1867年のパリ万国博

『文芸思潮 2015年秋号』が編集・発行人である五十嵐勉氏(元生徒)より、贈呈本として送られて来た。いつも思うことだが、この世の中には小説を書きたい人が何と多いことか。
 この中に所収されている「ジャポン芸者・パリ万博へ行く」(工藤辰吾著)を読んだ。一人の目先の利いた商人が宣伝効果を狙って芸者衆をパリへ連れて行った話だが、次なるくだりが有り、面白いと思った。
ーー 万博会場の近くに流れるセーヌ川岸に楕円形の巨大な建物が目に飛び込んできた。直径四百八十八メートル、短径三百八十五メートルに及ぶものであった。敷地には各国の建物が並び、建築中のものもあり、人々の群れが忙しく動いている。日本はシャム(タイ)、清国と並んだ狭い敷地が与えられた。ーー
 おやおや、日本は昔からタイとは浅からぬ御縁が有ったというわけだ。パリの万博会場で日本からの関係者とタイからの関係者は一体、何語で会話を交わしたのであろうか? まことに興味深い。