春寒耐えがたき折柄

 今日で1月(เดือนมกราคม)は終わり。手紙や葉書を出す場合、「春寒耐えがたき折柄」という出だしで書くものらしい。だが、昨日の東京は、昼間は19度もあった。5月(เดือนพฤษภาคม)の気候だった。とはいえ、夜はどんどん冷えて行ったから、体調管理が大変。
 さて、泰日文化倶楽部の皆さん、1月の授業成果は有りや無しや? どんな勉強もそうだが、結果はそうそう見えるものではない。要は個々人の心構えが肝心。自分に厳しくするのはなかなかできない。ついつい甘やかしてしまう。
 2月(เดือนกุมภาพันธ์)は28日しかないから、あっと言う間に終わるのは毎年のこと。学習目標の設定をし直して、なんとしてでも成果を出そう。①語彙力の増強。②正しい声調、正しい発音。③文法力の向上。④表現力の充実。⑤自信を持って話す。そして、⑥タイへ行く機会を増やす。

蛍雪と夜学蓋置

 昨日、茶道教室に参加すると、小正月を祝って、<鶴>にまつわるお道具が取り揃えられていた。生徒さんの一人が亀甲模様の帯を締めて来られたので、茶室の中はますます目出度さを増した。
 一方、ふだんあまり気にもとめない柄杓(ひしゃく)の蓋置だが、昨日、先生がご用意してくださったものは、「夜学蓋置」と言うそうだ。その名前の由来を調べて見ると、「夜に学問をする際、机上を照らす灯明の火皿の台を転用したもので、甕形の四方に火灯窓のような大小の透しがある形の蓋置」と出ていた。
 昔、『蛍雪時代』という受験雑誌が有った。その時から、<蛍雪>という言葉には親しんでいたが、蛍も、雪も、中国の故事によれば、灯りを暗喩している。「蛍の光、窓の雪」もこの故事にならって作詞されたとのこと。
  茶杓の裏には雪の結晶が描かれていた。雪灯りで勉強するとは、なんと風流であることよ。
 

英語は使い続けないと………..

昨晩、アメリカ生まれで、ずっとアメリカに住んでいる甥が10年ぶりに東京に遊びに来たので、泰日文化倶楽部の近くにある鰻店で一緒に食事をした。食事後、甥を教室に連れて行き、ゆっくりと話をした。合計3時間、全て英語である。
 会う前は緊張していた。何故ならば、英語の中にタイ語が混じるのではないかという心配が有ったからである。確かに1%位はタイ語が出てしまったものの、自己採点をしてみたところ、99点。甥だから話しやすかったのかもしれない。そして、甥が私のレベルに合わせてくれたのが幸いしたのかも….。
 甥が言った。母方の従兄と以前は英語で通じたのに、今は通じない。何故ならば、英語を使っていないから、と。
 我々日本人はいつも嘆く。「学校で何年も英語を勉強したのに話せない」 大人になってから英語を使う環境にいなければ、英語は忘れてしまう。従って、自己の考えや意見を適格に述べるためには、英語を話す環境を自ら求め、それを維持させる努力を自分に課さなければならない。

南蛮菓子「有平糖」

 小原流の月刊誌『挿花』(2015年11月 No.780)の中に、溝口政子さんという方が連載している「こころがつなぐ世界のお菓子」という欄が有り、副題として、<メキシコと日本はお菓子な兄弟>という文章を見つけた。可笑しな副題だ。そこで、興味を示して読んだ。
 溝口さんの文章を要約すると以下の通りである。「メキシコにも日本のお盆のような行事が大切にされており、祭壇に砂糖菓子(アルフェニア)が供えられる。このお菓子はスペインからもたらされたものであるが、そのスペインは、イスラム帝国の支配を受けた時代に、アラビアの高度な砂糖文化を手に入れたのです。<中略> この砂糖菓子は、南蛮菓子の有平糖(あるへいとう)の一種として日本へ伝わったようです。日本とメキシコは、ともにアラビアの製法と、アラビア語の定冠詞al(アル)が付く名称をも受け継いだ兄弟と言えるのです」
 この南蛮菓子、たしか、昔はお供え物でよく見かけた。「有平糖」が日本に伝来した由来をネットで調べてみると、いろいろと面白いことがわかった。ポルトガルからの多くの宣教師達が手土産に使ったようだ。かのザビエルも然り。

タイ王国大使館時代の元同僚

 昨日、見学希望者から電話が有った。普通であれば、「どうぞいつでもご見学にいらしてください」と言って電話を切るが、彼がタイ駐在生活から帰って来たばかりだと言ったので、「それじゃあ、もう話せるでしょう。それなのに帰国してすぐにタイ語を勉強したいというのはすばらしいことです」と、私は彼の意欲を褒めた。
 すると、「実は私の父はタイ人です。母は東京で40年間、タイ料理店をやっています」、と言った。それを聞いた途端、私はもっと情報が欲しくなり、彼にいろいろと尋ねることになってしまった。
 私は彼のご両親のことを知っていた。特にお父様であるP氏とはタイ王国大使館勤務時代(1969-1973)からの知り合いであった。現在、84歳になられたとのこと。とても懐かしい。そして、P氏と同じ大学(日本の東北地方)を出た無二の親友であるS氏がもうこの世の人ではないことを、P氏の息子さんが教えてくれた。S氏と私は大使館の同じ部屋で4年半、気難しい上司のもと、一緒に働いた。P氏もS氏もタイ人留学生の先駆けであった。

敏於事 而慎於言

 私にとっての初めての海外旅行は1971年の台湾行きであった。その時に購入した木製の日めくりには、次のように書いてある。
 「敏於事 而慎於言 To be earnest in what one is doing, and careful of speaking.」
 <敏>という漢字は、敏捷、鋭敏、という表現に出て来るように、①速い、②賢い、という意味がある。上記の英語訳が、<be earnest>となっているが、これは「真面目な、熱心な」という意味にとれる。
 そこで、英語では、<敏>を何と訳しているのかと思って調べてみると、①nimble ②keen in thinking and acting ③sensitive ④diligent ⑤fast ⑥quick ⑦clever ⑧smart と列挙してあった。
 では、最後に宿題を。「敏於事 而慎於言」をタイ語に訳してみよう。

花奏(はなかなで)

 「第111回アジア女性のための生け花クラス」(最終回)で教わった生け方の名前は「花奏(はなかなで)」。これは現在の若き小原流家元(第5世)が考案なさったものであると華道講師から説明があった。
 長い茎を持つ花材を3本使って、空中上で高く交差させるが、それらの花材がすべて円筒形の中に納まるように生けなければならない。理由は、最近の家には床の間が無く、玄関にも花を飾るスペースがあまり無いからである。たとえ有っても、枝が横に長く伸びるような生け方(傾斜型)は無理とのこと。
 出来上がった作品を写真に撮り、タイ人数名や香港から来た留学生に送ったところ、ものすごく反響があった。バンコク在住のイスラエル人弁護士は、“The simplest things are always the most beautiful things.”というコメントがすぐに来た。
 日本の華道も、床の間時代から遊離して、新しい時代に合わせると、まるで室内音楽の如く、花のささやきが聞こえてきそうだ。

タイ語の勉強は役に立ちます!

 1月上旬のブログで、「気仙沼から頂いた年賀状、旧姓を書いて下さっていないから、どなたかわからなくて困ってます」という内容を書いたが、昨日、家の中を掃除していると、彼女(旧姓)からの手紙が出て来た。それでやっとその生徒さんを思い出すことができた。参考になる点が大いにあったので、3年前に頂いた文面の一部を無断で以下に引用させていただく。
 「私は出席率も悪く、やる気も感じられない生徒かもしれませんが、細々と楽しく勉強させていただいてます。タイ洪水の際、チャオプラヤー川そばに住んでいる友人が気になって、facebookで(アルファベットですが)ごく簡単なタイ語で安否を尋ねたところ、すぐに無事がわかり、友人もタイ語ということで、とても感動していました。勉強してて良かったです」
 こういう感想をいただくと、教師冥利に尽きる。タイ語が役に立ったという話は時々、耳にするが、もっともっと聞きたい。とにもかくにも、生徒さんの日々の努力と姿勢に乾杯!

目白のタイ料理店

 昨日、友人と目白でお茶をした。2時間ばかり談笑したのち、夕食にタイ料理店へ案内することを考えた。そこで、目白駅近くにあるタイ料理店「ホワイト・ジャスミン」の開店時間をスマホで調べたところ、「閉店」と書いてあった。
 「閉店?」 それは変だ。新規開店してから、まだ1年位しか経っていない。「えっ、もう閉店?」と私は思わず声に出した。
 目白には、これまでにもタイ料理店が2~3店、オープンしたことがあるが、いずれの店も長くは続かなかった。唯一、頑張っている店は、新大久保から移転して来た「プアンタイ」だけ。
 目白は学習院大学と日本女子大学が有り、若者も多いのだが、彼らはタイ料理は食べない。理由? それは彼らにとって高いから。富裕層が多く住んでいるところでもあるが、高齢者達にはナムプラー(น้ำปลา)、パックチー(ผักชี)そして、ココナツ・ミルク(กะทิ)がだめ。したがって、エスニック料理は気持ち悪がる。
 こうなると、よほどの仕掛けを起こして集客力を工夫しない限り、目白でのタイ料理店は線香花火の如く、必ず消えて行く。

「アジア女性のための生け花クラス」満了

 昨日、「第111回 アジア女性のための生け花クラス」を実施した。だが、2007年1月に無料開講したこのクラスは、当初考えていた通り、10年間を一区切りとして、満了することにした。
 このクラスの趣旨は、都内や東京近郊に住んでおられるアジアの女性が日本の生け花に親しみ、母国に帰国した折には、生け花を教えることができるようになると、どんなにいいことかと思った次第である。
 一番長く熱心に稽古されたのはミャンマー人達であった。しかし、数年前から母国の体制が変わってからというもの、ミャンマーからの親戚兄弟達の観光案内でとても忙しくなり、参加人数が次第に減っていった。
 日系ペルー人、台湾人、そして、スペイン人までもが参加してくださった。男性の参加も快諾した。
 とにかく楽しかった。華道講師は実に熱心にご指導してくださった。先生にも生徒にも声高く言おう。10年間、有難うございました。