塩を造る

 昨日、実家の草取りと先祖の墓参りのため、日帰りで郷里の香川県に帰った。母方の先祖の墓は宇多津にある。寺の近くにある花屋で正月用の花を2束、つくってもらった。驚いたのは、値段が東京の半額であったこと! 
 経営者の若者に尋ねてみた。「儲かってますか?」
 彼は答えた。「もうかりません。私は花屋だけやっているわけではなくて、普段は、塩田で塩を造ってます」
 塩田と聞いて、そういえば、昔、宇多津といえば、入浜式の塩田がいっぱい有ったことがすかさず脳裏に浮かんできた。そして、祖父が塩田を有していた話も思い出された。
 入浜式から流下式になり、そして、日本で塩を造るよりも外国から買ったほうが安いという時代になり、塩田は無くなってしまった。
 60年経過して、日本の伝統文化である入浜式を若者達が継承し始めたことを知って、とても嬉しく思った。

M氏からのハノイ・レポート

 泰日文化倶楽部では、2013年2月から2014年3月まで、ベトナム語クラスを開講していた。そのクラスで学んだM氏が、目下、ハノイに旅行中である。
 M氏はLINEで写真をたくさん送って来てくださるので、まるで私も一緒に旅行している気分を味わっている。
 ハロン湾の光景、ハノイの料理、そして、人々の生活風景、いずれも皆、覚えている。追体験もまた楽しい。
 M氏に質問した。「ベトナム語は使ってますか?」 答えは、「まだまだですが、そこそこ通じてます」
 彼の専門は中国語。タイ語の学習歴は5年。ベトナム語はすいすいと習得された。声調言語が大好きな彼。語学の勉強の仕方は十分に心得ておられるので、あとは現地でたくさん喋って体で覚えていくだけだ。今日から彼はタイ入りをされる。สำหรับเขาไม่มีปัญหาอะไรเลยค่ะ
 

羊というタイ語

 タイ語で羊のことを<แกะ ゲェ>という。この単語は、動詞としての意味も有る。即ち、「彫る」、「開く」、「爪ではがす」、「(皮を)除去する」、等々。
 「彫る」の場合は、<แกะสลัก ゲェ・サラック>と重ね語で表現する場合が多く、かつ、このほうが分かりやすくもある。
 来年は干支が羊(ปีมะแม)だから、気分もスローダウンできそうだ。表面だけを上滑りするのではなくて、何かを彫って行くぞという精神を持つことも必要。
 羊と言えば、羊毛。羊毛からつくる毛糸を使っての編み物は楽しい。習い始めてもう8年以上になるが、辞めないことをモットーに、編み物教室へ週1回の割合いで通っている。
 1本の糸をどんどん編んで行くと、次第に<面>となって形を成して行く。後ろ身ごろ、前身ごろ、両袖、そして、襟のパーツを組み合わせれば、1枚のセーターが完成。根気を要求されるが、途中で放棄するわけにはいかない。
 またまた話題をタイ語の学習へと向けて恐縮だが、いろいろな表現や文法を習って、それをうまく繋ぎ合わせ、実際に使ってもらいたい。いろいろなパーツを豊富に貯めると、いつか、必ずや、ああ、タイ語を勉強しておいてよかったという日がくること、間違いなし。

生まの勉強

 ベストセラーになった『清貧の思想』(中野孝次著 草思社 1992年)の最後の部分に、「景色に接すれば観るよりも先にカメラを向け、人の話に接すれば聴くより先にテープレコーダーをつきだす社会では、(以下省略)」というくだりがあるが、それから20年以上経った現在では、テープレコーダーはスマホやタブレットに代わっている。だが、人間の行動は変わっていない。
 学生はホワイトボードに書かれた講義の内容をスマホで写す。泰日文化倶楽部の生徒の中には、教科書の1ページ1ページをタブレットの中におさめ、授業中は指先をはわせながら勉強している。そして、タイ語の勉強もスカイプで……。
 手段としてはそうした行動を否定することはできないが、勉強とは、やはり生身の教師とぶつかりあうほうがいいのではなかろうか。
 私は今でも中学校時代の英語教師を覚えている。誰かが質問すると、「それは習慣じゃ」の繰り返し。要するに、「つべこべ言わず、そのまま覚えなさい」という態度。スカイプの先生よりも、生まの先生を求めてほしい。

スマトラ沖地震から10年

 昨日は、スマトラ沖地震、そして、インド洋津波から10年が経ったということで、記念式典のニュースを何度も見た。参加された御遺族の方達は「決して風化してはならない」という言葉を口々にしておられたが、いずれの災害や大事故でも、同じだと思う。
 プーケットの津波の様子は今、映像で繰り返し見ても実に生々しい。上智大学生のMさんは大変に行動的な女性であったので、私がスポンサーになるからプーケット近郊のカオラックの被害状況を調べて来るようにとお願いすると、彼女はそれに応えて立派な調査をしてくださった。
 それとは別に、カオラックの漁師達が釣り船を流されてしまって困っているというニュースが流れたので、泰日文化倶楽部としては、JVCを通じて、船一艘を購入する金額を寄付した。見知らぬ一人の漁師さんが10年経過しても、日々、魚を獲り続けているであろうことを想像すると、それだけでも嬉しくなる。

島根県隠岐の島海士町 と Sターン

 地方再生が叫ばれて久しい。政府は地方創生大臣まで造成したが、果たしていつその成果を見ることができるのであろうか?
 昨晩、テレビ東京のWBS特別番組で、島根県隠岐の島海士町が紹介された。東京の出版社に勤めていた男性が、海士町に移住し、漁業関係の仕事に就いて生き生きと暮らしていることを知った。奥さんは看護士として海士町から期待されている。
 ここは日本全国から高校生がたくさん転校してきているところでもあるようだ。ドバイから転校して来たという男子高校生もいた。埼玉県から来ている女子高校生は、「大学は関東を選ぶけれど、介護士の資格を取得したならば、お世話になった海士町に必ず戻ってきます。私、Sリターンをします!」と言った。
 皆さん、表情が明るい。それがとても印象的であった。
 Uターンという言葉はもう年代物。そして、Iターンという言葉も生まれた。だが、Sターンという言葉は初めて聞いた。
 東京は暮らしにくくなった。日本の地方での生活を選びたい人が増えてきているようだ。

パンセ

 巷間では、商業主義のクリスマスばかり。それに惑わされないようにするため、買っておいた文庫本『パンセ』(パスカル著 前田陽一・由木康 共訳)を開く。
 第一章は、「精神と文体とに関する思想」。最初から難解である。短い文章なら、どうにか頭に入ってくる。
 - 正しい判断力のいろいろ。ある人々は、ある秩序の事物において正しいが、他の秩序ではそうでなく、むちゃをする。
 - 人は精神が豊かになればなるほど、独特な人間がいっそう多くいることに気がつく。普通の人たちは、人々のあいだに違いのあることに気がつかない。 
 - 言葉は、ちがった配列をすると、ちがった意味を生じ、意味は、ちがった配列をすると、異なった効果を生じる。
 今日だけでなく、毎日、少しずつ思索する習慣を持ち続けたい。

不思議な話を2つ

 昨日、進物用にと思って目白駅近くの煎餅屋へ行った。この店は副業として、時計の修理も行っている、私はもう45年、お世話になっているが、店主は昨年お亡くなりになり、今は息子さんが跡を継いでおられる。
 大きな柱時計に長針も短針も無いのに気付いたので、その理由を尋ねると、新しい店主はこう答えた。
 「親父とともに80有余年、頑張ってくれたのですが、今年の正月、ぱったりと動かなくなってしまいました。親父の死を見届けたあと、時計もこの世とさよならしたわけです。針をはずしているのは、お客さんに間違った時刻を教えたくないからです」
 そのあと、近所の荒物屋さんに寄り、培養土を買った。ベランダの植物に栄養をあげようと思って……。荒物屋の隣りは鳥屋である。閉店してもうかれこれ1年。海外旅行に行く時はいつも鳥を預けていたが、昨年6月に最後の鳥が死んで以来、ペットを飼うのをやめた。荒物屋さんのご夫妻に鳥屋のおばあさんのことを尋ねると、「昨年6月に亡くなられたんですよ」と言った。
 私はそれを聞いてびっくり。何故ならば、私のインコと、お世話してくださったおばあさんが同じ月に亡くなっていたからである。

教師とは

 昨日をもって、泰日文化倶楽部に於ける2014年の授業は無事に終了した。
 さあ、今日から年賀状書きだ。今年頂いた賀状をチェックしていると、大好きな先輩で、短歌を詠まれるTさんが次なる歌を書いておられた。
 - 鉛筆の少しも動かぬ児に気づき 急ぎ近づく 今日は先生 -
 Tさんは小学校教師をしておられた。退職されてかれこれ9年。短歌を詠まれた背景として、「地元の小学校のアフタースクールの算数教室に志願し、少人数の児童に個人指導をしました」と書いてあった。
 久しぶりに指導をされた先輩の喜びが伝わってくるが、私にはこの歌から、教師として在るべき姿を観る思いがした。
 教師には受け持っている生徒の様子をよくとらえる眼が要求される。そして、救いの手を差しのべる愛情が必要だ。
 タイ語に話を戻すとするならば、口を開けていない生徒には、すかさず口を開けるように指導し、発音が上手になるように反復させる忍耐が要求される。

異業種交換忘年会

 タイ語関係の忘年会はほぼ終わった。昨晩は、異業種交換忘年会に出席した。出席者は13名。半分は既知の方々であったが、あと半分は全く初めてだったので、互いに興味深々。
① 陶芸の先生(女性)。しかし、朝5時半から起きて、船に乗り、川の見回りをするバイトをしているそうだ。敬礼が堂に入っていた。
② 陶芸の生徒で、主婦。恰幅のいい方で、世の中の問題をすべて受け入れることができそうであった。タイ料理大好き人間。
③ ②の方の娘さん。卒論が終わってやれやれ。深夜バスで金沢へ遊びに行くそうだ。就職は、介護関係。
④ 翻訳・通訳会社を経営する社長。仕事を下さるといやだから、私は忙しいと牽制しておいた。
⑤ ④の方の奥さん。サワッディー、コープクン、そして、マイペンライだけ知っていた。
⑥ 私のマンションの元住民。今は日暮里に住んでおられる。関西出身だから、彼とは関西弁で話す。
⑦ ⑥の方の奥さん。発声が1オクターブ、高いので、つられて話すと、とてもにぎやかになってしまう。
⑧ アメリカ人の国際弁護士。日本に来た時は、「いただきます」という言葉だけを喋って、日本人家庭に居候していたそうだ。今では、日本人以上に日本語がうまい。
⑨ 沖縄出身の女性。仕事は結婚式の企画。とても美しい方だ。沖縄の歌をたくさん歌ってくださった。手の使い方が分からないというと、「障子を開けたり閉めたりするような仕草を繰り返せばいいのよ」と教えてくださった。
⑩ 誰からも愛されている介護士。「来年こそは婚活をして、彼氏をみつけてね」と、勧めておいた。
⑪ 入谷の洋食店「香味屋」のシェフ。チョコレート・ケーキを作って来てくださった。美味しい!
⑫ 薬膳料理「オンケル」のマスター。手作りの蕎麦はすばらしかった。