最近、個人レッスンを希望する方達が増えてきた。理由としては、早く上達したい、そして、タイ文字をしっかり学び、すらすら読みたい、等である。
グループ・レッスンだと、仲間への配慮を示さなければならない。発音する回数も個人レッスンよりは少ない。下手な発音の人の発音を聞くのは耐えられない。
しかしである。泰日文化倶楽部のグループ・レッスンは、クラスの平均が3名だ。誰かが休むと、ほぼセミ・プライベート状態。幸せと思ってほしい。
昨晩から個人レッスンに切り替えた方がおられる。先生はタイ人講師と私の2名。私は教えながら、生徒の理解の仕方、くいつき方、語学センスの容量を刻々と観察していく。
とにかく、90分の授業を最大限に活かして、生徒のタイ語力を伸ばしていかなければならない。発音が悪ければ、容赦しない。日本シンクロの井村雅代コーチくらい厳しくしたい。そして、早期のうちに結果を出したい。たらたらしているのが一番良くない。
夏眠
昨晩、マンションの階段に蝉(จักจั่น チャッカチャン)がお腹を上にして横たわっていた。今朝も同じ姿でいた。死んだ蝉だと思い、ごみ袋に入れようとして触ると、急にばたつき始め、そして、どこかへ逃げて行ってしまった。
なんだ、死んではいなかったのだ。死んだふりをして、仮眠していたのだ。暑すぎるから、しばし、<夏眠>していたのかもしれない。
蕎麦屋に行くと、入り口を入ったところに金魚を入れた鉢が置いてある。そこの金魚(ปลาทอง プラー・トーング)はいつもじっとしている。だから、金魚を模したおもちゃとばかり思っていた。ところが、私が鉢の中の水に触れると、なんと金魚が動き出した。生きている。なんだ、これまで<夏眠>していたのだ。
こう暑いと、冬眠の反対である夏眠をしたくなる。体を酷使しては大変。今夏が乗り切れない。
しかし、私の場合、学生に試験をしたため、採点と評価が待っている。まだまだ夏眠できない。
台湾青年
2年前から個人レッスンを受講していた台湾青年が、昨日、久々に教室に現れた。彼は今年に入ってから台湾に長期出張をしていたので、彼の再受講を私は殊の外、喜んだ。
彼の勉強態度はとても積極的。「先生、私は自分でテキストを読みますから、聞いていてください」と言うので、私は彼の発音を矯正するだけ。タイ文字も彼自身の努力で、どんどん読めるようになった。
ところがである。長いブランクが有り過ぎたために、タイ語の勘が鈍っていた。似たようなタイ文字の判読に手間取っている。長いブランクはやはりマイナスだなあと思った。
だが、授業が後半に入ってからは、次第に彼の読むスピードが加速していった。本来の彼に戻りつつあった。
数ヶ国語をマスターしている彼にとって、タイ語は第6ヶ国語目だ。声調言語は得意中の得意。文法もほぼ中国語と同じだから、とりたてて文法の説明をする必要はない。
とにかく教えやすい生徒さんだ。だが、授業の最後に彼は言った。
「あと10日で台湾に本帰国します」
今回の帰京は荷物整理に帰って来たというわけだ。時々、東京に出張に来るそうだから、是非とも泰日文化倶楽部に顔を出してほしい。
猛暑お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げますと言うべきところ、どうしても、<猛暑>になってしまいました。
年々、暑くてたまりません。暑い季節と寒い季節しかなくなり、中間のおだやかな時間がなくなったような気がします。
念のために再度、泰日文化倶楽部の夏休みの期間をお知らせ申し上げます。
8月7日(金曜日)から20日(木曜日)までです。
ゆっくり体も心も休めましょう。ただし、頭のほうは常に回転させて、タイ語の知識を増やしましょう。
泰日の生徒の皆さん、あと6日、教室で楽しく、元気に勉強しましょう。
北千住 → 北干住
一昨日、ネットでニュースを見ていると、「北千住が北干住に」という見出しがあった。一体、何のニュースかと思うと、駅のホームにかかげられている駅名を入れたボードの中のひとつが、<千>と書くべきところ、<干>の漢字になっているという指摘が通勤客からあったという内容だ。
なるほど、大勢の乗客は、毎日、全く問題視しないまま、乗降していたということになる。誤字を見つけた方は時間に余裕があったか、あるいは、漢字に敏感な方だと思う。
私も以前、同じような経験をしたことがある。以前、本を書いた時に、本の背表紙に書かれた本のタイトルが、『タイ語会話』と印刷されているものだとばかり信じ込んでいた。しかし、出版してから1年半後に、生徒から指摘が有った。『タイ語会語』となっていますよ、と。彼女は校閲の仕事をしている方であったので、プロとして、すかさず気づいたわけだ。
我れ関せず、当たり前、いつも見慣れている、といった状況においては、あまりにも無神経になりすぎている。
暑いことは暑いが、この猛暑の中で、字の誤りを見つけるために街を探索するのも、案外、面白いかもしれない。
記憶を育てる
今年5月に亡くなった詩人の長田弘氏が著した『なつかしい時間』(岩波新書 2013年)の中に、「記憶を育てる」という項目がある。次なる引用は、結末の文章である。
「人の考える力、感じる力をつくってきたのは、つねに記憶です。けれども、もっぱらコンピューターに記憶をゆだねて、自分を確かにしてゆくものとしての生きた記憶の力が、一人一人のうちにとみに失われてきているように見える今日です。あらためて、人間的な記憶を日々に育ててゆくことの大切さを、自分の心に確かめたいものです」
長田氏は、こうも言っている。「自分の記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものだと思う」
語学だけ出来ても、別にたいしたことではない。人間的に成長をとげるためなら、他に方法がいくらでもある。だが、外国語が好きな方は、一つの外国語に取り組み、その国や人々を知ることによって、もっと学習意欲を掻き立て、さらに前向きになる。単語から表現へ、表現から文章へと進んでいけば、外国語はどんどん面白くなる。単語だけの単なる記憶ではなくて、学習する過程において、文章構成力をつけながら、自分をよく見つめるということが大切であり、それが人生となっていくのであろう。
ฎ (ドー・チャダー) というタイ文字
7月もそろそろおしまい。私はいつも、その月の名称を生徒にタイ語で書かせているが、月名を正しく書ける生徒は少ない。それだけ難しいということか….。
7月は、กรกฎาคม(カラッカーダーコム)。ฎ(ドー・チャダー 冠)の文字を使った単語は、初心者が使うテキストにはなかなか出てこない。例:กฎหมาย(法律)
辞書を引くと、この文字が単語の頭に使われる単語は、たった一つだけしか挙げられていない。すなわち、ฎีกา(ディカー)=直訴。
タイでは、直訴の手法が昔から有り、王宮の門前の銅鑼を叩いて、王様に直訴していた。日本でも農民や町民の苦しみを見て、あるいは、不条理な世の中に耐えかねて、直訴した話が有る。
今はいくら何を言おうが、その声は虚しくかき消されていく。お上はもっと一般の人々の良識ある声を聞くべきだ。
明治時代の留学
『竹内 好 ~ある方法の伝記』(鶴見俊輔著 岩波書店 2010年)の中で「留学」について、次なる記述が有った。
ー 明治に入ると、全五百七十例のうち清国が四例、香港が一例あるだけで、あとはすべて欧米である。その後、明治、大正。昭和と、海外留学の行く先は主に欧米にかぎられていた。陸軍から朝鮮にむけておくられた留学生はあったし、アジア諸国にむけての留学生は、国策の都合上、試みられてはいたが、それほど日本の青年の希望するところではなかった。欧米先進国の文明にまなぶのが、官民ともに望むところだった。そして、官費留学生の目標は欧米諸国にならって日本国家の富をまし、勢力を大きくすることにあった」
この内容は誰しもが首肯する点であるから、今更、批評を加える必要もない。だが、もしも、アジア諸国に留学した青年が多ければ、そして、アジアへの正しい理解が明治の頃からなされていれば、日本の近代史は違った方向に向かっていたのではなかろうか。
いずれにせよ、最近は日本の大学生のアジア留学が盛んになってきた。アジア諸国で多くのことを学び、その学んだことが、将来、国際関係において、大いに役立つことを願う。
「第99回アジア女性のための生け花教室」
7月25日、「第99回アジア女性のための生け花教室」を実施した。2007年1月から無料開講して8年半。タイ人的に考えると、「第99回」はおめでたい数字だ。
来月はいよいよ第100回を迎える。
一昨日の参加者には台湾からの女子留学生が入っていた。可愛いくて、素直な女性だ。日本滞在中に日本の文化を少しでも身につけてくれれば、それだけで嬉しい。
この日、生けた花の名前は、太藺(フトイ)と河骨(コウホネ)。太藺は、畳表をつくる藺草に似た植物。形は全然太くなくて、すらりとした細身(ほそみ)。一方、河骨は、スイレン科なので、葉っぱは睡蓮の小型版。根茎が細くて白いので、<骨>という漢字が当てはめられたようだが、聞いただけでは、どことなく気持ちが悪い。
しかしながら、太藺と河骨を生けると、涼が感じられた。生け花っていいなあ。
映像作家
昨晩、根岸の精進カレー料理店「オンケル」へ行った。屋上で隅田川の花火大会を見るためである。近くにタワー・マンションが建ったために、花火は少ししか見ることができなくなったらしい。だが、東京スカイツリーと花火の両方を見ることができ、大満足。
集まって来たお客さん達は約15名。オンケルの店主のお兄さんも参加。彼と私は3歳違いだから、話がよく合った。
「小さい頃からバスに乗って浅草へ行き、映画館で映画ばかり見てました。映像美に惹かれて、今の職業があります」
彼は世界遺産を撮影する映像作家だ。幼い時の体験がいかに大切であることか!
昨夜の集まりではまたまた偶然にも同郷の人に会った。これまでにも2回ほど会ったことがあるが、出身地までは知らなかった。私よりも10歳年下。丸亀の話でもちきりになった。