哀悼のタイ王国(40)

翌年1928年6月、父君の研究が修了したこと、そして、病気のため、御一家はタイへ帰ることになった。ヨーロッパ経由でバンコクに着いたのが1928年12月。プミポン国王はわずか半年でアメリカを去ったことになる。
 父君はシリラート病院にインターンとして勤務を始めたが、あまりにも高貴な方であられたために周囲が遠慮するものだから、それではチェンマイの病院へ移ろうということになり、1929年4月から御家族も一緒について行く手筈になっていたが、何と悲しいことに病状悪化のため、父君は1929年9月24日、バンコクでお亡くなりになってしまわれた。
 その時、プミポン国王は御歳わずかに1歳と約10ヶ月。父親の愛情は覚えているよしも無い。
 母君は上の王子であるアーナンダマヒドン王子(後のラーマ8世)が身体が弱いことを心配されて、転地療養先としてスイスのローザンヌを選ばれた。母君は聡明なる女性であられたから、早速、フランス語をチュラロンコーン大学に学びに行かれた。