億劫

 昨日、雪の情報が有ったため、私は教室へ行くことをやめて家にいることにした。とはいえ、宅急便を送る必要があったので近くのコンビニまで出かけた。底冷えがする寒さであった。なにをするにも億劫。
 ところで、「億劫」とは? ものすごい漢字をあてはめるので、ネット(語源由来辞典)で調べてみた。
 「億劫は元仏教語で、非常に長い時間を表した。億劫の<劫>はサンスクリット語で[kalpa]の音写で、古代インドで最長の時間の単位。<中略> 一劫の一億倍が億劫で、考えられないほど長い時間を表す。そこから、億劫は、{時間が長くかかるためやりきれない}という意味や、計り知れない時間がかかることは容易ではなく面倒に感じることから、{面倒臭い}の意味で用いられるようになった。
 億劫の読みは[おくこう]であったが、促音化して[おっこう]となり、[おっくう]となった」
 タイ語に โกฏิ(koot)という単語がある。『タイ日辞典』(冨田竹次郎)によれば、「(S.P. 極点。頂点)一千万(文学的単位で実用単位ではない)」と書かれているが、これも「劫」につながるものである。

雲水

先日、目白で雲水を見た。「おや?」と思った。本当の禅僧なのか、はたまた、単なる個人の趣味でやっているのかはわからなかったが、身形は雲水そのものであった。
 彼は店の前に立って拝む。店の中からは誰も出て来ない。したがって1分も経たずしてすぐ次の店へと移動。3分くらい立っていれば、もしかして誰か出て来るかもしれないのにと、傍観視していた私は思った。
 だが、東京は京都と違う。町屋風ではないので、店の中の人に気づかれにくい。町家だと格子越しに中から外の気配がわかる。
 都会では無視されるのが一般だ。それがわかった上で托鉢をする。それもまた修行の一つ。
 「雲が定めなく行き、水が流れてやまないように、一所にとどまらない自由な人」(注:デジタル大辞泉より)を楽しめばよろしい。

雛人形 と 外国人

 昨日、デパートへチョコレートを買いに行った。大勢の女性に気おされたこと、そして、チョコレートの値段の高さにうんざりしたので、しばしトイレ近くのイスに座って休憩した。すると、すぐそばに雛人形を飾っていた。もちろん売り物である。
 フランス人らしき女性が赤ちゃんを抱いて雛人形を見てまわっている。そばに日本人の女性がいた。おそらくご主人のお母さんであろう。
 お母さんは雛人形を孫娘に買ってあげたそうであった。だが、外国人のママはかなりしらけた表情……。何故ならば高すぎるからである。日本の伝統文化に対して、果たしてどのように思ったか?
 生活形態や居住空間が狭くなった現在、何十万円もする雛人形を購入し、一年に数週間だけ飾るのは考えものである。しかしながら、雛人形にたずさわる作家達や工芸士の伝統技術の保存を願うと、やはり買ってあげたくなる。

タイ語の勉強 頑張ろう!

このところ、気温差のアップ&ダウンがはげしい。そして、花粉症も始まっている。タイ人講師達も生徒達も体調がいまいち。そして、生徒達のご家族にもいろいろと有って、勉強する時間が無いようだ。2019年の船出は難しいことの連続……。
 バンコクへ10日間の予定で帰られた指輪先生から、体調が悪いので帰国を1ヶ月延ばすという報告を受けた。ゆっくりと静養してほしいと思うので、私は快諾の返事をした。
 というわけで、私は出来る限りの代講をしているが、それはそれで楽しい。何故ならば、生徒達の進捗度がよくわかるからだ。際立って上達しているわけではないが、必ず出席される生徒達には頭が下がる。わずか90分の授業とは言え、しっかりと吸収していけば、1ヶ月で6時間、勉強したことになる。その6時間を土台に、翌月にまた6時間を加算していけば、着実にタイ語の学力がついていく。
 生徒の皆さん、異常気象、花粉症、体調、その他諸々を加味した上で、タイ語の勉強に精を出そうではないか。さもなければ、あっというまにまた一年が過ぎ去るだけだ。

春の海

 昨日は立春。ゆりかもめに乗って台場方面へ行ったが、快晴の空のもと、東京湾が鏡のようにおだやかであった。すぐに与謝蕪村の「春の海 ひねもすのたり のたりかな」が頭に浮かんだ。
 ゆりかもめの中は中国人観光客でいっぱい。春節(中国正月)で来日しているのはすぐにわかった。自撮り棒を突き出して、盛んに自分や友達を撮る。電車の中でそんなことをされるのは迷惑この上ない。だが、彼女達がとても嬉しそうにしているので、目くじらをたてるのはやめた。
 仕事が終わって再びゆりかもめで新橋に戻った。新橋駅近くにある「香川・愛媛せとうち旬彩館」により、讃岐うどんを食べる。東京湾で海を見たので、瀬戸内海が恋しくなったというわけだ。
 うどんは確かに本場の味がした。しかし、出汁はやけに塩辛かった。四国の味ではない。関東人向けの味だ。残念。どんぶりは砥部焼。これはなかなか風流であった。小豆島のオリーブが入ったクリームと今治タオルを買って、そのまま家路についた。

春節のタイ語メッセージ

昨日は春節(ตรุษจีน)であったので、タイから春節メッセージが中国語とタイ語でたくさん送信されて来た。タイ語のメッセージは、韻を踏んでいるので、なかなかに美しい。それを味わっていただきたく、以下に列挙する。宿題と思って訳してみてください。
1)กิจการเจริญรุ่งเรือง ขอให้มีความสุขในวันปีใหม่
2)เงินทองไหลมาเทมา ทรัพย์สมบัติไหลเข้าบ้าน
3)ขอให้ชัยชนะและเงินทองเข้ามาทุกๆวัน
4)ค้าขายได้กำไร กำไรมากมาย
5)เป็นสิริมงคล ด้วยเงินทองและวาสนา
6)เหลือกินเหลือใช้ทุกๆปี ทุกเรื่องสมปราถนา
7)ปีใหม่นี้มีแต่ความสุขมั่งคั่ง โชคดีร่ำรวยตลอดปี
8)ปลอดภัยตลอดปี
9)อายุยืนหมื่นๆปี
10)ร่ำรวยเงินทอง ทองหยกเต็มบ้าน ขอให้ร่ำรวย

和更紗 と シャム

『和更紗 江戸デザイン帳』(熊谷博人著 クレオ社刊 2018年)に目を通していると、次なる文章に興味を覚えた。
「宝永五年(1708)『増補華夷通商考』しゃむろ屋の項に、日本とシャム(現在のタイ)との交易があり、シャム王国で珍重されるインド更紗の技法も学んでいることが記されている。シャム向けに制作されたインド更紗が、シャムの日本人街から日本に運ばれていた」
 茶人が愛した宋胡録焼き(スンコロク焼き=タイの古陶)のことは知っていたが、茶道で使用するお茶入れの仕覆や袱紗の模様がタイ経由で来ていることを知って、とても親近感を覚えた。
 そういえば、タイの生地を見ると、シルクであれ、綿であれ、それらの模様に昔からとても郷愁を覚えたものだ。だから、いまだに捨てずにとっておいてある。
 「更紗」という漢字は、熊谷氏の説明によれば、「日本では、佐羅紗、皿紗、佐羅佐、暹羅染など、様々な名称が用いられ、愛されてきた」そうだ。そして、染める職人を「暹羅師」とも言ったそうだが、「暹羅」とは、シャムのことである。

神楽坂を散策する

昨日の午後、高田馬場から東西線で2駅の神楽坂へ行った。まずは毘沙門天善國寺にお参りし、泰日文化倶楽部の繁栄を願う。その後、神楽坂の坂を下って「和更紗あそび展」へ。江戸時代末期に一世を風靡した和更紗をたっぷり紹介したものである。作品はいずれも高いので、見るだけにとどめ、『和更紗 江戸デザイン帳』(熊谷博人著 2018年刊)を購入。
 再び、東西線神楽坂駅を目指して坂を上る。途中、台湾女性が経営している洋品店で春物の洋服を一枚選んだ。リサイクルの着物店にも寄ってみた。男性用の着物が豊富に置いてあるのにはいささか驚いた。
 着物店のすぐ近くにタイマッサージ店の看板が有り、「プラカイルン」と書かれてあった。果て、その意味は? 幸いタイ語表記も有った。「ประกายรุ้ง 虹の輝き」という意味だ。
 だんだん神楽坂駅に近づいて来ると、フランス人達がレストランから出て来た。フランス語を聞くのも乙なもの。
 どうにか駅前までやって来ると、古びた店からトントンという音が聞こえて来た。窓ガラスに自転車修理の店であることが、日本語と中国語とフランス語で書かれてあった。その店には古本も置かれてあった。私は『随筆 一隅の記』(野上弥生子著 新潮社 昭和43年)を買った。

明治150年の記念切手

昨日、郵便局へ行った折り、待ち時間中、記念切手を見ていたら、「明治150年」というのが目にとまったので購入。絵柄は5種類で、1)東京汐留鉄道館蒸気車待合之図(部分)、2)横浜郵便局開業之図(部分)、3)東京名所之内(部分) 上野公園地桜花盛之景(部分)、4)東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図(部分)、5)欧州管弦楽合奏之図(部分)。
 勝手に想像するだけだが、明治時代の文明開化の頃はさぞかし街の空気が楽しかったであろう。娯楽も盛んであったし、人々の付き合いも今よりも濃かったと思われる。
 私は54年前から東京に住んでいるので、半世紀前の景色をちゃんと覚えている。何も無くなった汐留を見て殺風景だなあと思っていたら、いつのまにかおしゃれなビル群の街になった。銀座の最後の花電車も覚えている。友人のお母様は銀座生まれの銀座育ちで典型的なモガ。お亡くなりになるまで高級服を身につけられ、人の接待にはそれはそれは気を配られた。

神楽坂を散策する

昨日の午後、高田馬場から東西線で2駅の神楽坂へ行った。まずは毘沙門天善國寺にお参りし、泰日文化倶楽部の繁栄を願う。その後、神楽坂の坂を下って「和更紗あそび展」へ。江戸時代末期に一世を風靡した和更紗をたっぷり紹介したものである。作品はいずれも高いので、見るだけにとどめ、『和更紗 江戸デザイン帳』(熊谷博人著 2018年刊)を購入。
 再び、東西線神楽坂駅を目指して坂を上る。途中、台湾女性が経営している洋品店で春物の洋服を一枚選んだ。リサイクルの着物店にも寄ってみた。男性用の着物が豊富に置いてあるのにはいささか驚いた。
 着物店のすぐ近くにタイマッサージ店の看板が有り、「プラカイルン」と書かれてあった。果て、その意味は? 幸いタイ語表記も有った。「ประกายรุ้ง 虹の輝き」という意味だ。
 だんだん神楽坂駅に近づいて来ると、フランス人達がレストランから出て来た。フランス語を聞くのも乙なもの。
 どうにか駅前までやって来ると、古びた店からトントンという音が聞こえて来た。窓ガラスに自転車修理の店であることが、日本語と中国語とフランス語で書かれてあった。その店には古本も置かれてあった。私は『随筆 一隅の記』(野上弥生子著 新潮社 昭和43年)を買った。