おみやげとして、キー・ホルダー、マグネット、そして、ブック・マークをたくさん頂くことが多い。いずれも大切にしまっているが、昨晩から、韓国みやげのブック・マークを使い始めた。
<雲鶴>という紋様がついたこのブック・マークには、韓国語、英語、そして、日本語による説明が書かれてあった。
「雲鶴紋様=韓国の伝統文様の中の一つで、特に伝統陶磁器や民画にたくさん使われている。雲は俗世間を脱して風流的で、鶴は高い意気を意味します」
ハングルで書かれた説明も理解できた。だが、俗世間とは書いておらず、単に、世間とだけしか書いていないことに気づく。
いずれにせよ、韓国人にとって、<雲>が風流であるとは! 雲は、「暗雲がたれこめる」、とか、「雲隠れする」とか、日本人にはマイナスのイメージが強いように思うのは、私だけだろうか。
ただし、仮にもし「雲水」になり、道を求めて行脚すれば、風流を突き抜けて、禅定、そして、空(くう)の世界に達するのかもしれない。
「諸般の事情により」という表現
健康維持のために、一日に30種類のものを口に入れることを心がけている。その手っ取り早い方法とは、ビュッフェ・スタイルの店へ行き、少しずつおかずを皿にのせることである。この年になると量は関係ない。食べ過ぎると医者に注意されるのがわかっているからだ。
月に1回の割合で、教室の近くにあるスポーツ・センター内のレストランに行っている。和食が中心のメニューはうれしい。
ところがである。玄関ドアに貼り紙がしてあり、「諸般の事情により3月末をもって閉業します」と書いてあった。街を散策していると、この間まで有ったとおぼしき店舗がいつのまにか閉店している。商売は厳しい。
それにしても、「諸般の事情により」という表現は、どことなく淋しい。似たような表現に、「一身上の都合により」というのもある。具体的表現を避け、婉曲に言おうとする日本人の特質をよく表わしてはいるものの、理解しがたい不快さが残る。
ブンカーン県のスカーフ
昨日、土曜日の授業を担当しておられるアイス先生からおみやげを頂いた。タイ国第77番目の県であるブンカーン県で買って来たというスカーフであった。
ブンカーンをタイ語で表示すると、บึงกาฬ 。ブン=沼、カーン=黒だから、黒沼県。2011年3月まではノーンカーイ県の中の一郡。行ったことはないが、ウドンタニー県やノーンカーイ県へは行ったことがあるので、風景はイメージできる。
おみやげとして頂いたスカーフは茶系統の色をしている。日本で使うには、秋がふさわしいと思う。もしもブンカーン県の女性が織ったものであるとするならば、すばらしい。スカーフは内外を問わず、需要が多いから、ブンカーン県の女性がその土地に残り、美しい織物を造っていくことは大切だ。
ところで、アイス先生は3月に博士号を取得されて本帰国である。生徒の皆さん、アイス先生と勉強するのはあと2ヶ月ですよ。
教育格差
特に用事が無い時は、あえて外出しない。昨日は読書と掃除と、そして、テレビ。サッカー中継を真面目に見たが、結果は、ああ….。
そのあと、NHKのEテレにチャンネルをきりかえると、「パリ白熱教室」をやっていた。今、注目のトマ・ピケティ教授が、第3回目の講義として、親の所得と教育格差について話していた。日本でもこの話題はかなり以前から有るので不思議ではないが、具体的なグラフを見せて、数値の比較をすると、説得力が増す。
それにしても、親の所得が多ければ、子供は良い教育を受けられる。有名な大学を卒業すれば、有名な会社に入れる。そうすれば、高収入を得て、子供に良い教育をつけさせられる。こうした循環はなかなか終わらない。高学歴をつけた人達が幸せであるか否かは別問題として、教育が社会におけるいろいろな格差を生み出している連鎖をどこかで切って、新たなる変動が必要だ。
老いらくの恋
大学の講義が終了したので、今は泰日文化倶楽部に全力を注いでいる。具体的に言うと、タイ人講師達の授業の補佐をしながら、生徒達の上達ぶりを見ている。
その中で気がついたことは、ネイティブに習っても、タイ語の発音が一向に上手になってはいないことだ。いくら矯正しても直らない。
すると、還暦近い男性がこう言った。「老いらくの恋をしなければなりませんなあ」
その通り。恋をすればすべてに艶が出る。発音もしかり。
老いらくの恋をタイ語では何と言うのかと、その生徒が知りたがったので、タイ人講師に通訳しながら尋ねた。
答えは、「กินหญ้าอ่อน 若草を食べる」というそうだ。若草(หญ่าอ่อน)は、若い娘のことである。年増の女性はダメか….。
埼玉県からの生徒達
昨日は雨が雪に変わり、東京も白いものがひらひら。雪の日は緊張する。何故ならば、タイ人講師が来られないことを想定して、備えておかなければならないからだ。LINEで様子を尋ねると、来る意思あり。
しかしながら、生徒達の参加も当然、悪くなる。昨日は埼玉県から習いに来られている生徒達が3名、休まれた。帰りの足が心配であったからだ。
ところで、埼玉県熊谷在住の方がおられるが、高田馬場まで来る交通費が馬鹿にならない。気の毒だ。東京に近いところまで勤務していた時は定期があって、それが使えたが、退職した途端に交通費が跳ね上がった。それでもやめずにタイ語を習いに来てくださる。有難い。
聞くところによると、埼玉県にはタイ語を教えているところが無いそうだ。そこへ行くと、東京にはあちらこちらにタイ語を教えているところがある。高田馬場駅2分のところにある泰日文化倶楽部。駅から近くてよい。山手線、西武新宿線、そして、地下鉄東西線の沿線に住む方々からは有難がられている。タイ語教室としての存在意義は大きい。
女性雑誌
先日、早稲田にある穴八幡にお参りした。祈ったこと、それはもちろん、「タイ語の生徒さんがたくさん来ますように」
帰りに早稲田の古本店に寄った。『戦争と女性雑誌 1931年~1945年』(近代女性文化史研究会 ドメス出版 2001年)を購入。あとがきに、女性雑誌の存在意義をまとめていた。
「雑誌はその商業性や恣意性も色濃く反映するが、一方では女性をとりまく家庭・政治的環境の変化、女性自身の意識のあり方や変化を明確に読みとることができる。さらに家庭環境・居住地・学歴・職業の違いを越えて、多くの女性の持つ問題・悩みをとりあげ、解決を考えあう<広場>の役割をもっていた」
この意見に同意する。ネットの時代になってから書籍や雑誌の販売が厳しくなっているが、やはり本の体裁を成したものであれば、長く保存できる。そして、それが歴史の証明になる。
教えることは楽しい!
月曜日は祭日が多いため、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスだけは、授業を休むことにしている。理由は、会社員の生徒達から、「祭日はあまり外出をしたくありません。ですから、休みにしましょう」という要望が出ているためである。
昨晩、タイ人講師が風邪のため来られなかった。そこで私が代講した。今年になって初めて会う生徒達。皆さん、お元気な姿で現れた。ただし、約1ヶ月近く、休みが有ったために、彼らのタイ語に対する感覚は鈍り気味であった。休みが多く有るのはよくないなあと思ったが、取り決めたことだから致し方ない。
いずれにせよ、皆さんから今年もタイ語をマイペースで習う気持ちが伝わって来たので一安心。
「やめたらおしまいですよ。続けましょうね!」 私は檄を飛ばした。
昨晩は、「タイ語初級19:30」のクラスも代講した。生徒達がタイ文字が読めるようになっていて嬉しかった。タイ語を教えることは本当に楽しい。
もみじのような手
昨日の朝、高田馬場駅の構内で、ノーン先生のご家族と偶然にお会いすることがあった。御主人とは電話で話したことがあるものの、お会いするのは初めて。
ベビーカーの中の坊やは1才7ヶ月。1年前に教室に連れて来られた時は机の上にお座りさせて、生徒のみんなであやしたものだ。今はりりしい感じのお顔になっていた。
タイで生まれ、半年後に日本にやって来た彼は、最近1ヶ月半、タイへ行っていたので、タイ語にも反応する。
ノーン先生が「サワッディー・クラップ。ワーイ(合掌)しなさい!」と号令をかけると、坊やは本当に手を合わせた。もみじのような手。可愛い! 思わずその手に触った。
タイの子どもが赤ちゃんの時から合掌することを教えられていることは、実際に見て知っている。この坊やも、日本には住んではいるけれど、挨拶はタイ人ばりばりだ。
「ちょっと….」という日本語
今年に入って、タイ人に2回、日本語を教えた。日本語を教えることはとても楽しい。だから、私は生徒達に向かって、普通のスピードでどんどん話しかける。
日本語で、「いいです」と言うと、それには、情況次第で、そして、発音の仕方次第で、「良い」と、「要らない」の両方に解釈できる。「結構です」も然り。「すばらしい」と、「不要です」の両方の意味を有する。日本人であれば、そのような混乱は起きないが、日本語を勉強し始めたばかりの外国人には、まだまだわからないことが多いらしい。
昨日、「ちょっと」という単語がテキストに出てきた。使われている場面は、「ここの席、空いてますか?」という質問に対して、「あのー、ちょっと…..」という返事であった。
生徒は、実際にそう言われたことがあるらしく、私に訊いてきた。
「ちょっとという単語は、ちょっと待ってください、ということだと思っていました。ですから、私はそこでずっと立って待っていました」
私は笑いながら、答えた。「あのー、ちょっと…..と言うのは、この席には家族とか、友達が座る予定だけど、トイレ等へ行っているから、今はここにはいない、そのうち戻って来る、という意味合いが含まれていますよ」