夏目漱石の英語教師像

 『随筆 一隅の記』(野上弥生子著 新潮社 昭和43年)の中に、「夏目先生の思い出」という章がある。野上女史は懇意にしていた田辺元氏(哲学者)が一高時代に漱石から英語を教わったことを知り、漱石先生に対する印象を尋ねたくだりを次のように紹介している。
 [学力はすばらしいと思った。けれども、非常に冷淡で、生徒に対しても親身でなかった。つまり、ほんとうに身を入れて教えてくれるという熱意がなくて、ぼくはいやでした。嫌いな教師でした]
 野上女史は御主人である野上氏を通じて、<漱石山房>のことをよく知っていたし、直接、漱石に会ったことも5~6回有るそうだ。田辺氏の漱石先生に対する率直な感想を聞いて、彼女なりにそれを肯定的に受け止めている。
 語学は人に教わるのは20%程度に抑え、あとは自分で勉強するものだ。教師云々ではない。よく出来る学生はすぐに教師を追い越すことができる。
 私も大学で教えていた時、次なる経験が有る。1クラス40名の生徒がいた場合、ものすごく出来る学生もいれば、20点に近い学生もいた。そこで、平均値をとって、わかりやすい授業を心掛けた。ところが、一人の学生に言われた。「手を抜いている」、と。そんなつもりは全くなかったが、こちらの真意は曲解されるものだと、その時、つくづく思った。
 

久々の中国語クラス

 「旅の中国語:土曜日14:30」のクラスは、中国人講師のご都合により2ヶ月ほど休講にしていた。だが2月16日から授業再開。受講生4名のうち3名が参加。「好久不見」と言いながら、なごやかな空気が流れた。
 タイ語講師であるパック先生にも中国語クラスを受けることをお勧めした。何故ならば、「タイ語中級:土曜日12:15」のクラスが13時45分に終わり、次のクラスの「タイ語初級:土曜日16:10」が始まるまでの約2時間半、近くのカフェへ行ってもらっても人がいっぱいで、落ち着いて時間を過ごすことができないであろうと思ったからである。
 若いタイ人男性が参加したことで、中国人女性講師は興奮気味。生徒はやはり若ければ若いほどよいということだ。
 私は初めて中国語を勉強するというパック先生の勉強ぶりを観察した。途中からどんどんエンジンが回転し始めた。何故ならば、彼は中国系タイ人(=広州の中の潮州)で中国語の音には知らず知らずのうちに慣れているからだ。それに語順(=文法)は中国語もタイ語もほぼ同じ。
 一方の日本人は外国語を勉強しても進捗度が遅い。島国であることのハンディはまだ当分続くであろう。

入門クラス 新規開講!

 昨日(2月16日)から「タイ語入門 土曜日18:00」のクラスを新たに開講した。去年9月以来の新規クラスとなる。参加者は少ないが、生徒達のタイ語を習いたいという熱意に応えてスタートさせた。
 すると、「タイ語初級 土曜日16:10」の生徒達が復習を兼ねて、一緒に参加した。復習することはいいことである。
 新しい生徒さんを迎えて、教室に「梅一輪」が咲いたみたい。昨日の参加者は男性であったから、「白梅」にたとえられよう。来週からは日本語教育をしっかりと受けられ、日本人並みの日本語能力を持っている中国人女性が参加することになっている。彼女は「紅梅」。
 そして、3月1日からは「タイ語入門 金曜日18:30」を新規開講する。参加者は女性2名。雛祭りも近いから、彼女達を「桃の花」にたとえよう。そうこうするうちに、桜だ。タイ語を習いたいという方達がたくさん現れることを期待している。

今日の宿題

 久々に宿題を出す。以下に列挙するタイ語に相当する部類の単語をタイ語で書いてみよう。初級レベルの生徒は5語ずつ、そして、中級レベルの生徒は10語以上を目指すこと。
(1)เครื่องปรุงรส

(2)เครื่องมือ

(3)เครื่องดนตรี

(4)เครื่องเขียน

(5)เครื่องสำอาง

「左手のピアノ国際コンクール」とタイ人ピアニスト

 昨日、NHKのBSで、「第一回左手のピアノ国際コンクール」(於:箕面市 2018年11月2~4日)が再放送された。ピアノの音色を聞きながら編物をしていたところ、突然、私の手が止まった。何故ならば、そのコンクールにタイ人青年が参加しており、タイ語が聞こえてきたからである。
 NHKは出場者の数人に関して、彼らの精神的苦悩を生活の場にまで入って取材していたが、その中の一人として、タイ人青年のガン・チャイキティワタナさん(21歳)も含まれていた。
 したがって、映像はバンコクに飛び、ガンさんがマヒドン大学の恩師を尋ね、恩師から「左手のピアノ国際コンクール」に出ることを勧められる様子が映し出された。その恩師は日本人女性で、バンコクに20年も居住し、タイ人にピアノ指導をしておられるとのこと。コンクール当日にも応援に駆けつけておられた。すばらしい指導者であることか!
 ガンさんは2位であった。彼はヨーロッパのオーケストラと一緒に演奏したこともあるので、高度な技術と精神力の持ち主であることが素人の私にもわかった。局所性ジストニアという病気(=脳が誤作動を起こし動かしたい部位が思うように動かなくなる)を抱えた彼。しかし、同じ病気をかかえる日本人ピアニストと同じく、ピアノにかける情熱はプロ級であった。

91歳の女性

 泰日文化倶楽部が入っている雑居ビルに、独り住まいの高齢者が二人(男性と女性)おられる。そのお二人とエレベーターホールでお会いすると、積極的に声をかけてあげることにしている。特に、女性とは立ち話をして、健康へのエールを送ってあげる。先日、彼女はこう言った。
「娘が自分の家の近くに介護施設を予約してくれており、いつ行ってもいいことになっていますが、私は行きません。施設に入ったら、買物に行けなくなりますからね」
 彼女の御主人は税理士(นักบัญชี)であられた。7年前に他界されたが、かつて私はそのご主人と一緒に管理組合の理事をしていた。したがって、税理士事務所にもお邪魔したことがあるが、その際、奥様がしっかり計算をしておられる姿を見た。
 15年後の今、彼女は91歳。もうすぐ92歳だそうだ。一回も骨折をされたことがないとのこと。骨格が強いのであろう。
 いずれにせよ、数字に強いことはいいことだ。まだまだ一人暮らしはできる。
 ひるがえって語学を習う我々は単語を覚えることで脳を鍛えよう。そして、90代を目指そう。

30年前の写真

 昨日、泰日文化倶楽部の初代のタイ人講師から次なる文面と30年前の写真がラインで送られて来た。美しい文章だ。タイ語作文のお手本として、最後の段落だけ紹介させていただく。
 ในคราวที่ฉันเดือดร้อนในชีวิต อาจารย์โยชิกาว่าเข้ามาเปลี่ยนแปลงการเดินทางแห่งชีวิตเสมอค่ะ ไม่ทราบว่าจะได้มีโอกาสตอบแทนอาจารย์อะไรได้บ้างค่ะ ที่แน่ๆคือความรู้สึกขอบคุณจากหัวใจและความรู้สึกภูมิใจที่ได้มีโอกาสรู้จัก สัมผัสกับคนดีอย่างอาจารย์ค่ะ
 文章もさることながら、驚いたのは、30年前の私の顔がものすごく若くて、明るくて、活き活きとしていること! いやあ、実に若かった。感激したあまり、数人の人にラインでその写真を転送したところ、初代の先生を知っている生徒さんからすかさず返信が有った。「懐かしいです!」
 タイからは、「สาวสวยมากเลยค่ะ」という嬉しいレスポンスが有った。
 最近の私は守りに入り終活のことしか考えていない。これではいかん。30年前の溌剌とした私に戻ろう。

強きこと鉄の如し

 「เข้มแข็งดังเหล็กกล้า」という意味を教えてくださいという生徒さんがいたので、「鋼鉄のように強い」とまずは直訳をしてあげた。文語調に訳せば、「強きこと鉄の如し」である。
 鉄(เหล็ก lek レック)という単語はあまり使う機会がない。ゴルフ好きの方には「アイアン」としてよく使っている単語ではあるが….。私がよく例に挙げるのは、「母(แม่)+鉄(เหล็ก)」=磁石。母が出て来るところが面白いと思うからだ。
 「鉄(เหล็ก)+硬い(กล้า)」=鋼鉄(steel)。กล้า(klaa グラー)という単語は一般的には「勇敢な」とか、「敢えて~する」という意味で使われることが多い。それ以外に、「強い、硬い」という意味があることを知った。
 「เข้มแข็ง ケムケェング 強固な」という単語を発音すると、いかにも強くて硬い感じがする。自分に気合を入れるのにピッタリ。
 最近、タイ語を習いたい方達からの問い合わせが増えてきた。もしも習うのであれば、「เข้มแข็งดังเหล็กกล้า」の精神で入会していただきたい。

歳月人を待たず

 経済小説を読んでいたら、”There is a tide in the affairs of men.”という表現が出て来た。そして訳文は「人のなすことにはすべて潮時あり」と書いてあった。
 同じような意味を持つ表現として、”Time and tide wait for no man.”というのがある。こちらのほうが日本人には親しく感じられるかもしれない。要するに、「歳月人を待たず」ということである。
 私は日曜日に個人レッスンをやっているが、生徒さんは英語が苦手らしい。だから、あえて英語の話はしないようにしている。しかし、”Time and tide wait for no man.”くらいなら知っていてもいいのではないかと思って教えてあげたところ、彼女は言った。「歳月人を待たずという日本語の意味がわかりません。」
 それを聞いた私はびっくりした。世代の違いから来るもの? 「ぼやぼやしていたらだめ。早く自分のやることを決めて切磋琢磨しよう」と言いたかったが、余計なお世話であった。何故ならば、彼女は十分に頑張っておられるから。

億劫

 昨日、雪の情報が有ったため、私は教室へ行くことをやめて家にいることにした。とはいえ、宅急便を送る必要があったので近くのコンビニまで出かけた。底冷えがする寒さであった。なにをするにも億劫。
 ところで、「億劫」とは? ものすごい漢字をあてはめるので、ネット(語源由来辞典)で調べてみた。
 「億劫は元仏教語で、非常に長い時間を表した。億劫の<劫>はサンスクリット語で[kalpa]の音写で、古代インドで最長の時間の単位。<中略> 一劫の一億倍が億劫で、考えられないほど長い時間を表す。そこから、億劫は、{時間が長くかかるためやりきれない}という意味や、計り知れない時間がかかることは容易ではなく面倒に感じることから、{面倒臭い}の意味で用いられるようになった。
 億劫の読みは[おくこう]であったが、促音化して[おっこう]となり、[おっくう]となった」
 タイ語に โกฏิ(koot)という単語がある。『タイ日辞典』(冨田竹次郎)によれば、「(S.P. 極点。頂点)一千万(文学的単位で実用単位ではない)」と書かれているが、これも「劫」につながるものである。