大統領というタイ語

 トランプ大統領の政権がスタートした。「大統領」は、タイ語で「ประธานาธิบดี プラターナーティボディー」。この単語は、「ประธาน 主席、社長、議長、委員長」と 「อธิบดี 偉大な人、首長、統治者」の2語が合成されたものである。
 冨田竹二郎先生の『タイ日辞典』(1987年刊)によれば、「ประธาน」には、もう一つ、仏教的な意味が有り、それは「ประธาน4」という表現の中で使われる。「四正勤 よんしょうごん=勤勉に努力すべき4項目」というものだ。
 1)สังวรประธาน 自分に悪が生じないように努める。
2)ปหานประธาน 自分に生じた悪をなくすように努める。
3)ภาวนาประธาน まだ生じていない善を生じさせる。
4)อนุรักขนาประธาน すでに生じた善を増長させるように努める。
 トランプ大統領は、「アメリカ第一主義」を掲げているが、上記の如く、仏教的な考え方があることも知ってほしい。アメリカにはアジアの人々もたくさん住んで活躍している。是非ともこの「四正勤」を実行に移せる大統領になってもらいたい。

意見、考えをはっきりと言う自信と姿勢を持とう!

 作家の佐藤愛子さんの近著『それでもこの世は悪くなかった』(文藝春秋社刊 2017年1月20日発行)を買って読んだ。本の帯に、「93歳、初の語りおろし人生論」と書いてある。彼女のようにプラス志向の性格の持ち主であれば、激動の体験もマイナスからプラスに転じるようだ。大いに見習いたい。
 だが、現実の世は悪い。悪すぎる。ついて行くのが馬鹿馬鹿しくなった。これからは自分の殻に閉じこもって、守り一徹で行こうか…..。
 今朝、NHKのニュースで、元外務省の高級官僚が言っていた。「日米交渉の時に、日本は何故もっと強く意見を主張しなかったのであろうか。日本人は控えめすぎます」
 それを聞いて、唖然とした。国際政治の場に於いて、日本人は控えめ? それはいかん。英語を勉強するのは何のため? 単語をたくさん覚えて、試験で高い点数を取るため? いい就職にありつくため? 
 語学を勉強するのは、自分の意見を理路整然と外国の相手に伝えるためでなければならない。語学を習う以前に、自分の考えをきちんとまとめ、相手に噛みつくだけの気迫を訓練する必要が有る。

仲がいい国際人

 大学へ出講する時、私は十分なる時間を取って出かけるので、教室には15分前から入って待機している。だが、その教室にはいろいろな学科の学生が弁当を買って来て、談笑しながら食べており、おかずの匂いが充満……。
 一昨日、これまでに見たことがない留学生達が4名、座っていたので、私は声をかけた。
 「あなたたち、どちらのお国からいらしたの?」
 すると、4名が順番に答えた。「私はフィリピン人と日本人です」、「私は韓国人と日本人です」、「私はマレーシア人と日本人です」、そして、「私はアメリカ人と日本人です」
 それを聞いて、彼らの両親が国際結婚であることがわかった。そして、私自身、ついその場の雰囲気につられて、思わず次のように言ってしまった。
 「私はタイ人と日本人です」
 彼らは何一つ疑うことなく、にっこりと笑ってくれた。

大学での最終講義

 昨日、上智大学で最終講義を行った。1998年から19年間、カトリックの大学でタイ語を教えたことは、私の人生ノートの中でかなりのページを占めることとなった。上智大学でタイ語を教えるきっかけとなったのは、東南アジア研究の泰斗である石井米雄先生(故人)から、「私の跡を引き継いでください」と、直接、指名されたからだ。
 私はこの19年間、健康第一を掲げて、真面目に四ツ谷へ通った。明るく、楽しく、そして、全身全霊を込めて、教室の隅々にまで響きわたるほどの大きな声で授業をした。昨日、授業の最後の5分間を使って、学生に感想を聞いたところ、いろいろな感想を言ってくれた。
 ①スペイン語やポルトガル語が頭の中にいっぱい有って、タイ語がなかなか入って来なかったが、今は、タイ語が同じくらいの位置を占めて、タイ語の音が出て来るようになった。
 ②少女時代にバンコクで6年間住んでいたM子さんは、タイ語の文法が分かったことが嬉しい。
 ③欧米の言語しか知らなかった自分が、タイ語を学んだことで、アジアの世界に開眼した。
 私は70歳。だから定年である。さあ、新しい世界に飛翔だ!

オレンジ色を基調とした花束

 泰日文化倶楽部の近くに小さな小さな花屋さんが有る。一度、オーナー・チェンジをしたらしいが、この不景気にもめげず、とてもしぶとく奮闘している。
 昨日้はミカン先生の誕生日。そこでこの花屋へ行き、オレンジ色を基調とした花束を注文。昨年の誕生日に作ってもらったピンク系統の花束の写真を見せると、「そうやって写真で残してくださっていると有難いです」と、40歳位の店主は素直に喜んだ。
 出来上がった花束は、真ん中にオレンジ色(สีส้ม)のバラが3本、その他に、黄色(สีเหลือง)や白色(สีขาว)の花が周辺を固め、とても美しくまとまった。プミポン国王のシンボル・カラーである黄色、そして、喪中である白色。これが効いている!
 しかし、何よりも、ミカン先生の誕生色であるオレンジ色が30歳になった先生の門出を祝福し、花すべてが輝いていた。

朗読の会

 私の大学時代の元寮友の中には先輩達と一緒に「朗読の会」に参加すること数十年。主宰者が責任感の強い方だからその会は関東と関西で継続している。主宰者は哲学を専攻し、学生時代からとても思索的な顔をされていた。私は卒業後、一度もお会いしていないが、ますます引き締まった表情をしておられると思う。
 「朗読の会」はとても良さそうだ。何故ならば、声に出して読むからである。そして、棒読みにするのではなくて、何度も読む訓練をして、行間に感情移入をすれば、自分自身が役者になったような気もしてくるかもしれない。
 1月も後半に入り、日本全国は冷凍庫のようになってきた。外へ出かけるのが億劫であれば、一人で声に出して古典や名作を読んでみよう。そして、日本語の美しさに目覚めながら、自分磨きを心掛けてはどうだろうか。

松 & 梅

 昨日、「土曜日タイ語中級クラス(14:30~16:00)」で、梅(บ๊วย)の話が出た。すると、ミカン先生がすぐに反応した。
「タイでは、梅クラス(ห้องบ๊วย)は成績が悪いビリ・クラスという意味です。一番良く出来るクラスは、キング・クラス、次がクイーン・クラス、と言います」
 日本でも、かつては食事のランクを、松竹梅で表現していた。松が上で、梅は下。
 今年の初釜で使われた茶杓の銘は「千年の松」。いつもすばらしい着物でお稽古に出席されるミセス・Nの御召し物も、手描きの松。しかし、梅が咲きほこる着物をお召しになって来られた方もおられて、茶席は目出度さを増した。
 いずれにせよ、松(ต้นสน)、梅(บ๊วย)、牡丹(โบตั๋น)、柳(ต้นหลิว)というタイ語の単語は、中国語から由来したものである。

授業開始から1週間

 泰日文化倶楽部では2017年度の授業が開始されてから昨日で1週間が経過。実に早い。おだやかな表情で教室に現れた生徒達を見て安堵した。しかし、出席者は全体の80%。皆さん、まだまだ用事がお有りなのであろう。
 マイペースで授業に臨む生徒達。それはそれでいいのだが、彼らに注文したいことがある。それは今年こそはもう少しやる気を出してほしいということだ。具体的に言うと、目標値を10%~20%、上げてほしい!
 目白駅のホームに立つと、スポーツ用品の会社であるデサントの広告がいつも目にとまる。現在は、大谷翔平君のダッシュする姿が大きくかかげられているが、すぐ傍に「すべての一瞬が未来になる」というコピーが光っている。
 我々はスポーツ選手でもなければ、何かのプロでもない。だが、未来は有る。「未来はもう有りません」という否定的な人間になるのではなくて、自分の持ち時間を上手に上向きに持って行くのが大切。タイ語の勉強もその中の一環になれば嬉しい。

街頭募金 と 大学生

 昨晩、8時30分からプライベート・レッスンが入っていたので、7時50分に自宅を出てバスで目白駅へ。バスを降りた途端、「私達は上智大学の学生です。インドの子供達にご寄付をお願いします」という声が耳に入った。目白といえば、学習院大学か日本女子大学だから、一瞬、耳を疑った。
 そこで私は彼女達2人に近づいて行き、「あなた達はどちらの大学ですか?」と尋ねると、「上智大学です」というではないか。「私は上智の先生よ」と身分を明かしながら、「何故、目白で?」とさらに質問すると、「人が多いと思ったからです」と回答。
 彼女達はグローバルスタディーズ学部の学生達で、春休みにインドへ行くとのこと。寒い夜空での街頭募金に私も協力して紙幣を一枚、募金箱へ。街頭募金には怪しいものが多いと聞くが、彼女達の顔は素直さに満ち満ちていた。

タイの水入れ(ขันน้ำ)

 物は増やしたくないが物はたまる。そこで致し方なく近所の家具店へ行き収納ボックスを買うことになる。家具店の女性店主は私をよく覚えており、何でも家まで届けてくれるので、散歩も兼ねて、ついついその店へ行ってしまう。何故、その店に行くか。それには次なるもう一つの理由が有る。
 ある日のこと、店のレジ近くに、タイ人が日常よく使っているタイの水入れ(ขันน้ำ)がいくつか並べて置いてあるのを見た私は店主に尋ねた。
 「このタイの水入れ、おいくら?」
 「それは売り物ではありません。新婚旅行でタイへ行った時に買ったものです」と、店主。
 それを聞いて、しばしタイ談義が始まった。タイが好きな店主がタイの水入れをまるで招き猫のように大切に置いてある。その家具店は私が知る限りかなり長く営業しており、通信販売のご時世にもめげず、地元に根付いて実によくがんがっている。