生まの勉強

ベストセラーになった『清貧の思想』(中野孝次著 草思社 1992年)の最後の部分に、「景色に接すれば観るよりも先にカメラを向け、人の話に接すれば聴くより先にテープレコーダーをつきだす社会では、(以下省略)」というくだりがあるが、それから20年以上経った現在では、テープレコーダーはスマホやタブレットに代わっている。だが、人間の行動は変わっていない。
 学生はホワイトボードに書かれた講義の内容をスマホで写す。泰日文化倶楽部の生徒の中には、教科書の1ページ1ページをタブレットの中におさめ、授業中は指先をはわせながら勉強している。そして、タイ語の勉強もスカイプで……。
 手段としてはそうした行動を否定することはできないが、勉強とは、やはり生身の教師とぶつかりあうほうがいいのではなかろうか。
 私は今でも中学校時代の英語教師を覚えている。誰かが質問すると、「それは習慣じゃ」の繰り返し。要するに、「つべこべ言わず、そのまま覚えなさい」という態度。スカイプの先生よりも、生まの先生を求めてほしい。