バンコク散策(4)

 初日の昼の外出は4時間にとどめて、午後2時半に一旦ホテルに戻った。思ったほど暑くもないバンコクなのに、非常に疲れた。午後5時まで爆睡する。
 午後6時、ホテルからアソーク駅に向かって歩く。閉鎖されたアソークの交差点。なんだかバンコクの血流が止まってしまった感じだ。アソーク駅からトンロー駅へ。トンローのソイ12にあるレストラン「桜や」へ向かう。この店は、泰日文化倶楽部の元生徒がマネージャーをやっている。つい最近、オープンしたばかりなのでお祝いに行くという目的が有った。
 のんびり歩いていると、いずれ着くだろうと思っていたが、トンロー通りはきわめて長い。果物売りのおばちゃんに、「ソイ12はあとどのくらい?」と尋ねると、「歩いて行くのは無理、無理。バイク・タクシーで行きなさい」と言われた。午後7時にその店で、上智大学で教えた元学生と会食をすることになっていたので、だんだんあわて始めた。バンコクでは一度もバイク・タクシーに乗ったことがないが、「よし、乗ろう」と決めて、バイクのおっちゃんの腰に手をまわしてしっかりつかむ。
 夕方のラッシュ時だから車が多い。その車の中を縫うようにして奇数側から偶数側へと右折する際には、さすがにひやひや。対抗車線の車は止まってくれても、バイクは止まってくれない。衝突したらおしまいだ。バイク代は20バーツ。かくして、会食時間の10分前に「桜や」に到着。泰日文化倶楽部の元生徒さんに開店のお祝いを述べた。

バンコク散策(3)

 洋服の注文が終わると、一気に空腹を覚えた。洋裁店のマダムが息子をイタリアへ留学させ、隣りでイタリア料理店をやらせているが、まだ一度も食べたことがないので、ランチはイタリア料理を食べることにした。タイ料理ではなくて、イタリア料理? 我ながら変だとは思ったが、イタリア料理のことを、日本人は「イタ飯」という。反対から読めば、「タイ飯」になるから、まあ、よしとしよう。
 食後、シャングリラ・ホテル周辺を歩く。ローカルなタイ食堂でおいしそうに食事をしているタイ人達。安くてうらやましい。
 サパーンタークシン駅近くの船着場までやって来た。飲み物や果物を売っている屋台の光景はいつもと全く変わらない。チャオプラヤ河沿いはおだやかそのもの。政治の混迷も、タイ人の喜怒哀楽もすべて飲み込んで、河は流れる。
 ふと、面白い光景が目にとまった。野良犬だ。口にくわえタバコをして眠っている。野良犬という言葉はそもそもイメージが悪い。その野良犬がタバコをくわえて夢の中とは! 誰かのいたずらであることは間違いないが、こうでもして、バンコクのシャット・ダウン状況を笑うしかない。
 

バンコク散策(2)

 ナナ駅でBTS一日乗車券(130バーツ)を買い、サーラーデェーン駅へ行く。タニヤの入口辺りで5人の日本人男性を見た。1人は現地で働いている人、あとの4人はバンコクに初めて出張してきたばかりの人達という様子が彼らの会話や風体からすぐに分かった。スリウォンのジム・トンプソンでコットン生地を買い、20年来、利用している洋裁店へ行くため、再びBTSに乗り、サパーンタークシン駅で降りた。チャルンクルン通りの賑わいはいつも通り。
 洋裁店に着くと、店主のマダムとサブのマネージャーが歓迎してくれる。1年8ヶ月ぶりだ。タイ・シルクの洋服を2着、そして、持ち込みのコットン生地でブラウスを3枚、オーダーする。仕立て代が行くたびに値上げしているのが痛い。しかし、「先生にだけは特別なんですよ」と、マダムは口癖のように必ず言う。
 2日後の夕方、洋服を取りに行った時、マダムは不在であった。マネージャーと1時間半、話して分かったことは、マダムが2年前から体調を壊しており、以前ほど働けなくなってしまったということ。そういえば、前回もそうだったが、今回も目がうつろであった。マダムとしてのオーラがすっかり消えていた。ただし、10人のお針子には、2週間毎に給料計算をして、渡しているとのこと。お針子達はいつもお金が無いらしく、1ヶ月はとても待てないそうだ。18歳でお針子になったマダムは、28歳で自分の店を持ち、54歳の今、店を大きく拡張している。病気は長年の疲れからきたものであろう。
 だが、マネージャーは言った。「でもね、マダムは反政府グループに寄付をし、デモにも参加したのよ」

バンコク散策(1)

 2月24日午前4時40分、スワンナプーム空港に到着。タラップを降りて、滑走路の端で待っているバスに乗り換える時、「ああ、タイに来た!」という気持ちが押し寄せてくる。この気持ちは40数年来、全く変わらない。
 スクムビット通りに面したソフィテル・ホテルに午前7時半、チェックイン。窓のカーテンを開けると、眼下に小さな公園。緑がさわやかであった。バンコクはいつ行っても新しいビルが誕生しており、見せかけの発展は、いまだ留まるところをしらない。次回、来た時には、果たして緑の部分はどのくらい残っていることやら…..。
 公園の横にバンコク銀行を見つけた。午前10時半、そこへお金を下ろしに行く。銀行の受付係は女性ではなくて、小柄でなよなよとした若いお兄ちゃんであった。引き下ろす紙に、私の通帳を見ながら私の名前をそのお兄ちゃんが書いてくれる。それって余計なお世話なんだけどなあ….??
 片やカウンターの中に居並ぶ銀行員はすべてが威風堂々とした女性達ばかり。日本では全く見かけることのない光景に、つい可笑しさが込み上げて来た。
 

タイへ行きます!

 今日の深夜から、タイへ行きます。帰国は3月1日(土曜日)の夜です。
 マイレージが切れるので行くだけですが、行くからには教科書を購入してきたいと思っております。私がいつも行く教科書会社は民主記念塔の前に在りますので、果たして安全なのか否かはわかりません。だめであれば、チュラロンコーン大学の書店を行ってみるつもりです。
 私とタイとの出会いは1969年。今年で45年になります。当時は軍事政権でした。その後、民主政権が誕生した時にはタイの将来に明るさを覚えたものですが、今のタイの混迷には憂慮しています。旅行した方達のみやげ話を聞いていると、お祭り騒ぎだと言います。しかし、それは表面的な現象にすぎないでしょう。
 タイの混迷はまだまだ続くと思います。その混迷の空気を吸って、タイの今後について、いろいろと考えて来るつもりです。
 

新しい講師の愛称はヒカル

 ミミ先生がお辞めになったので、かねてより紹介されていたカノックポーンさんを代わりの先生として採用することにした。面接をすると、バンコクで日本人に個人的に教えたことはあるとのことであった。
 彼女の愛称はヒカル。お母さんが日本人の歌手が好きで、その歌手の名前からつけたそうだ。生徒の皆さんが、一体、どの歌手だろうと詮索した。結局、西田ひかるに落ち着いたが、果たして合っているかどうかはわからない。
 ヒカルさんをヒカル先生に仕立て上げるには、少し特訓をする必要が有る。昨晩、彼女に教室に来てもらい、彼女には発音だけ、そして、私は授業展開をはかって90分を無事に終えた。
 授業中、ヒカル先生に向かって、生徒の発音で気になった点を尋ねると、「ng と nの発音がはっきりしていません」と答えた。
 そこで、私は、ngや nで終わる単語や文章を生徒に言わせた。例えば、「2時間、教える」、「タイ料理をごちそうする」、等々。そして、末子音がnばかりで終わる文章も言わせた。「日本人が日本料理店で日本料理を食べました」
 すると、生徒の一人が言った。「よく、そのように、すかさず例題が浮かびますね」 
 私は自信を持って答えた。「40年以上もタイ語を教えていますから」

フランス語のリエゾン(連音)

 そろそろ冬季オリンピックも終わりに近づいた。時差の関係で夜中のTV中継はきつかったが、女子フィギュア・スケートが終わったので、もう普通の日常生活に戻りたいものだ。
 今朝は、フランス語の振替え授業が有った。10時半までに着くように急いで教室へ行く。今日の授業も内容が盛りだくさんであったが、単語はなかなか覚えられない。忘れてばかり。だが、タイ語の文字から離れて、アルファベット文字を読むと新鮮な気分になれ、刺激的だ。
 ヒアリングの勉強で、26歳のフランス女性が、5日後にシカゴへ向かい、そこでアメリカ人にフランス語を教える予定であるという内容を聴かされた。その中で、「USAに於いて」という単語が出てきたが、フランス語では、aux Etats Unis と表記し、それを連音化して読むと、「オゼタジュニ」となることを教わった。「USAで」が、オゼタジュニ とは! 聞いても想像がつかない。慣れるしかないようだ。
 いずれにせよ、リエゾン(連音化)だらけのフランス語は発音もヒアリングも難しい。

サラリーマン川柳

 サラリーマン川柳(主催:第一生命保険株式会社)のことはかなり前から知っていたが、昨日、2013年度のベスト10を選ぶ候補作品が発表されていた。その中に、「妻不機嫌 お米と味噌汁 お・か・ず・な・し」というのが、ネットのニュースの見出しとして取り上げられていた。これは、東京オリンピック招致運動の時のあの「お・も・て・な・し」を連想させるものであることは明らかだ。
 それにしても、俳句(五七五)や短歌(五七五七七)で、日本人は昔から<五音節>に親しんでいるので、いくらでも単語が作れる。余裕なし、時間なし、気力なし、そして、お金なし、等々。
 「~なし」シリーズで句を詠めば、なんだかじわじわっと哀感を覚えるが、それを川柳で面白おかしく持って行くのが、これまたいい。
 サラリーマンはサラリーマンで、主婦は主婦なりに、そして、老人は老人として、深い深い哀感に包まれている。哀感を詠んでいるうちに、人間や万物に対して「哀歓」の域にまで達すると、人生の妙味が濃くなり、生きている実感が持てる。

女性の映画監督

 高田馬場2丁目に在る古本屋が閉店するらしく、本の大バーゲン・セールをやっている。日曜日の午後の授業が終わり、散歩がてら歩いて帰宅する時の途中にある店だが、いつ行っても人が入っていない。ああ、ついに廃業か…..。
 この店にはなかなかいい本が置いてある。そこで、『映画をつくった女たち』(松本侑壬子著・シネマハウス刊 1996年)を購入。副題として、「女性監督の100年」と書かれてあったので、興味を覚えた。映画史の中で、女性の初代映画監督は、フランス女性で、1896年であったことが<まえがき>に書かれてあった。従って、著者は100年を機にこの本を書いたとのこと。
 日本女性が数人ほど紹介されているが、私が知っているのは、左幸子と田中絹代だ。現役では河瀬直美が大いに活躍している。私の出身大学の先輩が映画を撮っていたことも初めて知った。
 ところで、私は田中絹代の講演会に行ったことがあるので、直接、彼女のオーラに接した。そして、感じたことは、「凛」。小柄な体格なのに、きりりとした態度。彼女の履歴を読んで、67歳で他界したことを知り、考えるところがあった。

タイ僧侶の法話

 今月、タイへ行かれた生徒さんからタイのカレンダーを頂いた。それには、ランパーン県在住の高僧(หลวงพ่อเกษม เขมโก)の法話が書かれてあった。とてもいい内容なので、生徒の皆さんの勉強のために、以下にご紹介させていただきたい。
 ป่าเป็นธรรมชาติ ธรรมชาติไม่ได้บอก ให้เราคิดเพ้อเจ้อ ฟุ้งซ่าน แต่มนุษย์ ไม่ได้ทำตามหน้าที่ ตามธรรมชาติ คิดเก่ง คิดชอบ คิดไร้สาระ คิดเอาแต่ใจตัวไม่รู้จบ มนุษย์ทำเกินหน้าที่ของตัว ไม่ทำตามธรรมชาติ เมื่อใจมนุษย์ถือมั่น (ธรรมชาติ) ความทุกข์ก็ไม่มี มีแต่ประโยชน์
 宿題にします。翻訳して来てください。