昨日、我が家でホームパーティーを開催した。お客様は泰日文化倶楽部の生徒さん2名。お盆休みで日本人の多くが旅行に出て行く中、居残り組の我々としては、大いに食べ、大いに笑い、そして、大いに語り合うことができて、パーティーは大成功!
二人の生徒さんの御両親の年齢を伺うと、私と2ヶ月違い、あるいは1歳年下であった。とすると、私にとって彼らは息子も同然。一人は厄年を見事に乗り切り、いよいよ人生後半に向かう。もう一人はつい先日、40歳の大台に乗ったと聞いていたので、赤飯を用意した。
40歳の彼は、授業中、タイの仏教や風俗習慣のことを知りたがる。しかし、彼の質問に答えていれば90分の授業はあっというまに過ぎてしまう。他の生徒にも迷惑だ。
そこで、我が家に招き、日頃からの質問に対して懇切丁寧に答えて上げようと思った次第。だが、結果は大いに食べ、大いに笑い、そして、とりとめもないことを大いに語り合っただけであった。しかし、私も含めて、日頃のストレスを解消することができ、ホームパーティーは大成功であった。
サンスクリット・パーリ語系統の数字
サンスクリットやパーリ語系統の数字は、タイ語では文語的表現に使われることが多い。あるいは造語の中に組み込まれているので覚えるしかない。一番よく目にするのは、軍隊や警察の階級を表わしたり、仏教界や大学の学位に使われる「เอก โท ตรี จัตวา」であろう。もちろん声調符号の呼称にも使われる。
以下にかかげる単語の意味を言いなさい。
(一)ร้อยเอก พันเอก พลเอก ปริญญาเอก ไม้เอก
(二)ร้อยโท พันโท พลโท ปริญญาโท ไม้โท
(三)ร้อยตรี พันตรี พลตรี ปริญญาตรี ไม้ตรี รัตนตรัย
(四)ร้อยจัตวา พันจัตวา พลจัตวา ไม้จัตวา จัตุรัส
(五)เบญจรงค์ เบญจศีล เบญจเพส เบญจมาศ
(六)ฉัฐ ฉัฐมะ ฉัฏฐมะ
(七)สัปดาห์ สัตตเขา สัตมวาร สัตโลหะ สัตบริภัณฑ์
(八)อัฐมะ อัฐบริขาร อัฏฐังค์ อัฏฐังสะ อัฏฐังคิกมรรค
(九)นพรัตน์ นวทวาร
(十)ทศวรรษ ทศกรีฑา ทศพล ทศกัณฐ์
(百)ศตวรรษ ศตบาท
九年面壁
今日は8月9日。そこで、「九」に関する話題を書こう。
1)日本語を習いたてのタイ人は、「9日」を「きゅうにち」という。「ここのか」と自然に言えるようになるには日本人との会話が必要。
2)「9歳」を「ここのつ」と称するのはもう昔風になりつつある。最近の小学生は「きゅうさい」と元気よく答える。三歳の子も「みっちゅ」ではなくて、「さんしゃい」というし……。
3)我々は「九九」を習った。タイ人は「12x12」まで習っている。
4)長崎県の西海国立公園に「九十九島(くじゅうくしま)」に行ってみたい。
5)目白の菓子処で「九十九餅(つくももち)」を製造販売している。何故、「つくも」と読むのか、その理由をネットで調べると、「つつという単語は古語で、欠けるという意味。もは、百のこと。九十九は百から一つ足りない。だから、つつも。しかし、つつもが、いつしか訛ってしまい、つくもになった」と説明してあった。日本語の語源はややこしい。
6)世の中めまぐるしくて、もうついて行けない。達磨大師に見倣って、九年面壁(または面壁九年)!
短音記号を用いた単語
8月に入って早くも7日。タイ語を習っている生徒さんは、「7 เจ็ด ジェット」の発音を「痛い เจ็บ ジェップ」と発音しがちだ。要注意。
ところで、今日は、「短音記号 ็ ไม้ไต่คู้ マイタイクー」を使った単語を以下に列挙する。意味を書きなさい。
1)動詞=เก็บ เข็ด เช็ด เด็ด เป็น เย็บ เสร็จ เห็น เหน็บ
2)形容詞=แข็ง เจ็บ เต็ม เท็จ เผ็ด เย็น เร็ว เล็ก เหม็น
3)名詞=เข็ม เคล็ด เช็ค เด็ก เบ็ด เป็ด เม็ด เมล็ด เล็บ เหล็ก ลูกเห็บ เอ็น
4)数詞=เจ็ด เอ็ด
今日から夏休みです!
泰日文化倶楽部は、今日8月8日から21日まで夏休みです。2018年の授業は3分の2が終了。無事に終えたことに安堵しております。
タイ人講師はすでに半分がタイへ帰られました。日本の異常気象を知って、親御さんが「タイへ帰ってらっしゃい。タイのほうが涼しいから」と娘さんを呼び寄せたケースもあります。
先週、我が家にチュラ大生が2名、ホームステイしました。スマホを操り、自分達でどこへでも遊びに行ってました。彼らは小さい時から何度も東京に来ているとのこと。「これまでにどこへ行ったことがあるの?」と尋ねると、「母のショッピングについて歩いただけ」との答え。
しかし、今回はすべてが自由時間。一人はバンコクにある民間の日本語学校へ通っているので、日本語を頑張ってしゃべろうとしていました。
泰日文化倶楽部の生徒の皆さんも今月はたくさんタイへ。すでにバンコクしているH子さんからは、恩師であるミカン先生(去年9月まで在職)と食事している写真を送って来られました。皆さん、タイではタイ語をたくさん話してください!
短音記号を用いた単語
8月に入って早くも7日。タイ語を習っている生徒さんは、「7 เจ็ด ジェット」の発音を「痛い เจ็บ ジェップ」と発音しがちだ。要注意。
ところで、今日は、「短音記号 ็ ไม้ไต่คู้ マイタイクー」を使った単語を以下に列挙する。意味を書きなさい。
1)動詞=เก็บ เข็ด เช็ด เด็ด เป็น เย็บ เสร็จ เห็น เหน็บ
2)形容詞=แข็ง เจ็บ เต็ม เท็จ เผ็ด เย็น เร็ว เล็ก เหม็น
3)名詞=เข็ม เคล็ด เช็ค เด็ก เบ็ด เป็ด เม็ด เมล็ด เล็บ เหล็ก ลูกเห็บ เอ็น
4)数詞=เจ็ด เอ็ด
広島 73年
今日8月6日は皆の目が広島に注目される。今年は原爆投下から73年。毎年、テレビ中継を見ながら、8時15分、合掌し黙祷している。
もう73年とは! 香川県在住の親戚の者から、昔、「広島が光ったのを見た」と聞かされても、戦後生まれの私にはその言葉が信じられなかった。広島と香川県は離れている。何故、見えたか? しかし、そのくらいピカドンは強烈な光を放ったのであろう。
大学に入った時、広島から来た女性と一緒に寮生活を送った。英米文学科でも一緒だった。彼女はそれとなく私に言った。「被爆者手帳を持っています」、と。あとで分かったことだが、彼女は一浪していたので、私よりも1年先輩であった。彼女は寮の中で孤立していた。非常に内面的で、ガラスのボディースーツを着ているようであった。
彼女を理解することが私にはできなかった。他の寮生も然り。彼女は寮を出た。彼女のその後のことは杳としてわからない。会いたい気持ちはやまやまだが、距離を置き、彼女のことを時々思い出すだけにとどめよう。
短音記号を用いた単語
8月に入って早くも7日。タイ語を習っている生徒さんは、「7 เจ็ด ジェット」の発音を「痛い เจ็บ ジェップ」と発音しがちだ。要注意。
ところで、今日は、「短音記号 ็ ไม้ไต่คู้ マイタイクー」を使った単語を以下に列挙する。意味を書きなさい。
1)動詞=เก็บ เข็ด เช็ด เด็ด เป็น เย็บ เสร็จ เห็น เหน็บ
2)形容詞=แข็ง เจ็บ เต็ม เท็จ เผ็ด เย็น เร็ว เล็ก เหม็น
3)名詞=เข็ม เคล็ด เช็ค เด็ก เบ็ด เป็ด เม็ด เมล็ด เล็บ เหล็ก ลูกเห็บ เอ็น
4)数詞=เจ็ด เอ็ด
同音の漢字をタイ語に訳しなさい。
日本語には同音(音読み・訓読み)で読む漢字があまりにも多い。ただし、声調ではなくて、アクセント(高低)はあるので、文脈からはその違いがほぼ分かる。以下に列挙する単語をタイ語で書きなさい。
1)風-風邪2)波-並み3)海-膿4)川-皮5)道-未知6)田-他 7)原-腹 8)岸-騎士9)地-血10)洗濯ー選択
次は、3つ以上の出題である。
11)麺ー面ー綿
12)恋ー鯉ー濃いー来い
13)十ー住ー重ー銃ー獣
14)南ー男ー難ー軟ー何
15)頭ー東ー島ー刀ー糖ー桃ー党ー棟ー盗ー当ー投ー等
このような言葉遊びはいくらでもつくれるはず。毎日、少しずつノートに書き出し、タイ語の語彙力を増やそう!
私のドクター
先月、猛暑続きの日に、見覚えのあるお医者さんがテレビの取材に応じていた。
「塩分、塩分と言いますが、塩分の摂り過ぎはいけません。普通にしていればいいのです」
それだけを聞けば、なんて冷たい言い方をする医者かと勘違いされるかもしれない。表情も硬かった。
しかし、そのお医者さんは、私が去年10月に1ヶ月ばかり骨折で入院していた救急病院のドクターである。彼は口数が少ないタイプだが、誰にでも優しい。私の入院許可を出してくださったのも彼。ギプスを巻いたり、カットしてくださったのも彼。退院する時、「もう転ばないでね」と心をこめて言ってくださった。だから、私はその言葉をいつも思い出し、注意深く階段を降りている。
私は比較的、都内を歩いているほうだから、テレビのマイクを持った人が寄って来ることがある。しかし、すべてお断り。緊張した顔は画面を通して誤解されて見られるからだ。そして、自分の意見を述べても、編集されればおしまい。
テレビでは人はわからない。望ましいのは、直接会って、相手の言葉を直に聞くこと。それに限る。