マスターズ開幕

マスターズが開幕した。美しいオーガスタに魅せられること40年。今年は第81回大会。そのうちの半分はテレビ中継で観ていることになる。タイガーの大活躍の時が何と言っても一番印象的だ。もちろん、日本人選手への応援は毎年のこと。
 中嶋常幸氏の解説がとてもいい。わかりやすい。経験に基づいているから安心して聞いていられる。だらだらとしゃべるのではなくて、めりはりが効いたしゃべりをするから好きだ。
 初日は強風。松山、池田、谷原の3日本人選手は苦戦。2日目に期待したい。
 中嶋氏の助言:「流れを良くしよう!」

詩人 大岡信氏

詩人の大岡信氏が、昨日、逝去された。私は彼の署名入りの本を持っている。それは、『世紀の変り目にしやがみこんで』(思潮社 2001年)という本だ。第一章の最初の詩のタイトルは「FRAGMENTS」。その冒頭の詩を引用すると…..

 アナログ時計の秒針にうちまたがり
 同じ場所を飽きることなく回っている人。
 デジタル時計の数字の階段を
 あへぎあへぎジャンプしつづけてる人。
 「時」はかれらの外側で いつも
 豊かに溢れつづけてゐるのに。
 —この人びと かれらは
 わたしだ。

ゼンマイ(蕨)の芽

先日のお茶の稽古の時、先生が一本の帯を生徒に見せた。それはおたいこの部分にゼンマイ(蕨)の芽が絵柄として入っている帯であった。
 風呂敷の唐草模様は、長寿、延命、子孫繁栄という意味を持つが、ゼンマイの芽も同じく目出度い柄だそうだ。
 「どなたか余裕が有る方、この帯、要りませんか?」と茶道講師が言った時、私はすかさず手を挙げた。理由は、ゼンマイの芽が、タイ数字の「๑」に見えたからである。
๑ =1。 1はすべての始まりだ。「和の帯にタイ数字の柄」と思えば、誰も知らない遊び心が生じて楽しい。こういう形における「日本とタイの折衷」をこれからも見つけよう。

発音が上手な駅員さん

 昨日、即刻の仕事が入って来たので、大急ぎで浅草まで向かったが、乗換え地点である上野の地下鉄の改札で勢い余ってスイカが反応しないまま通り抜けてしまった。したがって、案の定、銀座線浅草駅の改札口でひっかかった。
 「駅員がいるところへ行ってください」という表示が出たので、すかさず駅員がいる窓口まで行った。
 ところが、欧米人がその駅員に道を尋ねているところであった。早く終わってほしいなあという思いがつのる一方、その駅員の英語についつい聞きほれてしまった。英語の発音がものすごくきれいであったからだ。
 思わず、「さすがは浅草だ」と感心した。彼はどのようにして英語を学んだのであろうか? 落ち着いて話す態度も実にすばらしかった。

東京、桜満開

昨日、東京の桜が満開になったと発表された。私は学習院大学の正門前の桜を写真におさめ、海外在住の友人や元生徒達に送信した。
 3月29日からピカピカ先生のご両親が来日されている。お父様が大の桜好きなので、毎年この時期に来日することに決めておられるが、今年はベストタイムだ。お母様は紅葉の時期にも来たいようだが、それが叶わなくて残念そう。
 来週に入ると、知り合いのタイ人が続々とやって来ることになっている。4月下旬頃、弘前のホテルの予約を頼まれているが、もうすでに満室。さて、どうするか。
 有名な所ではなくて、人があまり行かないところに咲いている桜を見るほうが個性的でいいと思うが、大部分の外国人観光客は観光地ばかりを目指して来るから、ホテルの予約に四苦八苦する。

JR30周年

昨日、JRが30周年を迎えたというニュースを見た。駅構内にもそれを知らせる掲示が有ったのですでに知ってはいたが、30年という数字にしばし思いを馳せた。何と短かかったことか…..。
 私が東京に来たのは1965年。その時は「国電」と呼ばれていた。ラッシュ時の酷さから、「酷電」とも揶揄されていた。「国電」の後、一時は「E電」という名称が使われたが定着しなかった。
 中央線の初乗りは1965年(昭和40年)当時、10円。現在は133円。したがって、13.3倍に値上げされていることになる。当時の初任給は2万円位だったから、現在に換算すると、26万6千円の初任給が出て当然。しかし、現実は否。
 JRの運賃は高いと外国人は言う。私もそう思う。もっと安くならないものか。豪華な客車に乗る気は全くない。普通車でいい。人間観察にはローカル線のほうが断然面白い。
 いずれにせよ、私の場合、新宿や池袋のターミナル駅の連絡通路をいまだに走り抜けする毎日である。

活気あふれる高田馬場駅周辺

今日から4月。高田馬場に春がやって来た。これから1ヶ月間は早稲田大学生の新入生コンパで高田馬場駅周辺はにぎやかになる。若者の息吹の中を歩くと、とても気持ちがいい。若さのおすそわけをもらって、自分も明るくなれる。
 さらには日本語の勉強に来ている外国人留学生が高田馬場駅周辺にいっぱい。彼らの勉強したいという意欲は実にうらやましい。
 泰日文化倶楽部が入っているビルの中の一室に、最近、ミャンマー留学生のための相談室が開設された。したがって、ミャンマーの人々とエレベーターでよく会うようになった。
 新年度、新学期を迎えるたびに人の移動があるが、勉強意欲にあふれる進取の人々が高田馬場を席巻することは大いに歓迎する。

年度末における自省

月並みな言い方ではあるが、今年も1月、2月、3月があっというまに過ぎた。今日3月31日は年度末の最後の日。明日から新年度が始まる。
 あえて自分に問うてみようではないか。この3ヶ月間で果たしてタイ語の学力はどのくらい向上したであろうか?
 長く勉強していると、新鮮味が欠けてきて、自分の学習態度に甘さが生じる。そのことを他人から指摘されるのはいやなものだから、自分で自分を制するしかない。
 いずれにせよ、3ヶ月単位で自省を繰り返すようにすると、自分の学力がわかり、半年、1年後に結果がついてくること間違いなし。

寮友、逝く

昨晩、東京女子大学東寮時代の友人のお通夜に参列した。「悲しい訃報です」というメールが同じく寮友である一人から入ったのは私が箱根に着いた時。ショックであった。2年前にも寮友が天国に召されているので、もうそんな年齢かと……。
 故人は徳島県出身で大きな体格をしていたが、2年前に30年ぶりで会った彼女はスリムになっていた。昨年末、彼女から喪中葉書が来たので、電話をかけて10分ほど話したが、学生時代からの話し方そのもので、明るく、かつ、理路整然としていたのに….。
 お通夜には愛媛県、香川県、岡山県、岩手県、山形県出身の寮友が参列した。特に私は同じ四国出身だから、彼女には親近感が有る。今日は告別式。私は寮の委員長をしていたので、参列できない地方在住の寮友達に代わって、最後の最後まで彼女を見送るつもりである。

箱根一泊旅行(復路)

箱根一泊旅行は私の「古稀と大学退職祝い」という名目で兄一家が企画してくれたものだが、大変に思い出深きものとなった。
 復路は急ぐ旅でもないので、ロマンスカーには乗らないで箱根湯本から新松田までは各駅、そして新松田から新宿までは快速急行で帰って来た。各駅に乗っている時、欧米人観光客達が大声で落ち着かなさそうにしゃべっていた。そして、ついに私に向かって、「英語、話せますか?」と尋ねて来た。彼らは新宿までの行き方がわからなかったようなので、私は新松田で急行に乗り換えるよう教えてあげた。彼らはイスラエルから来た3組の60代夫婦であった。
 その後、1時間30分、1組の夫婦と新宿までずっと英語でしゃべった。話した内容は、1)ご主人は今年の9月に引退する銀行マン。2)空軍勤務であった奥さんは当時、実に可愛かったこと。3)これまで百万回以上、奥さんに愛してると言ったこと。4)初めての日本旅行で、日本人が礼儀正しいこと、等々を話してくれた。
 だが、最後にこう言われた。「日本の若者達、どうして英語が話せないの?」