今日の宿題

昨日、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを見学すると、生徒の皆さんは、[ตั้ง]を使ったいろいろな表現を発音するのに四苦八苦していた。タイ人講師はゆっくりと発音して聞かせるが、いくら聞いても生徒達はできない。
 そこで、もう一度、[ตั้ง]を使った表現を以下に列挙するので、和訳後、発音を数回、繰り返してほしい。
1)ตั้งใจขยันเรียนภาษาไทยตั้งแต่บัดนี้เป็นต้นไป
2)ต้นเดือนธันวาคมปีที่แล้ว ก่อตั้งบริษัทใหม่ในเขตซินจุกุ
3)เขาฝากเงินไว้ที่ธนาคารตั้งร้อยล้านบาท
4)ลูกเขยได้รับการแต่งตั้งเป็นผู้จัดการใหญ่
5)ติดตั้งเครื่องใหม่
6)ตั้งโต๊ะเร็วๆซิคะ
7)ตั้งชื่อว่าสมบูรณ์
8)ตั้งนาฬิกาปลุก
9)จะตั้งต้นอย่างไรก็ต้องมีที่สิ้นสุด

新しい習い事

昨日、着付け教室へ行った。昨年2月から始めて第20回目であった。センスのいい女性であれば、そんなに習わなくても、あとは自分でパッパと着られるようになるというのに…….。
 ところが、私は一度習い始めるとすぐにはやめない。何もわからないまま、中途半端でやめるのは教師に失礼だ。教える側には蓄積された知識がお有りだからである。
 着付けに関していえば、少しずつわかるようになった。すると、先生はさらに細かな注意をしてくださる。それが有難い。何故ならば、さらなる奥深い色彩世界に入っていくことができ、和の美を覚えるからである。
 昨日、着付けが終わり、レジで稽古代を支払おうとすると、一人の中年女性が不安そうな表情で店主と話をしていた。着付け教室に入会したいらしい。私は心の中で彼女に言った。「お始めになられたほうがいいですよ。時は金なり!」

白川郷ではぐれる

昨日、公衆電話から電話がかかって来た。新しい見学者かしらと思って電話に出ると、タイ人元講師からであった。
 「今、白川郷にいるんですけど、息子とはぐれました。吉川先生は息子の電話番号を知っているはずですから、私がアウトドア・ミュージアムで待っていると伝えてくださいませんか?」
 そこで、私はすかさず息子さんに電話をかけ、お母さんが待っている場所を教えた。どうやらお母さんのWi-Fiが壊れて使えなくなっていたらしい。
 白川郷と聞くと、昨年10月に行ったので、込み具合は十分に想像できる。普通、迷子は子どもと思っていたが、外国人もはぐれてしまうようだ。
 ラインでの連絡方法は簡単だが、やはり、息子さん(日本に留学中)の携帯番号だけはメモしておいたほうがいいと思う。

情熱

昨日、泰日文化倶楽部の教室に中国女性が次々にやって来られた。
 1番目の中国女性は「アジア女性のための生け花クラス」に参加されたT女史。この方は私と年齢が近いが、私よりも10倍パワフルだ。目下、ロシア舞踊を習っていると伺い、華道講師と一緒に驚いてしまった。
 2番目の中国女性は、「旅の中国語 土曜日14:30」の中文講師である。とても美しい漢字をお書きになる。生徒達も以前にもまして、大いに頑張るようになった。
 3番目の中国女性は、昨日から「タイ語入門 土曜日18:00」に入会されたばかりであるが、帰る方向が同じであったので高田馬場駅のホームで一緒に電車を待っていると、彼女は私に訊いた。「30年間も長い間、タイ語塾をやって来られた理由は何ですか?」
 私は数秒後、答えた。「情熱です!」
 すると、彼女はすかさず反応した。「情熱を持って生きている人生、すばらしい! 私もそうありたいです」

流しのタイ人と生徒さん

昨夜、タイへ旅行中の生徒さんからラインで動画が送られて来た。そして、次のような文面が添えられてあった。
 「流しのお兄さん、初めて見ました。サナームパオの駅前のシーフードレストランでした。思わずリクエストしました」
 流しのお兄さんは、40歳半ばに見える。人生の酸いも甘いもわかる年齢に達しているせいか、哀感がこもった歌い方だ。生徒さんは、すかさず、「うまいね」と言う。ただし、それは日本語。
 共感を覚えた生徒さんは、途中から一緒に歌い始めた。それを聞いた彼の音程に私はびっくり。うまい!
 教室では毎回、彼に対して声調の間違いを注意しているが、彼の歌を聞いていると、うまくリズムに乗っているではないか!そして、流しのお兄さんに共感しているから、彼も乗り乗り。
 その乗り乗り感を日本でも発揮してもらいたいと、再度、動画を見ながら思った次第である。

清張さんの優しい教え

『清張さんと司馬さん 昭和の巨人を語る』(半藤一利 2001年 NHK人間講座)を読み返していると、それはそれは示唆に富んだヒントが盛りだくさん。だから捨てずに長らくしまっておいたのであろう。昨日は、次なる段落に興味を覚えた。
 「清張さんの優しいお人柄については、すべての編集者が口を揃えて言うことでしょう。こんな話を聞いたことがあります。これは女性編集者です。銀座で待ち合わせたとき、なんと、この女性は四十分くらい清張さんを待たせたらしい。″ごめんなさーい″と甘えて言ったら、無言のまま、清張さんはさっさと勘定を払って店を出ると、件(くだん)の女性を和光へ連れていった。そして時計を買って与えたというんですね。そして、″編集者は時間を守らなきゃいけない″と、ただ一言。いらい、その女性編集者は時間には決して遅れないようになったとか。厳しくも、また優しい教えなんですね。清張さんは、失礼ながら、あの風貌からは想像できないかもしれませんが、それくらい優しい人なのです」
 携帯が無かった頃の話とはいえ、いろいろと考えさせられる。

痔瘻

どこのテレビ局も健康に関する番組が多い。個人差が有るからどこまで信じていいのかわからないが、年をとるにつけ、以前よりも真面目に見るようになった。
 先日、NHKのEテレで「痔ろう」を取り上げていた。わかりやすいCGで患部の切除の仕方が説明されると、なるほどと見入ってしまった。
 しかしながら、私には別の関心が有った。「痔瘻」と書かず、何故、「痔ろう」と書くのであろうか? それは、「痔瘻」の「瘻」の字が画数が多すぎて、難しすぎるから。「憂鬱」を「憂うつ」と書くのと同じなのであろう。そう、思っている。
 今日のタイトルは「痔瘻」であるが、痔(ริดสีดวงทวาร)の話をしたいわけではない。あくまでも画数の多い漢字はやっかいだと言いたいのである。
 今日から数えて38日後に新しい元号が発表される。公的書類にはあくまでも元号がつらぬかれるので、願わくば画数の少ない漢字の組み合わせにしてもらいたい。「平成」の元号が発表された時、ピンと来なかったが、30年間も書き続けてくると、「平成」という漢字は、書くのにはまあラクなほうであったと思う。

英語をタイ語に訳しなさい

 昨日、パンを買ったら、ビニール袋にすばらしい英語が書いてあった。英語とタイ語の双方の同時勉強を兼ねて、英語からタイ語に訳してみてはどうだろうか。
 英会話学校の授業料はものすごく高い。日常生活の中で英語を毛嫌いせずに、英文の構造に接していれば、英語の力も少しずつつくはず。 
 英語とタイ語における文の構造はほぼ同じ。そういった意味では、タイ人の英作文能力のほうが、日本人よりもすぐれていると私は思う。
Thousand Dreams In Our Oven
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夏目漱石の英語教師像

『随筆 一隅の記』(野上弥生子著 新潮社 昭和43年)の中に、「夏目先生の思い出」という章がある。野上女史は懇意にしていた田辺元氏(哲学者)が一高時代に漱石から英語を教わったことを知り、漱石先生に対する印象を尋ねたくだりを次のように紹介している。
 [学力はすばらしいと思った。けれども、非常に冷淡で、生徒に対しても親身でなかった。つまり、ほんとうに身を入れて教えてくれるという熱意がなくて、ぼくはいやでした。嫌いな教師でした]
 野上女史は御主人である野上氏を通じて、<漱石山房>のことをよく知っていたし、直接、漱石に会ったことも5~6回有るそうだ。田辺氏の漱石先生に対する率直な感想を聞いて、彼女なりにそれを肯定的に受け止めている。
 語学は人に教わるのは20%程度に抑え、あとは自分で勉強するものだ。教師云々ではない。よく出来る学生はすぐに教師を追い越すことができる。
 私も大学で教えていた時、次なる経験が有る。1クラス40名の生徒がいた場合、ものすごく出来る学生もいれば、20点に近い学生もいた。そこで、平均値をとって、わかりやすい授業を心掛けた。ところが、一人の学生に言われた。「手を抜いている」、と。そんなつもりは全くなかったが、こちらの真意は曲解されるものだと、その時、つくづく思った。