智頭急行

4月28日13時43分、岡山駅から「スーパーいなば7号」に乗って鳥取へ行った。津山を通過するものと思っていたら、そうではなかった。JRの因美線山郷駅から智頭(ちず)急行と若という路線で行くということを初めて知った。
 調べてみると、智頭急行は1986年にできた第三セクターであった。中国山地の山間(やまあい)の新緑とせせらぎが美しかった。そして何よりも興味を覚えたのは、「宮本武蔵」という駅を通過したことだ。宮本武蔵の生誕地とのこと。
 智頭急行の路線の駅名の中には「恋山形」というのが有る。これは若いカップルに似合いそうだ。
 ところで、智頭急行の智頭駅は、「ちず」と表記し、智頭町の町名は「ちづ」と表記することになっていることを知り、どことなく奇異を覚える。
 「ず zu」と「づ du」は、発音上、区別がつかない。「じ ji 寺」と「ぢ di 痔」を区別して発音できないのと同じかな?

恩師と生徒

4月29日午後3時34分、鳥取駅到着。48年前に初めて観光で来た鳥取駅舎は昔の国鉄時代のものであったから、暗くて寂しい感じがしたのを今でも鮮明に覚えている。現在の駅はどこにでも見られる駅になっていた。
 2度目は18年前、元生徒A氏の結婚式に参列のため、飛行機で鳥取へ。そして、今回は3度目。だが、悲しいかな、元生徒B氏の奥様(享年47歳)のご葬儀に参列。
 通夜の時、導師(浄土真宗)は次なる話をされた。「私は10年前まで高校の教師をしておりました。仏は私の教え子であります」
 それを聞いて、そのようなかたちの再会という因縁について私には深く思うところがあった。
 恩師が導師として元生徒を読経で葬送する。棺の中の彼女は安心しきったお顔をしておられた。

智頭急行

4月28日13時43分、岡山駅から「スーパーいなば7号」に乗って鳥取へ行った。津山を通過するものと思っていたら、そうではなかった。JRの山陽本線を経て因美線に入り、山郷駅から智頭(ちず)急行と若桜鉄道という路線で行くということを初めて知った。
 調べてみると、智頭急行は1986年にできた第三セクターであった。中国山地の山間(やまあい)の新緑とせせらぎが美しかった。そして何よりも興味を覚えたのは、「宮本武蔵」という駅を通過したことだ。宮本武蔵の生誕地とのこと。
 智頭急行の路線の駅名の中には「恋山形」というのが有る。これは若いカップルに似合いそうだ。
 ところで、智頭急行の智頭駅は、「ちず」と表記し、智頭町の町名は「ちづ」と表記することになっていることを知り、どことなく奇異を覚える。
 「ず zu」と「づ du」は、発音上、区別がつかない。「じ ji 寺」と「ぢ di 痔」を区別して発音できないのと同じかな?

新幹線ひかり

4月29日7時6分、東京駅から岡山行きのひかりに乗った。本当はのぞみに乗りたかったが、黄金週間なので指定席が取れなかった。しかし、それがかえってよかった。何故ならば、停車駅ごとに外国人の旅行客が入れ代わり立ち替わり乗り降りしてきて、いつものひかり号とは雰囲気が異なっていたからだ。
 静岡に停車した時、後ろの席の女性が隣りの欧米人に向かって、「私は浜松で降ります。ですから、席を替わってください」と言っている。だが外国人は何のことかわからず、座席のテーブルの上にPCを置いたまま、じっと画面を見ている。
 75歳位のその女性は何度も同じことを言った。彼女としては、浜松に着く前に降りる準備をしたいわけだ。
 そこで、私が通訳をした。すると、欧米人は立ち上がってすぐに席を交替してあげた。外国の旅行客へのおもてなしというよりも、日本人のための通訳が必要だ。