穴太衆(あのうしゅう)

昨日、大津在住の従姉にラインで暑中見舞いを伝えた。その際、丸亀の実家に残してある庭石を丸亀城の石垣の修復に供出することを知らせると、彼女から次なる返事が来た。
 「実は去年の暮れに丸亀城の石垣修理については、穴太衆親方の奥さんから聞いていました。穴太衆は、大津の坂本にある城の石垣造りの集団です。もう何百年も代々受け継がれ、私の知人の家も10何代も続いています。彼女から主人は今、弘前城の石垣修理に行っているが、次は丸亀城に行く予定だと聞いていました。その穴太衆に敬子さんの家の石が使われるとは驚き! これから何百年も~ 本当に嬉しいです」
 私は早速、「穴太衆」をネットで調べ、貴重なる知識をたくさん得た。最近は海外からも石垣を造ってほしいという仕事が舞い込むとのこと。悠久なる歴史は石垣で守られる…..。
 この話を、目下、リモートワークのため大津に帰っておられる生徒さんに知らせると、「僕の家はその穴太衆がある隣りの町に在ります。話がみんな、繋がっていますね」と言ってくださった。

タイ語でストレス解消

もう一年以上、個人レッスンに通って来られている女性がおられる。
 私は彼女に言った。「8月はご自由にお休みしてかまいませんよ。レッスン代もばかになりませんから」
 「大丈夫です」と、彼女はきっぱりと答えた。
 「ところで、あなたのストレス解消法は何ですか?」と私は尋ねた。
 「タイ語の勉強です!」 彼女は一段と高い声で答えた。
 それを聞いて、私は嬉しくなった。彼女の熱意に応えてあげなければ!
 ひるがえって、自分のストレス解消法は何かと自問した。
 「タイ語を教えている時が一番楽しい。それがすなわちストレス解消になっている」
 タイ語を習う生徒とタイ語を教える教師が、共にタイ語という媒体でストレスを解消し、二人とも歓びを感じる90分間。得難い時間だ。

高田馬場の和菓子店

昨日、教室の近くにある和菓子店へ行った。そこはアトム君がこぶしを盛り上げている看板を店頭に置いてある。何故ならば、昔、道路を隔てた反対側のビルに手塚治虫さんのスタジオが有ったからだ。
 店内に入ると、<90周年記念のどら焼き>というのが目に飛び込んできた。「これは縁起がいい。是非買わないと」と、思った。
 「あと、何年で百周年ですか?」と、私は店主に尋ねた。
 「あと、5年です。しかし、さあ、どうですかねえ。お菓子、売れないんですよ」と、店主。
 それを聞いて、コロナが影響しているからという方向に、私は話を持って行きたくはなかった。だが、コロナ禍で茶道教室もお稽古がストップしているから、お店の気持ちは痛々しいまでによくわかる。
 昨日の朝、鮫洲からお花を運んで来てくださった花店の店員とやはり会話をした。学校が休みなので花がさばけないとのこと。しかし、皇室にもお花を届けているその花店の彼は謙虚に言った。「こうして少しでもお花を買っていただき、本当に助かります」、

真夏の生け花

今日8月8日(土曜日)、通常の授業を終えれば、22日までの2週間、夏休みに入る。6月、7月と無事に授業が実施できたことに安堵している。
 華道講師に、「8月のお稽古はお休みにいたしましょうか?」と打診したところ、「いいえ、生徒さんが二人であろうと教えに参ります」という意欲的なお返事をいただいたので、今日は生け花クラスも実施する。
 参加者の中に、新しい方がおられる。「母が生け花をやっていました」と彼女。それを聞いて、昔の女性は、花やお茶を習っていたなあと思った。子供の頃に母親が花を生ける姿を見て育っている人は男女を問わず多いと思う。
 習う姿、学ぶ姿は大切である。何かの折りに、ふとやってみようかなあという気持ちになれる。
 生け花クラスは2007年から月1回の割合で実施して来たが、鋏の先がこぼれ出した。そこで新たに鋏を注文してある。花と鉄との闘い、それは、14年目にして、花に軍配が上がった。

日本最古のりんごの木

先月、定年退職をされ、故郷である青森県つがる市へ帰って行かれた元管理員さんからメロンが届いたので、御礼の電話をかけた。
 「ネットの地図で見たのですが、つがる市には日本最古のりんごの木が有るんですね。一度、見に行きたいです」
 すると、彼は面白い情報を教えてくださった。
 「毎年100個くらい、りんごがなります。それを9月の敬老の日に介護施設に持って行って、お年寄りに配るんです」
 ネット情報に拠ると、その日本最古のりんごの木は1878年(明治11年)に植えられたものであり、今でも3本、残っているとのこと。りんごの木の寿命は平均50年。なんともう142年も生きている。1918年~1920年のスペイン風にも負けることなく!
 日本最古の木のりんごを食べるお年寄り達は、どんなに頑張ってもそのりんごの木の生命力には及ばない。だが、気持ちだけは体のどこかに浸透していくであろう。

祈りの日

タイ語に翻訳してみよう。

1. 1945年8月6日、広島に原爆が投下された。

2. あれから75年が経過した。

3. 今年の統計に拠ると、原爆で亡くなられた方は、32万人を超えた。

4. 被爆者の平均年齢は83歳を超えた。

5. 広島の人々の気持ちは、長崎県を除く他県の人々が理解しようとしても理解できるものではない。

6. 唯一できることは、合掌してひたすら祈りを捧げ、平和を願うことだ。

職人の悲鳴

今朝、民放の経済ニュースで、都内で一番大きな三味線製造会社の社長が苦しい胸の内を吐露して閉業を決意した経緯が報道された。社員として働いている職人達は彼らの技術を後世に伝えて行きたいのにと、寂しそうであった。
 やはり都内で鞄を造っている有名な会社にも鞄の注文が入らない。だが、じっとしてはダメだと思い、端切れ皮で鼻緒を縫い、草履にすげていた。オシャレでなかなかによかった。
 神田川沿いにはまだ染色工房が残っており、東京オリンピック2020のPRのために染め上げられたスカーフがそこで製造されたが、おそらく注文はストップしていることであろう。
 約2年前、富山県の高岡市に行った時、落ち着いた雰囲気に接し、さすが職人の町だと思ったが、鐘や仏具の注文も減少しているに違いない。
 日本伝統の工芸の技術を伝承して行くには、忍耐だけではもうもたない。文化庁のお役人さんよ、しっかり考えて!

「งานอดิเรก 趣味」というタイ語

『知的熟年ライフの作り方』(小山慶太著 講談社現代新書 2000年)の序章のタイトルは、「学問のすすめ」から「楽問のすすめ」へ、と書かれている。時間がたっぷりある熟年世代に向かって、学ぶことの楽しさを示唆しており、参考にしたい箇所が多々、有った。学問ではなくて、楽しく学ぶ趣味的なものでよいというのであれば気が楽だ。
 タイ語で趣味は「งานอดิเรก」という。「อดิเรก」だけでもよい。文字から見て、サンスクリット、パーリ語からの単語であることはわかる。
 ひるがえってもう一度、この単語の成り立ち方を辞書で調べると、อดิ(adi)は元々は อติ(ati)であり、「特別の、極めて、甚だ、多い、卓越せる、過ぎ去った」という意味を有する。そして、เรก(reek)は元々は เอก(eek)であり、「一、第一」の意味が有る。大学関係で使われる場合は「専攻」になる。
 まとめると、タイ語で使われる趣味という単語は、「特別に専攻する」ということであり、งานอดิเรกと言えば、「特別に専攻する仕事」となる。単なる趣味だと気楽に言っておられなくなった。楽しみの中に卓越性を求めることが問われているわけだ。

今日の宿題

タイ語作文=誤字・脱字に気をつけ、頑張って書いてみよう。

1. タイ語の生徒達にとって、タイの月名のうち、8月だけは一番覚えやすいようだ。

2. 理由は、タイで有名なビールの名前と発音が近いからだ。

3. 個人レッスンの生徒が、出勤中、自転車にぶつけられた。だが、自転車に乗っていた人は逃げた。

4. 彼女は何が起きたのか、当初、全く気がづかなかったそうだ。

5. しかし、右手の甲が腫れてきて、色も変わってきた。

6. 一週間後、彼女は階段で転び、捻挫した。だから、授業は休んだ。

7. コロナに感染するのも怖いが、交通事故や不慮の怪我も怖い。とにかく気をつけよう。

或る小説批評

 昨日、親戚の女性(私と同い年)から、ミニ小説本が送られて来た。
 「また作りました! よろしくお願いします」
 私はすかさず読んで、すぐに批評を書いて、LINEで知らせた。

 「第一話について= 西洋の寓話と仏教の輪廻転生がうまく融合したような筋の展開で、読者を飽きさせることがありませんね。終りが無い物語として、先が楽しみになりました。人間の本性である強欲と業が、明るく、読みやすく描写されています」
 「第二話について= この作品も一気呵成に読ませていただきました。とにかく読みやすいです。心理描写も上手です。無意識の流れが読者をぐいぐいと引っ張って行きます。あなたの書くエネルギーに乾杯! 前回、頂戴した作品よりも、より文学作品としての艶が感じ取れました。書き続けておられる持続力、、刺激になりました」
 彼女から返信が来た。「もう、なんとお返事していいかわかりません。私はただ書きたいだけで、自分が楽しみながら書いているだけで、計算がありませんから、構造的にしっかりしているかどうか、わかりません。こんな丁寧な批評を頂けてうれしいです。ありがとう」