流れる花

『美と破局』(辺見庸著 毎日新聞社刊 2009年)の中に「名残の桜、流れる花」という随筆が所収されている。一部を抜粋すると、こうである。
 「散り残った花がなま暖かい風にのり、いままさに最期の舞を舞っていた。いっときは見わたすかぎり白んだであろう桜吹雪のすごみはすでになく、ほろほろとまばらに散る花弁は、むしろうら寂しい里の風花を思わせた。息を整えつつ落花の軌跡をぼんやり眼で追っていると、花びらが<いま>と<昔>をひとすじの白い残像でつないでいる気がしてくる。花が枝を離れ、細かく旋回して、ひたりと川面に着水するまでの、ひどく緩い数秒間。それが何年もの時の移ろいにそのまま重なってくる」
 美しい描写である。桜は悠久。幾年を重ねようとも、日本人はまた来る年の桜を待ちこがれ、そして、淡い色合いの花びらに己が心を鎮める。