神田川日記(5)

回診に来られた若い医師に私は尋ねた。「ひびが入っていたそうですね」
 すると、医師は答えた。「ひび イコール 骨折です」
 それを聞いて、私は観念した。ギプスを巻いた老医師は、治療室でレントゲン画像を見ながら私に言ったのを思い出した。「あなたは以前にも骨折していますね。ほら、ここに古傷が残っていますよ」
 そう言われると、思い当たるふしが有った。50年前に大学でバレーボールの上に乗って転倒したことを。その時は捻挫だと思い、病院へは行かなかった。3ヶ月ほど難儀したが、自力で頑張った。だが、それが良くなかったわけである。なにごともプロにお願いすべきであることを猛省した。

神田川日記(4)

私の隣りのベッドには87歳の女性が寝ていた。タンスを動かそうとして腰を痛めたそうだ。窓際に寝ていた女性はボランティア活動をしている女性であったが、私と入れ替わるようにしてすぐに転院して行かれた。すると、その日のうちに88歳のおばあちゃんが入って来られた。このおばあちゃんの家と私の家は近かった。彼女は高田1丁目、そして、私は高田2丁目。すると、白菜の葉っぱで滑った女性(79歳)が、「あら、私は高田3丁目よ」と言った。それから後、彼女は毎日のように、「高田1丁目、2丁目、3丁目」と連呼するようになった。
 この病院は神田川沿いにある。救急車が次から次にやって来て24時間、にぎやかだ。特に週末の夜中は急性アルコール症状になった若者達が運ばれて来る。だが彼らはすぐに退院して行く。長くいるのは高齢者ばかり。新宿区、豊島区、文京区の方達がお世話になっているようだ。

神田川日記(3)

病院での初めての夜は訳が分からず過ぎた。悔やんでも仕方がない。骨がくっつくまで全治1ヶ月半。松葉杖ではなくて杖で帰れるまで病院でお世話になるしかなかった。
 6時起床。カーテンを開けると、反対側のベッドにいる女性と目が合った。先輩に対して丁寧に挨拶をした。その方はスーパーでの買物を終えて、ビニール袋に入れた商品を持っていざ帰ろうとした時に、誰かが捨てて行った白菜の外側のきたない葉っぱの上に足を乗せた途端、滑って転倒し、背骨を圧迫骨折したそうである。
 自己紹介がてら私がタイ語の先生であることを言うと、野菜のおばあちゃんはすかさず応じた。「私の息子はタイに20年も住んでいたからタイ語がペラペラよ。今度、息子が来た時、タイ語をしゃべってごらんよ」
 彼女の言い方は、まるで自分の息子に私のタイ語力をチェックさせるからと言うふうにも受け取れた。

神田川日記(2)

車椅子に乗って連れて行かれた病室は6人部屋。カーテンがひかれて見えないようになっていたのでどんな患者さんがいるのか最初はわからなかった。病院は1950年(昭和25年)に創立された病院。相当に古い。壁の色が戦後の変遷を物語っていた。野戦病院に入れられた感がした。だがベッドに寝ている方達は若き兵士ではなくて80代の老女ばかり……。それは看護師やヘルパーさんの会話から想像がついた。私もついに老女軍団に参入したかと思うと悲しかった。
入院生活に必要なものは病院で購入したりレンタルしたりしたので不自由しなかったが、それでも足りないものを列挙して、病院近くに住んでおられる生徒のY子さんにラインでお願いすると、夕方、気持ちよく届けてくださった。あとで分かったことではあるが、彼女のお祖父様が何と40年前に同じく骨折でこの病院に入院していたということを、母親から聞かされたと教えてくださった。奇遇だ。

神田川日記(1)

10月17日午後1時前、私は教室が入っているビルの入り口の階段を降りた途端、足が滑り、早稲田通りに向かって正座をしていた。通行人達が「大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」と駆け寄って来てくれたが、捻挫だと思い、「大丈夫です」と答えた。そして、その瞬間、「ああ、23日からのバンコク行きはもうだめだ」と諦めざるを得なかった。
 病院へ行ってレントゲンを撮ってもらうため、ビルの管理員さんの手を借りながらタクシーに乗り込み、神田川沿いにある病院へ行った。そこは通訳の仕事で行ったことがある病院である。
 レントゲンを見た医師は「足首にひびが入っています」と言ったあと、私の右足にすかさずギプスを巻いた。松葉杖を渡されたが使い方が分からず帰るに帰れない。買物や食事のことを考えると、入院の選択肢しかなかった。生まれて初めての入院生活。血圧が一気に190に上がった。かくして、11月18日の退院まで、33日間の奇妙で不自由な生活に突入した。

偶然の不思議

一昨日、泰日文化倶楽部のHPの「お問い合わせ欄」を通じて、KK氏という方からお問い合わせが有った。目下、バンコクにロングステイをしておられる元生徒さんと同じ名前なのでびっくりした。ただし、ファーストネームの漢字は違う。
 元生徒さんは月に1回、「バンコク便り」というものを送信して来られるが、偶然にも、やはりその便りが一昨日、届いた。
 ところで、クラスのことを知りたいというKK氏には、昨晩、教室までお越しいただいた。お顔を見ると、バンコクにおられるKK氏とよく似ておられるではないか。表情や首の振り方までもが似ていて、二度びっくり。
 「あのー、以前にお会いしたこと、有りませんか?」と、私はキツネに包まれたような気持ちで尋ねた。他人の空似とはいえ、不思議で不思議でならなかったから…..。

結婚式場で働く外国人

 昨日、椿山荘で挙行された元生徒さんの結婚式と披露宴に参列した。飲み物を運んで来る男性が、「ビールになさいますか? それとも、ワイン? ウーロン茶、オレンジジュースでしょうか?」というようなことを丁寧な態度と口調で言ったが、それを聞いて、日本語のアクセントが変だったので、アジアから来た男性であると思った。そう思って周囲のテーブルを見ると、やはりそのような方達を何人も見た。
 かつてタイ語を習っていた大学生が結婚式場でバイトをしていると聞いていたが、今や、アジアからの学生達に変わったのかもしれない。
 最近、コンビニで働く方達は外国人に切り替わってしまっているが、結婚式のメッカである椿山荘においてすら、人手不足の問題をかかえている…..。

受入れ準備

早朝、バンコクからライン送信が有った。来週からの私のタイ旅行をすべて企画してくださっている元タイ人講師が送って来たものであるが、いつもと違う時間帯に送って来たことに対して、「おや、なんだろう?」と思いながらラインを見た。写真は彼女が友達と一緒に王宮前広場で場所取りをしている光景であった。沿道から人がはみ出さないように、私の背丈以上の柵が張り巡らされている。15センチ間隔の隙間から儀式を見るかたちになりそうだ。喩えて言えば、上野の子パンダ(香香)が檻の中から外の様子を見ている感じ….。彼女の文面は以下の如くである。
 「ไปนอนรอข้างถนนตอนตีหนึ่งดูพิธีขบวนแห่ราชรถซึ่งจะมาตอนเจ็ดโมงเช้าค่ะ surveyไปดูไว้ให้อาจารย์จะได้ไม่พลาด
この文章はあまり難しくない。文法的な要素もたくさん含まれているから勉強になる。

勉強の工夫

私の編物の先生は、仕事部屋、リビング、そして、寝室の3ヶ所に編みかけのものを置いて、同時進行で3つの作品を編んでおられるそうである。1つだけを編んでいると、どうしても飽きがきて気分が乗らないので、飽きた時は場所を変えて違う作品を編むという工夫をしているというわけだ。
 それを聞いて、タイ語の勉強にもそういった工夫が必要だと思った。教室に通って来るだけでは上達は遅い。それに何か用事が有って休むと、勉強が2週間も空いてしまう。教室だけが勉強の場所ではない。自宅にいるのが一番長いわけだから、自宅の中を3ヶ所(ベッド、机、トイレ)に分けて、それぞれ違う教材を用意しておいて、気分を変えながら勉強してみてはどうだろう。

ラーマ9世の崩御から一年

去年の10月13日、授業から帰って来てテレビをつけた。しばらくして夜8時45分のNHKニュースが始まった。50分頃であった。ラーマ9世の崩御を知らせるテロップが流れた。「ああ、ついにその日が来た…..」と思いながら、あわててスマホで画面を撮った。
 翌日、呆然として過ごす。そして、バンコクへ行くことを決め、10月19日の飛行機を予約。21日にタイ国民に混じって、王宮に設けられた記帳場へ行き、記帳した。
 あれから一年。10月25日~26日に御葬儀が王宮前広場で行われる。元タイ人講師が王宮前広場から1キロ離れたホテルを数ヶ月前から予約してくれているので、私も参列するつもりだ。
 昨晩、彼女から電話がかかって来た。「黒い傘が必要です。靴もサンダルはだめ。ちゃんとした靴を履かなくてはなりません。25日は午前3時に起きて王宮前広場へ行きますが、翌26日までずっとそこに居続けます。先生、我慢できますか?」
 「行ってみないとわからないけど、とにかく頑張ってみます」と答えた。今から体力温存しなければ。