかり立てられている。幟の地色は赤。そして、それには「南無大師遍照金剛」と書かれている。
 「南無大師遍照金剛」と言えば真言宗。幼い時からいつも耳にしていた唱え文句だ。飛鳥山に弘法大師! このコロナ禍に於いて、先が見えない毎日。この文言にすがることにしよう。
 調べてみると、「南無」とは、「私は帰依する」という意味だそうだ。タイ語では「นม/ นมะ / นโม」で、「尊敬、礼拝、合掌拝礼、南無、帰敬」(『タイ日辞典』 冨田竹二郎編纂より)
 一方、「遍照金剛」は、空海の灌頂名だそうだ。従って、「南無大師遍照金剛」とは、「大師であらせられる空海(弘法大師)に私は帰依する」ということになるとのこと。