新旧の教え子

昨日は46年ぶりのフルムーン+ハロウィーンの組み合わせで素晴らしい一日となった。さらにタイではローイカトン(灯篭流し)。そして私は74歳。めでたい、めでたい。
 昨日の生徒さんがこう言った。「僕が泰日文化倶楽部に入会したのは22年前。その時、先生は52歳だとおっしゃってました。今、僕は52歳。あの時の先生の年になりました」
 現役の生徒達からお祝いの言葉やプレゼントを頂き、とても嬉しかった。だが、昔の生徒達からもラインが届き、嬉しさは数倍に達した。
 一人一人の顔が浮かぶ。ただし、30年、40年前の生徒達だから、彼らも老けたはず。立派な家庭を築き、お子さん建ちを育てている親としての緊張した顔が見てみたい。
 いずれにせよ、辛口の教師であったからこそ、みんな覚えてくれているのだ。優しいだけでは教師ではない。

今日の作文

次なる文章をタイ語に訳し、さらに、もう一文、文章を続けて、話を展開させなさい。

1.① 料理が上手な奥さんを持つと、夫はとても幸せです。

2.① スポーツが得意な息子を持つと、親はとても嬉しいです。

3.① 着任したばかりの上司と気が合いません。
② 

4.① 彼は糖尿病です。したがって、食事制限が有ります。

5.① 来年の世界経済がどうなるのか、全く予想がつきません。

外国語の勉強

 生徒さんの中に日本語教師がおられるので、彼に尋ねてみた。
 「中国人に日本語を教えて、彼らの発音が日本人のようになりますか?」
 彼は答える前に顔を曇らせた。そして、「なりません」と小さな声で答えた。
 タイ語もそうである。いくらタイ人講師に習っても、タイ人と同じ発音ができるようになるわけではない。どんな言語も、母国語が邪魔するので完璧を目指すのは無理である。
 外国語の勉強は発音が良いにこしたことはないが、決して発音だけではない。読んだり書いたりする能力を鍛えるのも大切である。その国の言語を勉強することで、その国民のものの考え方を知ることができるようになることが肝心。そして、その外国語を交渉の場に於いて駆使できるようにまでならなければならない。
 生徒の皆さん、タイ人講師から受け身で習うのではなくて、タイ人講師の実力をタイ語で問いただすだけの迫力を持とう! バンコクしか知らないエリートのタイ人講師よりも、タイのあちらこちらを旅行している日本人のほうがタイ全体のことをよく知っていることが多々有りますからね。

テレビドラマ

 私はテレビドラマが好きではない。だから、大河ドラマ、時代劇、評判のシリーズもの、外国のドラマ、そして、時計代わりの朝ドラも見ないことにしている。
 理由はいろいろ。見る時間がもったいないことも一つだが、好きな俳優がいないことも関係している。とにかく現代物はワンパタン化しており、時代劇も勧善懲悪が明々白々である。
 脚本家の大御所であるあの橋田寿賀子さんが、コロナ禍における巣ごもりの日々、「相棒」の再放送を見ているという記事を読んだので、それでは私も見てみようと数本見たが、事件は次から次へとこれでもかこれでもかと変わるものの、キャストの動かし方はワンパタン化している。だが、視聴者にとってはそれこそが安心の素なのであろう。
 来月から数ヶ月、私が住んでいるマンションにテレビのロケ隊がやって来る。好きな俳優ではないが、ひょっとしたらそのドラマを見るかもしれない。放送は正月明けからだそうだ。

今日の宿題

次なる単語をタイ語で書いてみよう。

1) ラジオ / テレビ / 新聞 / スマートフォン

2) 陸軍 / 海軍 / 空軍 / 防衛省

3) 北部 / 中部 / 南部 / 東北部

4) 貯金 / 金を下ろす / 融資する / 借金返済

5) 高卒 / 学士 / 修士 / 博士 

6) 生 / 老 / 病 / 死

7) 喜 / 怒   / 哀  / 楽

美しく生きよう!

 先週の土曜日、華道講師に尋ねた。
 「どうすれば、上手に花を生けられるようになりますか?」
 性格がさっぱりとした講師は即座に答えられた。
 「美しいものをたくさん見ることですね」
 一方、茶道講師は稽古中にいつも同じことを注意なさる。
 「順番を間違えても大丈夫。あくまでも所作が美しくなければなりません」
 昨日、すでに鬼籍に入ってしまった歌舞伎役者二人の踊りをテレビの再放送で見た。とても軽やかでいて、力強い舞いであった。幼少期から稽古、また稽古の日々を送って来た彼ら。手足の動きに魅せられた。
 「美しく生きる」とは、時々、とってつけたように意識するのではなくて、日々の研鑽そのものから生まれる。
 いずれにせよ、凡人には難しい。とりあえずは、「天高く馬肥ゆる秋」を掲げ、美味しいものを食べてから、美の扉を開こうではないか。
 

on(上)よりも、in(中)がいい

大学の授業の「オンライン online」に対して賛否両論が有る。対面授業が良いに決まっているが、コロナ後の時代はおそらくオンライン化が進んでいることであろう。だが、勉強は何と言っても「教室の中」がよろしい。次なる意見は私の風刺評である。

1.”on”は、英語で、go on(続ける)、keep on (続けて)、on and on (どんどん)という表現が有り、事態が流れていく感じがする。つまり、流れ流れて行くだけで、一つのところに留まらない。
2.日本語で、「うわずった声(=上擦った声」とか、「言葉が上滑りする」とかいうが、決していい意味の表現ではない。
3.「上」という漢字に、一本の棒を立てると、「止」になり、思考停止にもなりかねない。
4.胃や腹の上に食べ物を置いても、栄養は吸収されない。腐るだけである。口から中に入れてこそ、臓腑に到達し、初めてエネルギーの元になり得る。
5.したがって、on(上)よりも、in(中)のほうがいい。「中」という漢字はバランスがよく、とても安定している。

今日の宿題

今日は、「มือ 手」を使った表現のうちから、覚えていたほうがいいと思うものを以下に列挙します。辞書をみないで訳してみてください。

1.ทางขวามือ2.นิ้วชี้มือซ้าย3.ฝ่ามือ4.แบมือ
 
5.ลงมือ    6.วางมือ  7.ตบมือ8.ปรบมือ

9.กวักมือ10.จูงมือ 11.จับมือ12.กำมือ

13.คู่มือ14.เครื่องมือ15.เจ้ามือ16.ฝีมือ

17.ลายมือ 18.หัวแม่มือ19.มืออาชีพ20.มือเปล่า

シジュウカラ語

昨日、日本野鳥の会東京支部から『ユリカモメ 2020年11月号』が届いた。その中に、平中直也氏による「Covid Quarantine Birding 第5回」として、シジュウカラの言語能力に関する記述が有った。氏は<僕の勝手な想像&妄想>と前置きしながらも、次なることを書いておられる。
 ーー シジュウカラ語では、鳥類は自我を持ってないから、たぶん主語はYouとItに相当するものだけしかない。形容詞はたぶん少なくて、甘い/苦い、明るい/暗い、安全だ/ヤバイ、といった最低限の単語だけでしょう。よってシジュウカラ語では、主に名詞と動詞と形容詞の組み合わせで言語が成立している。
 例: 「木の実」+「甘い」+「こっち来い」→ 食事
「ヘビ」+「来る」+「ヤバイ」→ 警告
「メス」+「可愛い」+「こっち来い」→ 欲望

 こういうのを知ると、単純なる言語交換の世界に戻りたくなる。人間が使う言語はあまりにも煩雑で、使い方が偏向しすぎている。「俯瞰的」という表現、実に玉虫色だ。