同姓同名の生徒さん

以前にも書いたが、泰日文化倶楽部には面白い現象が続いている。それは、田中さん(仮名)という方が辞めると、すぐに別の田中さんが入会して来ることだ。山田さんが去れば、山田さんが入会し、高橋さんが辞めれば、別の高橋さんが入って来られるので、不思議、不思議。
 この現象は、11月に入っても続いている。今度は同姓同名の方の入れ替わりだ。鈴木孝(仮名)さんがお辞めになったが、すぐに、鈴木敬(仮名)さんが入会された。漢字は異なるが、読み方は同じ。日本人の場合、漢字でかなり区別できるが、音声だけでは全く同じなので、なかなか厄介だ。特に海外で事故が起きると、最初のうちは当事者の名前の漢字がわからないために、ニュースではカタカナで知らされる。もしや知人ではないかと心配することが時々ある。
 そういう意味では、誰も使わない特徴のある名前を子供に命名するほうがいいかもしれない。だが、そうなると、特殊過ぎて、なかなか覚えられなくなる。特に、最近のお子さんの名前には難しい漢字の組み合わせが多いので、漢字を覚えるだけでも大変だ。中年以上の方達の名前は、漢字の組み合わせが一般的なので書くのはラク。果たして、どちらがいいことやら。

太陽光線は必要なり

私が住んでいるマンションは、大規模修繕3年目点検ということで、ベランダに置いてある植物や品物はすべて部屋の中に取り込まなくてはならなくなった。そこで植木鉢を6鉢、1ヶ月前から部屋の中に置いているが、だんだん元気が無くなってきた。理由は太陽光線の不足である。やはり一日の中で、太陽からの恵みは受けるべきなのだ。
 泰日文化倶楽部が使っているテキストにも、次なる文章が出てくる。 ต้องมีแสงแดดพอสมควร これを直訳すれば、「適宜なる陽射しを持つ必要がある」。意訳をすれば、「十分なる陽射しを要する」
 この文章を利用して、「陽射し แสงแดด」のところを、「お金 เงิน」、「友人 เพื่อน」、「体力 กำลังกาย」、「気力 กำลังใจ」という単語に置き換えると、幅広い表現ができる。タイ人との会話で、大いに使ってみてはいかがかな?
 太陽光線といえば、タイの太陽が恋しい。マンゴーやドリアンを育てるあの強烈な太陽光線。日本はこれからどんよりとした天気におちいっていくので、ああ、タイの太陽がますます恋しい。

「しないわけにはいかない」という日本語

昨日も台湾青年がタイ語の個人レッスンを受けに来た。彼はタイ語の勉強に対して真剣である。だから、私も彼のその真摯な態度に対して、きちんと応えている。
 ところで、彼は「しないわけにはいかない、という日本語のニュアンアスがわかりません。教えてください」と言った。日本語は相当にできるので、まさか日本語の質問が出て来るとは思いもしなかった。
 私は実例を挙げて教えてあげた。① しないわけにはいかない。→ 諸事情から考えて、結局はする、という意味。② おごってばかりもらっているので、今回は払わないわけにはいかない。 → 結局は払う意思がある、という意味。 ③ 義理があるので、行かないわけにはいかない。→ 積極的ではないが行く、という意味。
 私はつけ加えた。「しないの<ない> と、いかないの<ない> が、2回出てきていますから、二重否定です。結局は、肯定していることになります。日本語にはそのような二重否定の表現が多いですね」
 彼は、「中国語には三重否定も有りますよ」と、教えてくれた。いずれにせよ、彼は次のように吐露した。「会社の同僚に日本語の意味を尋ねても、説明がさっぱりわかりません。彼らの説明を聞けば聞くほど、ますますわからなくなるので、質問するのはもうあきらめました」

尾道在住の元生徒さん

尾道市の向島に住んでいる元生徒M子さんより、久々にメールが来た。内容は、「愛媛県の岩城島にある造船工場でタイ語通訳をすることになったので、タイ語を復習し始めたが、勉強の仕方について、何か助言をください」、というものであった。
 そこで、私は『タイ語入門』(吉川敬子監修・佐々木浩士著 実業之日本社刊 2012年)を紹介した。これにはタイ人を雇用する際の表現がたくさん盛り込まれているからである。
 すると、M子さんからまたメールが来た。早速、購入し、勉強し始めたようである。
 とにかく、M子さんは学生時代から才媛であった。そして、行動力が抜群であった。2007年のプーケットの津波の時には、私がスポンサーになって、彼女に取材に行かせると、立派なレポートを見事に作り上げた。尾道に住んでもう3年が過ぎたが、彼女は田舎でじっとしている女性ではない。瀬戸内海に住んでも、2県(広島県と愛媛県)にまたがり、大いに活躍している。まるで昔、瀬戸内海に住んでいた人達が咸臨丸でアメリカを目指したかの如く。

マイペンライ 対 De rien

泰日文化倶楽部でフランス語講座をやっているということで、大変に珍しがられている。だが、何語でも開くつもりである、希望者がいる限り。
 今週から新しいフランス語講師を招いて、ギア・チェンジをした。前の講師は留学生。日本語がめちゃくちゃに上手であった。しかし、新しい講師は落ち着きのあるマダム。我々生徒との共通語は英語だ。フランス語会話と英会話の両方を習っているようで、とてもお得感がする。
 第1回目で教わった表現のうち、とても印象に残ったのが、「De rien」。タイ語のマイペンライに相当する。De rien は、ドリアンに聞こえるのでとても覚えやすい。
 フランス語にアンテナが行くと、電車に乗っていても、フランス語が聞こえてくるようになった。東京は本当にいろいろな国の人が来ているんだなあと、つくづく思う。大変に刺激的である。
 だから、その環境を活かして、日本人はもっと語学を勉強すればいいのに。目(教科書)で勉強するのではなくて、耳と口で勉強するほうがいい。せっかくネイティブの講師を招いているのだから、そのネイティブにぶつかっていかないと。彼らに日本語の勉強をさせてはいけない。我々生徒は大いに貪欲になるべし。

ทาง(道、方向、方法)というタイ語

 個人レッスンを受けておられる生徒さんが、「タイ語のทาง という単語にはいろいろな意味があるんですね」と興味を示された。そこで、いくつかの例を挙げて教えてあげた。
 ① เดิน(歩く)+ ทาง(道)は、旅行するという意味です。昔の旅は歩いていたからでしょうね。
หนังสือ(本)+ เดินทาง(旅行する)=旅券、 カバン(กระเป๋า)+ เดินทาง(旅行する)=スーツケース
 ② ทาง(道)+ลัด(時間を節約するために直線距離を行く)=近道
反対に、ทาง(道)+อ้อม(迂回する)=迂回路
 ③ ทาง(道)+ด่วน(急な)=高速道路、ระยะ(~の間)+ทาง(道)=距離
 ④ เส้น(線)+ทาง(道)=路線ทาง(道、方法)+อากาศ(空)=空路で、
 ⑤ ทาง(方法)+การ(事)=公的な、ทาง(方向)+สังคม(社会)=社会的
 ⑥ ทาง(方向)+เข้า(入る)=入口、ทาง(方向)+ออก(出る)=出口
単語例は枚挙にいとまがない。時間が有れば、我が人生の来し方を振り返りつつ、これからの未来に向かって、いろいろな道、方向、方法を模索したいものである。

66歳よ、さようなら

今日で66歳はおしまい。昨年の10月31日、66歳になった時、いやだなあと思った。理由は、タイ語の「6」という発音「ホック」が、もう一つの意味(同音異義語)として、「倒れる」という動詞があるからである。しかしながら、倒れないように、ひっくりかえらないようにと、常に気をつけて暮らしてきたので、どうにかこうにか66歳の1年間をクリアできそうだ。
 私の場合、大学生に取り囲まれているので、有難いことに、いつまでも若い気持ちでいられる。「私は66歳。hok sip hok」と言って、頭を3回、下げると、学生達は「66」という数字だけはすぐに覚えてくれた。「22歳で大学を卒業してから44年。もしも4年制大学に入りなおしたとすれば、すでに11回も大学を卒業したことになります」と、彼らに言うと、皆一同に不思議な顔をする。それもそうだろう、彼らにしてみれば、最初の大学を卒業するだけでも大変なのだから。
 とにかく、若い学生達と一緒に過ごすことができることはとても幸せである。67歳もそのペースをくずさず、若さをもらいながら、自分磨きをしていこう。

言葉でのおもてなし

 昨日の朝、新宿駅の総武線上りホームに立っていると、欧米人の母娘が目にとまった。洋服の色目がとてもおしゃれであったので、フランス人であろうと勝手に思った。母の手の中には折りたたみ地図が有ったので、彼らは観光客であり、東京見物で自由行動をしているようにみえた。
 ところが、ホームに有る電柱に書かれた駅名を覗き込みながら、首をかしげている。私はそばに寄って行って駅名の書かれた電柱を一緒になって見た。しかし、漢字の下にアルファベットが併記されていたので、それなら読めるはずであろうと思った。
 だが、母娘は相も変わらず困った顔をしている。そこで、「どこへ行きたいのですか?」と英語で訊いてみた。すると、「Mitaka」という返事が返ってきた。「ああ、それなら、ほら、あの電車ですよ」と、反対側のホームを指さして教えてあげた。
 母娘はフランス人かと思ったが、スペイン人であった。三鷹に用事とは? ジブリへ行きたかったのであろうか?
 いずれにせよ、「おもてなしは言葉から」を実践し、朝から気持ち良い気分になった。

二世達の訪問

昨日、結婚や出産のためお辞めになった元生徒さん2名が、突然、教室に私を訪ねて来てくださった。Kさんは現在、鹿児島県在住だが、御主人の東京出張に合わせて、息子さん(2歳2ヶ月)を連れて一緒に上京されたそうだ。もう一人の生徒であるMさんは東京にお住まいだがしばらくお会いしていなかった。Mさんも娘さん(もうすぐ3歳)を連れて来て私に会わせてくださった。
 元生徒さん達はそれぞれの幸せな家庭を築いておられるので、本当にすばらしいと思う。Kさんは鹿児島県でタイ料理を広める活動を毎月しておられ、将来がとても楽しみだ。
 昨日は授業が有ったので、ほんの10分しかお会いすることができなかったが、私が感心したことは、まだ2歳や3歳そこそこの2世達が、とてもしっかりしていることであった。思わずタイ語を教えたくなった。今から語学を教えると面白いだろうなあ、とか、教えがいが有るなあ、と思った。
 そこで、二人のお子さんに『タイ文字練習帳』をおみやげとして渡した。ものすごく喜んでくれたのを見て、またまた嬉しくなった。元生徒さん達が2世を連れて教室にやって来られ、「25周年おめでとうございます!」と言ってくださった時は、頑張ってやって来てよかったと思った。

何故、語学を勉強するのか?

今月末から、新しいフランス語講師をお迎えするにあたって、フランスに関する本を読んでみたくなった。料理やファッションだけの単語ではいけないと思ったからである。前の講師がアルジェリア系のフランス人であったので、『移民と現代フランス』(ミュリエル・ジョリヴェ著 集英社新書 2003年)を読んでみた。その中に、1979年にカンボジアからタイ経由でフランスに行ったカンボジア男性の言葉が印象的であった。少し、長くなるが、引用させていただく。
 「フランスに着いたとき、まずフランス語を勉強しなければいけないと考えました。カトリーヌの知り合いの女性に教えてもらいました。夜遅く勉強したんですが、いまでもカンボジア語ーフランス語の辞書を思い出します。私はほとんど全頁暗記しました。言葉を学んだのは、仕事をするためでした。もしいつかフランスを離れて、アメリカや他の国へ行くとしても、私はやはり言葉を学ぶことから始めます」
 タイ語を習う日本人は、趣味やボケ防止だという方達が多い。それはそれで幸せだ。だが、移民は違う。より良き仕事にありつくには、必至で言葉を勉強する。