「官災」という造語

今朝、5時18分、地震で目を覚ました。かなり大きい。東京では東日本地震以来の震度であったと朝のニュースは報じた。だが、不思議なことに救急車の音が全く聞こえない。近所の皆さんには何ごともなかったということで、まずは一安心。そして、再び、布団の中で体を横たえる。
 かくして、普通の朝がやって来た。気象庁の記者会見を聞いていても、あまり危機感がわいてこない。数値を並べた理論的な説明は一般人を納得させ得るようでいて、実はそうではない。人々は理論よりも感情や感覚を重視して生きているから、役人の解説はどう見てもガラス板が間に挟まっているような感じがいつもする。
 テレビのワイドショーで、韓国の旅客船沈没と地下鉄事故に対して、韓国の一般人は、政府の対応の不手際に対して、もはや「人災」ではなくて、「官災」であると非難し始めていることを知った。
 「官災」という言葉は、今回の一連の事故で造語されたと思われるが、新しい言葉の誕生には非常に現実感が裏打ちされていると感じられた。