1945年から75年

 今日は終戦から75年。戦後生まれの私には悲惨な経験が無いから戦争のことを語る資格はない。戦争のことを勉強したわけでもなく、なんだか安穏と生きて来た気がする。だが、戦後50年から75年の25年間は特に早く過ぎ去った気がする。世の中の動きが国内外を問わず、あまりにも目まぐるしすぎるからだ。
 昨日、『オキナワと少年』(伊佐千尋著 講談社 2006年)を読んだ。表紙につけられた本の帯には次のように書かれてあった。
ー 命(ぬち)どぅ宝、生きていてこそ。 沖縄の戦前、戦中、戦後を駆け抜けた少年仁(まさし)の切なくも希望に満ちた清新な物語。
ー 1941年 仁はおない年の信とガジュマルやデイゴの花に囲まれた野山へ昆虫採集に出かけた。サファイヤ・ブルーの海を眺めているだけで毎日が楽しかった。
ー 1945年 米軍はガソリンを壕の入り口から流し込み、火炎放射器を使って火の海にした。だが外へ出れば迫撃砲の集中攻撃が待っている。
 著者の伊佐氏は2018年に逝去されている。ご自身の体験から書き残された文章には全く虚飾が見られなかった。

ドイツ便り

 昨日、ドイツ在住の友人から熱暑見舞いのメールが届いた。
 「夏休暇にスペイン、ポルトガルの島でどんちゃん騒ぎをした連中が帰国し、今2週間後に発病という最悪の状態です。政府の強い規制がないため、このような連中が戻り、コロナ菌を撒き散らしているということは、真面目にコロナ対策を励行し自粛している人々にとって実に許せぬ行為です。まあ、何処の国にも居る輩ですが」
 これを読んで、友人(70歳代後半)の気持ちがよくわかった。ドイツも同じなんだ…. 。
 それにしても、家で自粛し、読書ばかりしていても退屈至極。かと言って、この猛暑では外出は無理。コロナ禍が始まってすでに半年以上が経過した。焦りは禁物だが、なんとか有意義に過ごしたいものだ。
 先日、ふらりと入った早稲田の古本屋のご主人は古本のほこりをはたき、黙々と頑張っておられた。創業は1966年。ご主人は63歳位。どうやら2代目らしい。コロナも猛暑も超えて、一筋の道を行く姿が印象的であった。
 

今日の宿題

 以下の単語を自力で書いてみましょう。辞書で調べるのは、答え合わせの時だけにしてください。

1. 泣く        笑う       微笑む

2. 解体する      建設する     修理する

3. 借りる       貸す(無利子)  融資する

4. 助ける       援助する     支援する

5. お金を預ける    お金をおろす   お金を隠す

6. 無視する      注目する         

7. 否定する      同意する

8. 拘束される     釈放される

今日の宿題

 夏休み中だが、タイ語作文をしてみよう。

1. 一日中、家にいても、将来に対する新たなる考えが思いつかない。

2. 一日中、家事ばかりしていると、主婦達はストレスになっていく。

3. 働くばかりの人生はつまらない。

4. いくら本を読んでも、作家になれるわけではない。

5. どんなに貯金通帳を眺めたところで、残高が増えるわけではない。

6. 毎日、きちんと薬を服用しても、病気はすぐには治らない。

7. いずれにせよ、この猛暑を乗り切ることが肝要だ。

穴太衆(あのうしゅう)

 昨日、大津在住の従姉にラインで暑中見舞いを伝えた。その際、丸亀の実家に残してある庭石を丸亀城の石垣の修復に供出することを知らせると、彼女から次なる返事が来た。
 「実は去年の暮れに丸亀城の石垣修理については、穴太衆親方の奥さんから聞いていました。穴太衆は、大津の坂本にある城の石垣造りの集団です。もう何百年も代々受け継がれ、私の知人の家も10何代も続いています。彼女から主人は今、弘前城の石垣修理に行っているが、次は丸亀城に行く予定だと聞いていました。その穴太衆に敬子さんの家の石が使われるとは驚き! これから何百年も~ 本当に嬉しいです」
 私は早速、「穴太衆」をネットで調べ、貴重なる知識をたくさん得た。最近は海外からも石垣を造ってほしいという仕事が舞い込むとのこと。悠久なる歴史は石垣で守られる…..。
 この話を、目下、リモートワークのため大津に帰っておられる生徒さんに知らせると、「僕の家はその穴太衆がある隣りの町に在ります。話がみんな、繋がっていますね」と言ってくださった。

タイ語でストレス解消

 もう一年以上、個人レッスンに通って来られている女性がおられる。
 私は彼女に言った。「8月はご自由にお休みしてかまいませんよ。レッスン代もばかになりませんから」
 「大丈夫です」と、彼女はきっぱりと答えた。
 「ところで、あなたのストレス解消法は何ですか?」と私は尋ねた。
 「タイ語の勉強です!」 彼女は一段と高い声で答えた。
 それを聞いて、私は嬉しくなった。彼女の熱意に応えてあげなければ!
 ひるがえって、自分のストレス解消法は何かと自問した。
 「タイ語を教えている時が一番楽しい。それがすなわちストレス解消になっている」
 タイ語を習う生徒とタイ語を教える教師が、共にタイ語という媒体でストレスを解消し、二人とも歓びを感じる90分間。得難い時間だ。

高田馬場の和菓子店

 昨日、教室の近くにある和菓子店へ行った。そこはアトム君がこぶしを盛り上げている看板を店頭に置いてある。何故ならば、昔、道路を隔てた反対側のビルに手塚治虫さんのスタジオが有ったからだ。
 店内に入ると、<90周年記念のどら焼き>というのが目に飛び込んできた。「これは縁起がいい。是非買わないと」と、すかさず思った。
 「あと、何年で百周年ですか?」と、私は店主に尋ねた。
 「あと、5年です。しかし、さあ、どうですかねえ。お菓子、売れないんですよ」と、店主。
 それを聞いて、コロナが影響しているからという方向に、私は話を持って行きたくはなかった。だが、コロナ禍で茶道教室もお稽古がストップしているから、店主の気持ちは痛々しいまでによくわかる。
 昨日の朝、鮫洲からお花を運んで来てくださった花店の店員とやはり会話をした。学校が休みなので花がさばけないとのこと。しかし、皇室にもお花をお届けしているその花店の彼は謙虚に言った。
 「こうして少しでもお花を買っていただき、本当に助かります」

真夏の生け花

 今日8月8日(土曜日)、通常の授業を終えれば、22日までの2週間、夏休みに入る。6月、7月と無事に授業が実施できたことに安堵している。
 華道講師に、「8月のお稽古はお休みにいたしましょうか?」と打診したところ、「いいえ、生徒さんが二人であろうと教えに参ります」という意欲的なお返事をいただいたので、今日は生け花クラスも実施する。
 参加者の中に、新しい方がおられる。「母が生け花をやっていました」と彼女。それを聞いて、昔の女性は、花やお茶を習っていたなあと思った。子供の頃に母親が花を生ける姿を見て育っている人は男女を問わず多いと思う。
 習う姿、学ぶ姿は大切である。何かの折りに、ふとやってみようかなあという気持ちになれる。
 生け花クラスは2007年から月1回の割合で実施して来たが、鋏の先がこぼれ出した。そこで新たに鋏を注文してある。花と鉄との闘い、それは、14年目にして、花に軍配が上がった。

日本最古のりんごの木

 先月、定年退職をされ、故郷である青森県つがる市へ帰って行かれた元管理員さんからメロンが届いたので、御礼の電話をかけた。
 「ネットの地図で見たのですが、つがる市には日本最古のりんごの木が有るんですね。一度、見に行きたいです」
 すると、彼は面白い情報を教えてくださった。
 「毎年100個くらい、りんごがなります。それを9月の敬老の日に介護施設に持って行って、お年寄りに配るんです」
 ネット情報に拠ると、その日本最古のりんごの木は1878年(明治11年)に植えられたものであり、今でも3本、残っているとのこと。りんごの木の寿命は平均50年。なんともう142年も生きている。1918年~1920年のスペイン風にも負けることなく!
 日本最古の木のりんごを食べるお年寄り達は、どんなに頑張ってもそのりんごの木の生命力には及ばない。だが、気持ちだけは体のどこかに浸透していくであろう。
 

祈りの日

 タイ語に翻訳してみよう。

1. 1945年8月6日、広島に原爆が投下された。

2. あれから75年が経過した。

3. 今年の統計に拠ると、原爆で亡くなられた方は、32万人を超えた。

4. 被爆者の平均年齢は83歳を超えた。

5. 広島の人々の気持ちは、長崎県を除く他県の人々が理解しようとしても理解できるものではない。

6. 唯一できることは、合掌してひたすら祈りを捧げ、平和を願うことだ。