タイ王国大使館時代の元同僚

昨日、見学希望者から電話が有った。普通であれば、「どうぞいつでもご見学にいらしてください」と言って電話を切るが、彼がタイ駐在生活から帰って来たばかりだと言ったので、「それじゃあ、もう話せるでしょう。それなのに帰国してすぐにタイ語を勉強したいというのはすばらしいことです」と、私は彼の意欲を褒めた。
 すると、「実は私の父はタイ人です。母は東京で40年間、タイ料理店をやっています」、と言った。それを聞いた途端、私はもっと情報が欲しくなり、彼にいろいろと尋ねることになってしまった。
 私は彼のご両親のことを知っていた。特にお父様であるP氏とはタイ王国大使館勤務時代(1969-1973)からの知り合いであった。現在、84歳になられたとのこと。とても懐かしい。そして、P氏と同じ大学(日本の東北地方)を出た無二の親友であるS氏がもうこの世の人ではないことを、P氏の息子さんが教えてくれた。S氏と私は大使館の同じ部屋で4年半、気難しい上司のもと、一緒に働いた。P氏もS氏もタイ人留学生の先駆けであった。

敏於事 而慎於言

私にとっての初めての海外旅行は1971年の台湾行きであった。その時に購入した木製の日めくりには、次のように書いてある。
 「敏於事 而慎於言 To be earnest in what one is doing, and careful of speaking.」
 <敏>という漢字は、敏捷、鋭敏、という表現に出て来るように、①速い、②賢い、という意味がある。上記の英語訳が、<be earnest>となっているが、これは「真面目な、熱心な」という意味にとれる。
 そこで、英語では、<敏>を何と訳しているのかと思って調べてみると、①nimble ②keen in thinking and acting ③sensitive ④diligent ⑤fast ⑥quick ⑦clever ⑧smart と列挙してあった。
 では、最後に宿題を。「敏於事 而慎於言」をタイ語に訳してみよう。

花奏(はなかなで)

「第111回アジア女性のための生け花クラス」(最終回)で教わった生け方の名前は「花奏(はなかなで)」。これは現在の若き小原流家元(第5世)が考案なさったものであると華道講師から説明があった。
 長い茎を持つ花材を3本使って、空中上で高く交差させるが、それらの花材がすべて円筒形の中に納まるように生けなければならない。理由は、最近の家には床の間が無く、玄関にも花を飾るスペースがあまり無いからである。たとえ有っても、枝が横に長く伸びるような生け方(傾斜型)は無理とのこと。
 出来上がった作品を写真に撮り、タイ人数名や香港から来た留学生に送ったところ、ものすごく反響があった。バンコク在住のイスラエル人弁護士は、“The simplest things are always the most beautiful things.”というコメントがすぐに来た。
 日本の華道も、床の間時代から遊離して、新しい時代に合わせると、まるで室内音楽の如く、花のささやきが聞こえてきそうだ。

タイ語の勉強は役に立ちます!

1月上旬のブログで、「気仙沼から頂いた年賀状、旧姓を書いて下さっていないから、どなたかわからなくて困ってます」という内容を書いたが、昨日、家の中を掃除していると、彼女(旧姓)からの手紙が出て来た。それでやっとその生徒さんを思い出すことができた。参考になる点が大いにあったので、3年前に頂いた文面の一部を無断で以下に引用させていただく。
 「私は出席率も悪く、やる気も感じられない生徒かもしれませんが、細々と楽しく勉強させていただいてます。タイ洪水の際、チャオプラヤー川そばに住んでいる友人が気になって、facebookで(アルファベットですが)ごく簡単なタイ語で安否を尋ねたところ、すぐに無事がわかり、友人もタイ語ということで、とても感動していました。勉強してて良かったです」
 こういう感想をいただくと、教師冥利に尽きる。タイ語が役に立ったという話は時々、耳にするが、もっともっと聞きたい。とにもかくにも、生徒さんの日々の努力と姿勢に乾杯!

目白のタイ料理店

昨日、友人と目白でお茶をした。2時間ばかり談笑したのち、夕食にタイ料理店へ案内することを考えた。そこで、目白駅近くにあるタイ料理店「ホワイト・ジャスミン」の開店時間をスマホで調べたところ、「閉店」と書いてあった。
 「閉店?」 それは変だ。新規開店してから、まだ1年位しか経っていない。「えっ、もう閉店?」と私は思わず声に出した。
 目白には、これまでにもタイ料理店が2~3店、オープンしたことがあるが、いずれの店も長くは続かなかった。唯一、頑張っている店は、新大久保から移転して来た「プアンタイ」だけ。
 目白は学習院大学と日本女子大学が有り、若者も多いのだが、彼らはタイ料理は食べない。理由? それは彼らにとって高いから。富裕層が多く住んでいるところでもあるが、高齢者達にはナムプラー(น้ำปลา)、パックチー(ผักชี)そして、ココナツ・ミルク(กะทิ)がだめ。したがって、エスニック料理は気持ち悪がる。
 こうなると、よほどの仕掛けを起こして集客力を工夫しない限り、目白でのタイ料理店は線香花火の如く、必ず消えて行く。

「アジア女性のための生け花クラス」満了

昨日、「第111回 アジア女性のための生け花クラス」を実施した。だが、2007年1月に無料開講したこのクラスは、当初考えていた通り、10年間を一区切りとして、満了することにした。
 このクラスの趣旨は、都内や東京近郊に住んでおられるアジアの女性が日本の生け花に親しみ、母国に帰国した折には、生け花を教えることができるようになると、どんなにいいことかと思った次第である。
 一番長く熱心に稽古されたのはミャンマー人達であった。しかし、数年前から母国の体制が変わってからというもの、ミャンマーからの親戚兄弟達の観光案内でとても忙しくなり、参加人数が次第に減っていった。
 日系ペルー人、台湾人、そして、スペイン人までもが参加してくださった。男性の参加も快諾した。
 とにかく楽しかった。華道講師は実に熱心にご指導してくださった。先生にも生徒にも声高く言おう。10年間、有難うございました。

大統領というタイ語

トランプ大統領の政権がスタートした。「大統領」は、タイ語で「ประธานาธิบดี プラターナーティボディー」。この単語は、「ประธาน 主席、社長、議長、委員長」と 「อธิบดี 偉大な人、首長、統治者」の2語が合成されたものである。
 冨田竹二郎先生の『タイ日辞典』(1987年刊)によれば、「ประธาน」には、もう一つ、仏教的な意味が有り、それは「ประธาน4」という表現の中で使われる。「四正勤 よんしょうごん=勤勉に努力すべき4項目」というものだ。
 1)สังวรประธาน 自分に悪が生じないように努める。
2)ปหานประธาน 自分に生じた悪をなくすように努める。
3)ภาวนาประธาน まだ生じていない善を生じさせる。
4)อนุรักขนาประธาน すでに生じた善を増長させるように努める。
 トランプ大統領は、「アメリカ第一主義」を掲げているが、上記の如く、仏教的な考え方があることも知ってほしい。アメリカにはアジアの人々もたくさん住んで活躍している。是非ともこの「四正勤」を実行に移せる大統領になってもらいたい。

意見、考えをはっきりと言う自信と姿勢を持とう!

作家の佐藤愛子さんの近著『それでもこの世は悪くなかった』(文藝春秋社刊 2017年1月20日発行)を買って読んだ。本の帯に、「93歳、初の語りおろし人生論」と書いてある。彼女のようにプラス志向の性格の持ち主であれば、激動の体験もマイナスからプラスに転じるようだ。大いに見習いたい。
 だが、現実の世は悪い。悪すぎる。ついて行くのが馬鹿馬鹿しくなった。これからは自分の殻に閉じこもって、守り一徹で行こうか…..。
 今朝、NHKのニュースで、元外務省の高級官僚が言っていた。「日米交渉の時に、日本は何故もっと強く意見を主張しなかったのであろうか。日本人は控えめすぎます」
 それを聞いて、唖然とした。国際政治の場に於いて、日本人は控えめ? それはいかん。英語を勉強するのは何のため? 単語をたくさん覚えて、試験で高い点数を取るため? いい就職にありつくため? 
 語学を勉強するのは、自分の意見を理路整然と外国の相手に伝えるためでなければならない。語学を習う以前に、自分の考えをきちんとまとめ、相手に噛みつくだけの気迫を訓練する必要が有る。

仲がいい国際人

大学へ出講する時、私は十分なる時間を取って出かけるので、教室には15分前から入って待機している。だが、その教室にはいろいろな学科の学生が弁当を買って来て、談笑しながら食べており、おかずの匂いが充満……。
 一昨日、これまでに見たことがない留学生達が4名、座っていたので、私は声をかけた。
 「あなたたち、どちらのお国からいらしたの?」
 すると、4名が順番に答えた。「私はフィリピン人と日本人です」、「私は韓国人と日本人です」、「私はマレーシア人と日本人です」、そして、「私はアメリカ人と日本人です」
 それを聞いて、彼らの両親が国際結婚であることがわかった。そして、私自身、ついその場の雰囲気につられて、思わず次のように言ってしまった。
 「私はタイ人と日本人です」
 彼らは何一つ疑うことなく、にっこりと笑ってくれた。

大学での最終講義

昨日、上智大学で最終講義を行った。1998年から19年間、カトリックの大学でタイ語を教えたことは、私の人生ノートの中でかなりのページを占めることとなった。上智大学でタイ語を教えるきっかけとなったのは、東南アジア研究の泰斗である石井米雄先生(故人)から、「私の跡を引き継いでください」と、直接、指名されたからだ。
 私はこの19年間、健康第一を掲げて、真面目に四ツ谷へ通った。明るく、楽しく、そして、全身全霊を込めて、教室の隅々にまで響きわたるほどの大きな声で授業をした。昨日、授業の最後の5分間を使って、学生に感想を聞いたところ、いろいろな感想を言ってくれた。
 ①スペイン語やポルトガル語が頭の中にいっぱい有って、タイ語がなかなか入って来なかったが、今は、タイ語が同じくらいの位置を占めて、タイ語の音が出て来るようになった。
 ②少女時代にバンコクで6年間住んでいたM子さんは、タイ語の文法が分かったことが嬉しい。
 ③欧米の言語しか知らなかった自分が、タイ語を学んだことで、アジアの世界に開眼した。
 私は70歳。だから定年である。さあ、新しい世界に飛翔だ!