謹賀新年 2020

明けましておめでとうございます。
 本年も泰日文化倶楽部を何卒よろしくお願い申し上げます。

 今年は子年。小回りをきかせて、コツコツと頑張りましょう。
 ขื่อ と ชู の発音にも注意して、チューチューと言いましょう。

 私の友人が2名、還暦を迎えます。経験豊かなネズミさんです。
 いろいろと教えていただいております。
 他者から教わることは成長の証しです。
 素直に学ぶ姿勢を持って、2020年を楽しく送りましょう。

2019年の思い出

2019年もついに大晦日を迎えた。泰日文化倶楽部はタイ人講師達にも生徒達にも恵まれて、今年一年、順調に授業を展開することができたので全く言うことなしであった。
 今年、知人が5名、鬼籍に入られた。しかし、友人2名のところに男のお孫さんが生まれ、前中国人講師が玉のような大きな男の子を産んだ。5名から3名を引くと2名。2名マイナスだ。ニュースによると、死亡者数が134万4千人。それに対して新生児が90万人を切ったとのこと。私の知人関係の死亡数と誕生数のプラマイもどうやらこれに比例している。
 令和元年の初日、私は中国山地を縫って走る電車の中にいた。自然を眺めて落ち着きを取り戻した。そして、10月、青森市へ仕事に行った折り、仕事が早く終わったので八甲田山に登った。登ったといってもケーブルカーでだが…..。散策コースを30分歩き、いろいろな植物を眺めた。今頃は雪の下でひっそりとしていることであろう。
 冬に耐える。この精神を学んだ。

今年最後の宿題

またしても『世紀末からの出発』(山崎正和著 文藝春秋刊 1995)から出題する。引用する章のタイトルは「自由と安定の新しい調和」である。

 1.人間の本性として、われわれには二つのたがいに矛盾し、対立する欲望がある。一つは個人として自由でありたいという欲望であるが、しかし、もう一つ、生物として安定した生活を守りたいという欲望も抜きがたく強い。

 2.安定への欲望は、具体的には個人がある定まった集団に属していることによって支えられる。暮らし方としては、なるべく長く同じ土地に安住すること、先祖からの伝統と習慣に従って、常識的な生活を送るということが無言の安心をあたえてくれる。

 3.もうひとつの自由の喜びは、もちろん、個人が他人に煩わされず、自分の意志によって生きていくことからあたえられる。好きなところへいつでも移動すること、日々の勤勉よりは冒険を求めること、何か新しいものを発明、発見すること、そういう行動によって人びとは自由を味わう。

道行コート

先週、谷中の夕焼け段々の横に在る着物の古着屋へ行った。母親が50年前にあつらえてくれた道行コートはあまりにも小さくて、さすがに外に着て出かけることがはばかれる。古着屋のHPを見ていたら、私のサイズにぴったりの品物が紹介されていたので、早速行ってみたというわけだ。
 HPで見たよりも色目は違っていたが、試着してみたところとても着やすかったので、即購入。
 何よりも嬉しかったのは裏地の模様であった。小粒の唐辛子がたくさん散りばめられており、なんだかピリピリ感が伝わって来て、縁起の良さを覚えた。
 着物の世界を覗くと、日本古来のいろいろな知恵が授けられる。四季にも敏感になるし、色の組み合わせにも関心が行くようになった。それが、見える表側だけではなくて、見えない裏側にも……。

スルー と ブルー

今月、「忘年会スルー」という言葉をよく聞いた。その気持ちはよくわかる。そして、「年賀状スルー」もわかる。行きたくなければ不参加、そして、書きたくなければ書かない。それでもいいと思う。
 今週のテレビは、「帰省ブルー」をテーマにしている話題が多い。年末年始にご主人の実家へ行くのがうっとおしいというわけだ。毎年のことだと、経済的にも精神的にも肉体的にも大変である。
 ところで、日本語でブルーやスルーと書くと、もはや和製英語になっているが、英語で書くと、blue であり、through である。同じ「ウー」という母音でも、英語の綴りは全く異なる。
 タイ語を習っている生徒達はタイ語の綴りが難しいと言う。しかしながら、英語の表記のほうがはるかに多岐にわたっているから、もっと難しいのである。
 1.you (ユー あなた)  2.who(フー 誰) 3.crew(クルー 乗組員) 4.cruise(クルーズ 客船の旅) 5.moon(ムーン 月) 6.canoe(カヌー)7.music(ミュージック 音楽) 8.humid(ヒューミッド 湿っぽい) 9.glue(グルー 接着剤) 10.pooh(プー 熊のプーさん)

今日の宿題

『世紀末からの出発』(山崎正和 文藝春秋刊)は1995年10月に発行された本である。山崎氏が諸新聞に書いた文章に加筆した内容であるが、4半世紀前の世相、特に世紀末に対する欧米をも含めた彼の総括を読んで、当時のことが鮮明に思い出される。
 以下はこの本の冒頭部分である。タイ語に訳してみよう。

 一九九五年は、日本にとって、「戦後五十年」を記念する年になるが、これはたまたま世界にとっては二十世紀の終わり、二十一世紀まであと五年を残す年にあたる。日本人にとっては、独特の感慨をおびて思い出される半世紀であるが、はたしてそれは世界の地平の上で、どのような意味を持っているのだろうか。「戦後五十年」という関心のあり方そのものが、ひょっとすると、またしても日本人の閉鎖的な心理を表しているのかもしれない。

タイの軽井沢

昨日、大塚駅近くの路地の中を歩いていると、威勢のいい魚屋を見つけた。関さば(大分県)の刺身が新鮮そのものであったので購入。帰宅してすぐに食べた。肉厚で美味しかった。
 関さばを食べたからというわけでもないが、元生徒の関さん(指揮者・琵琶の演奏者)を思い出したので、彼にクリスマスの写真をラインで送った。すると、すかさず返信が有った。
 彼は台湾の烏来で温泉につかった後、タイへ飛び、そして、自分で車を運転してカオヤイ国立公園の中のテント・ホテル(1泊1万円相当)に投宿したばかりとのことであった。
 「最近できたばかりのようです。テントの中はエアコンもあって快適です。シャワーの水の出があまりよくないですが、間に合う程度で大丈夫です」
 彼は、ハンモックでくつろぐ姿や、ビア・シンとタイ料理の写真を送って来て、「カオヤイはタイの軽井沢なんだそうです」と結んでいた。

高田馬場の新規喫茶店

昨日、掃除のために教室へ行った。すぐ近くに喫茶店が新規開店していた。そこは昔、レトロな純喫茶であった。その店を私はよく利用した。しかし、次第に客足が遠のき、客は私一人という日が多くなった。そして、ついに閉店。
 そのあとには居酒屋が出来た。生徒達とよく行ったものだ。これは10年前の話。その居酒屋は高田馬場2丁目にも在ったので、高田馬場3丁目のこの支店はいつしか閉店し統合された。
 居酒屋の次は串カツ屋になった。一度も入ったことがないまま潰れていた。閉店の挨拶も見たことがなければ、喫茶店にリフォームしているのにも全く気がつかなかった。都会の店の変貌はあまりにも早い。
 いずれにせよ、再び喫茶店に生まれ変わってくれたことが、私にとっては嬉しい。名古屋スタイルの喫茶店だ。どうにか頑張って10年は持ちこたえてほしい。

年末の可愛いお客様

12月は仕事というよりも来客で忙しかった。ドイツから来日された友人の息子さんはまるで我が子のようであった。何故ならば、毎年、我が家にやって来てくれるからである。そして、札幌在住の元生徒さんが来られた時は、まるで留学中の娘が帰って来たかのよう……。というのもここ数年、お会いしていなかったから。
 ところで、年末年始、必ず我が家で過ごすタイ人ファミリーが今年も到着。深夜便でやって来るということであったので、私は午前6時から受入れ態勢を整えていた。
 午前8時15分、まず坊やが部屋に入って来て、「こんにちは!」と明るく弾むように私に挨拶をした。私は「おはようございます!」と応じた。しかし、坊やはキョトンとした。何故ならば、彼の少ない日本語の語彙には「おはようございます」がなかったからである。
 「こんにちは」と言ってあげたほうがよかったのにと私は反省したが、ついつい語学教師の矯正心が出てしまった。

Sur la Colline (丘の上で)

昨日は冬至であった。茶道仲間とカボチャ(南瓜)を食べた。今日から昼間の時間が少しずつ長くなることが嬉しい。
 夜7時半からマンション住民達と忘年会をした。まず最初、フランスのシャンペンで乾杯し、そのあと、幹事が彼の叔父様が造っているという韮崎のワインを開けた。
 「叔父は山梨のブドウでは満足せず、わざわざフランスから仕入れたブドウをワインにしております。しかし、それだけでは美味しいワインはできません。やはり、醸造所の壁についた古くからの菌が必要だと思います」と、幹事。
 ワインの名前は<Sur la Colline>。その意味は「丘の上で」。集まった住民は一人の女性を除き、皆さん70歳以上。
 アルゼンチンやイタリアのワインも持ち込まれ、それはそれで美味なる味であったが、私は日本人が頑張って造っている韮崎のワインに惹かれた。何故ならば、我々はもう高い山に登る年齢ではない。「丘の上で」を呑みながら、来し方、そして、今後の行く末をとりとめもなくおしゃべりするのが丁度よい。