お客様は7歳のタイ坊や

タイは昨日からソンクラーン(タイ正月)。山手線に乗ると、タイ人御一行様を見かける。
 タイ人講師のY先生に頼まれて、目下、タイ人家族が我が家にホームステイしている。羽田に着いたのが12日の夜9時過ぎ。タクシーで家まで来てもらったが、10時10分に到着。何と便利で近いことか。
 40代のご夫婦と7歳の男の子の3人とは初対面なのに全く違和感がなかった。特に7歳の坊やは部屋の中で跳んだりはねたり。興奮しているようだ。坊やにとって日本は2回目。
 「どこへ行きたいの?」とたずねると、「おだいば。あおみ」と答えた。「電車は何線?」とさらにたずねると、「ゆりかもめ」とちゃんと答えた。バンコクでいる時に、東京のマップを見ながら、固有名詞を覚えたのであろうが、それが私にはすごいなあと思った。行きたいところをはっきりと言えるということは、旅行者にとってはとても大切なことだから。坊やは毎年、東京に来そうだ。

第79回 マスターズ

今日の零時過ぎから始まった第79回マスターズの中継を見た。優勝者は21歳8ケ月のジョーダン・スピース。4日間にわたって首位に立ち、完全優勝だ。しっかりした面構えとすばらしい肉体。精神力たるや想像以上であった。
 私はマスターズの中継を見るのが好きだ。オープニングに流れる歌がとても好き。そして、花々と樹木が美しい。池はまるで鏡の如し。1100人のスタッフがコースをケアしているとのこと。
 松山秀樹も最終日は66で回り、結果は5位。彼には野性味が感じられる。復帰したタイガーの赤の勝負服も見ることができた。タイガーはもうすぐ40歳になるという。1997年の華々しい優勝の時の映像は瞼にやきついている。
 そして、今回、とても嬉しかったことは、タイ人選手のトンチャイ・ジャイディー氏が最終ラウンドでプレイしたことだ。もちろん応援した。

50歳からのタイ語

昨日、三鷹ネットワーク大学でお会いした生徒達12名の平均年齢は52.2歳。23歳から70歳までの幅があったが、皆さん、興味を示しながら授業を聞いてくださった。
 全員にたずねたわけではないが、かなりの方がまだタイへは一度も行ったことがないとのこと。それを聞いて、私のほうが新鮮な気持ちを覚えた。そして、楽しく教えなくてはと、自分に号令をかけた。
 知らない国の言葉を習うということは興味深々。体験授業だけで嫌いになってもらってはいけない。2時間の授業を、私は私なりにうまくフィニッシュできたと思う。
 50歳という年齢は、若いようでもあり、若くもない。微妙な年齢だ。50歳を契機に、さて何を始めるか。
 何を選ぼうと自由だが、体力的にも資金的にも継続できるものを選ばないともったいない。タイ語の勉強はそれほど高くない。時間がたっぷり有る方にはお勧めの趣味である。

アジア・アフリカ語学祭り

今日は、三鷹駅前に在る三鷹ネットワーク大学で、アジア・アフリカ語学院主催のアジア・アフリカ語学祭りが行われる。受講料は1コインの¥500.
 事務局からの情報だと、今年はかなりの受講者が集まっているそうだ。なかでも断トツなのは、アラビア語で18名。おお、すごい。やはり中東でいろいろな事件が発生しているからであろうか。旅行で行くにしても、現地の言葉が少しでもできたほうがいいにこしたことはない。
 我がタイ語は8名。今日、新しい出会いがある。その出会いをはずみにして、タイ語指導に邁進したい。

高田馬場4丁目の郵便局

昨日、速達を出すため泰日文化倶楽部の近くにある郵便局へ行った。正面ドアの前に韓国人2名が立っていた。並んでいるのかと思ったが、そうではなかった。用事が終わって談笑しているにすぎなかった。
 次に目にしたのは中国人カップル。二人は大きな段ボール3箱にひたすらテープを貼り続けている。どんなに貼っても、中国に着くまでには破けそうだ。それにしても、郵便物を出すスペースを占領しており、これまた迷惑。
 やっと速達を出し終わると、ソファーにタイ人らしきグループが7人ほど腰かけている。少し離れたところから彼らの会話を聞こうとしたが、あまり聞こえない。そこで傍に寄って行って耳を傾けたが、タイ語ではなかった。ミャンマー人であった。
 一人の女性に尋ねてみた。「どうしてこんなに大勢、並んで座っているの?」
 すると彼女は答えた。「ATMのカードをつくりに来ています」
 どうやら4月に来日したミャンマー人に付き添ってきているらしい。
 それにしても、高田馬場4丁目の郵便局は完全にアジア人に占拠された感を呈していた。

先生との相性が肝心

生徒達と話していると、「A先生は教え方がうまいが、B先生は….」ということを聞く。しかし、私から言わせてもらうと、そんなにすばらしい先生に習っているのであれば、もっと上手になってもいいと思うが、結果はそれほどでもない。
 私は思う。どの先生からも、先生である限り、教わるものがあるということ。生徒のほうから求めるものが少なければ、先生の知識の袋は開かない。そして、90分があっというまに経過してしまう。
 授業にのぞむ際、ただ単に受身で教わるのではなくて、もっとタイ人講師を面白おかしく、ワイワイと乗せなくては。タイ人にとって、おとなしすぎるクラスはどうも苦手のようである。なんでこんなに日本人は無口なんだろうかと思っているはずだ。
 特に語学の場合、楽しくしゃべらないと、自分自身が高揚しない。自分のテンションを意図的に上げると、授業後、爽快感、満足感を覚える。
 タイ語は楽しいと思うだけで、先生達との相性もよくなり、授業風景が明るくなる。

タイ語で「~させたくない」という表現は?

タイ語を何年も勉強しておられる生徒達には、少しでもてきぱきと自分の意見をタイ語で話してもらいたい。それには訓練が要る。
 昨日、「~させたくない ไม่อยากให้」という表現を使った文例を次から次に挙げて、タイ語でどんどん言ってもらった。
 ① 息子を機長にはさせたくない ไม่อยากให้ลูกชายเป็นนักบิน
② 娘には外国人と結婚させたくない ไม่อยากให้ลูกสาวแต่งงานกับชาวต่างชาติ
「~させたい อยากให้」はすらすら言えるのに、「~させたくない」という否定文になると、ひねりが入っているだけに、生徒達は言いよどむ。「~ない ไม่」という否定語をどこに置いていいのか迷うのがわかった。
 そういう時には、単語の並べ方をもう一度、丁寧に、かつ、印象的に説明し、生徒達に文章や表現をどんどん発音させることだ。こういう訓練を90分繰り返していると、頭の中が活性化してくるのがわかるらしく、生徒達から大いに喜ばれた。

宇野千代の「書くということ」

泰日文化倶楽部のすぐ近くに小さな古本屋が有る。この店に気づく人はそう多くはいるまい。先日、ここで『神さまは雲の中』(宇野千代 角川春樹事務所発行 1997年)を買った。定価480円だが、古本だから210円。しかし本自体に汚れは全く無かった。
 宇野は交流した作家達や詩人、そして、評論家との思い出を書いているが、谷崎潤一郎、川端康成、小林秀雄、のところを読んだだけでも非常に読み応えがあった。そして、最後の項目には自分自身のことを書いている。
 「私は他にも一つ仕事を持っていることで、自分に人を面白がらせる才能がなくても平気になった。五十を過ぎた頃になって、私は始めて(注:ママ)、考えることをし始めた。何を書くのか。何を書かなければならないのか。言い替えると、文学者としての、初歩的な段階にやっと辿りついた。私には書きたいと思うことがはっきりして来た。いま、七十を過ぎているが、格別、急ぎはしない。書きたいと思うことがみつかると書く」
 宇野千代は98歳まで生きた。死ぬまで、現役作家として、ゆっくり書いた。

つばさ橋

カンボジアとベトナムの間を流れるメコン川に、今日、「つばさ橋」、カンボジア語で言うと、「スピエン・ツバサ」が開通するそうだ。全長2215m。おお、長い! 南部経済回廊の道路の役割を果たし、ベトナム、カンボジア、タイの3ヶ国が流通面で一気に近づいたことになる。2001年には、「きずな橋」というのがすでに建設されているとのこと。
 おめでたい話に少しばかり水を差すのは失礼だが、橋の命名の仕方にもう少し一考の余地はなかったのであろうか?
 何故ならば、タイ人もカンボジア人も、そして、おそらくベトナム人も、日本語の「つ」、「ず」の発音が難しく、「つばさ橋」は、「すばさ橋」、もしくは、「ちゅばさ橋」、そして、「きずな橋」は、「きすな橋」にしか発音できないからである。
 「あつし」という男性、そして、「ちずこ」という女性から、悩みをうちあけられたことがある。理由はタイ人からきちんと自分の名前を呼んでくれないというわけだ。母国語に無い音を発音するのはどんなに頑張っても苦しい。

何を着たらいいのかわからない

 花寒の日が続いている。タイ人講師の口から、「ใส่เสื้อไม่ถูก サイ スア マイ トゥーク 何を着ていいかわからない」という言葉を聞く。
 なるほど、悩みは同じなんだ。四季がある日本、天気がはっきりしない日本で暮らす外国人も、洋服には頭を悩ましているようだ。
 ところで、「ใส่เสื้อไม่ถูก」という構文だが、タイ語を習っている人にはなかなか馴染めないみたい。タイ語では、「着る+洋服+ない+正しい」の語順。即ち、「洋服を着ることが、正しくない」という流れ。
 この構文は、「บอกไม่ถูก うまく言えない」、「ไปไม่ถูก (その場所に)ちゃんと行けない」という表現にも使われる。
 このような表現はとにかく使ってみることだ。日本語と異なる語順の場合、何も考えずに覚えてしまい、さっさと連発することが一番。