煤 と 埃

今朝、Eテレの俳句の番組を見ていると、「大掃除」を兼題にした句が5句ほど紹介されたが、その中に、<煤>とか<埃>という漢字が出て来た。
 <煤>という漢字を書きなさいと言われても、おそらく私は書けない。何故なら、煤(เขม่า)を見る生活からあまりにも遠ざかっているからだ。
 小学生の修学旅行は高知であった。阿讃山脈(徳島県と香川県)を抜ける時、大小あわせて108つのトンネルが有ると聞かされた。石炭列車であったから、窓を開けていると、皆、顔が煤だらけになった。
 それにしても、煤という漢字を見ると、某、謀る、触媒、という漢字が一緒に連想されてきた。イメージがあまりよろしくない。
 <埃>という漢字はそうでもない。「俗埃(ぞくあい)」とは、「俗世間の煩わしいこと」を意味するそうだが、年がら年中、つきまとわれるものだから、適宜、応戦するしかない。

旅する音楽家

今朝5時前に起きると、音楽家である元生徒さんからラインが入っていた。「ベネチアで飲んでます!ベネチアいいですよ、2回目ですが」 写真はイタリア料理とワイン、そして、ゴンドラから撮った運河と橋。
 私は返信した。「素晴らしい! 羨ましい!」
 それからテレビをつけたところ、なんと偶然なことに、BSで「世界ふれあいの旅 ベネチア」が始まった。私は彼と一緒に旅をするつもりで、その番組を丁寧に見た。
 音楽家である彼は、琴、三味線、笛の愛好家が集まる音楽集団の指揮を20年以上も担当しておられる。自らも琵琶の奏者だ。彼はいつも旅に出ている。感性を磨くためだと私は思う。
 かつて我々が同じ時期に別々にインド旅行を計画していることを知った旅行会社の友人が、我々のインド旅行を合体させた。かくして、我々は”incredible INDIA”を一緒に旅行し、彼がどうしても買いたいというタブラー(太鼓)の専門店へ行き、私が粘り強く値段の交渉にあたったのがいい思い出だ。、

北海道キロロリゾート

今夏、東京から札幌へ引越しをされた元生徒さんから、昨日、久々にラインが送られて来た。
「北海道のキロロリゾートではタイ語がたくさん聞こえてきます。このリゾートのオーナーはタイ人ですよ!」
 写真がついており、次なる宣伝文句がついていた。
“LAUNCHING JANUARY 2018 Be surrounded by amazing at Kiroro’s first ever ski-in ski-out luxury condominium development”
 この写真をバンコク在住の元タイ語講師で、北海道が好きで好きでたまらない弁護士に転送すると、彼女からすかさず返信が有った。
 「เป็นของลูกความที่เคยทำงานให้ค่ะ ตอนหลังน่าจะถูกtake over โดยคนไทยด้วยค่ะ」(訳:私が弁護した訴訟依頼人が所有していた物件であるが、その後、おそらく別のタイ人によって乗っ取られたはずである。)
 これを読んで私は驚いた。北海道で超富裕層のタイ人達がリゾート物件のオーナー争いをしているとは!

インドネシアの津波

今年の漢字が「災」に決定後、やはりそうかと思った。だがすぐに気持ちを切り換え、どうかもうあとは無事に新年を迎えたいものだと思った矢先、またしてもインドネシアで大きな津波が起きてしまった。
 テレビニュースを見ていると、「15年間かけて、こつこつお金を貯めてやっと建てた家が、5分で崩壊した」と男性の被災者は語った。女性は「これからどうしよう。仕事が無い」と将来を案じていた。その女性の顔は私に似ていた。私がそこに座り込んでいるかのようであった。
 時期が時期だから、2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震がすぐに脳裏に浮かんだ。プーケット周辺のタイ人達もたくさん犠牲になってしまった。あれから14年。またしても大被害が…..。自然は美しいが、何が起きるかわからないという点では、やはり不気味だ。

孫太郎の「南海紀聞」

私は旧い雑誌を取っておくのが好きだ。一昨日、『新潮45』(1994年4月号)を箱から取り出して読み返した。その中に、「二百年前の東南アジア紀行 ~漂流記の古典「南海紀聞」より~」に関心を覚えた。書いた方はノンフィクション作家の門田修氏である。
 門田氏は、「南海紀聞」を史料として、1764年に福島県塩屋崎の沖合で難破し、101日後、ミンダナオ島に漂着した「孫太郎」という人物を紹介している。孫太郎が無事に日本に帰還できたのは7年後。その間、奴隷として売られ、ボルネオ島やスラバヤ、ジャカルタ、パレンバン、等を経て、長崎に戻っている。
 孫太郎がすばらしいのは、見聞したこと(ボルネオ島の首狩りの風習、南海に居住する中国人たちの生活、オランダの活躍)をきちんと覚えていたことだ。「鎖国から百数十年たっていたその頃、漂流民は貴重なナマの海外情報源だった」と門田氏。孫太郎が現地の言葉に通じていたことが、彼の見聞を広めたとのは間違いない。

全国小学生バドミントン大会

昨夜、鳥取県在住の元生徒さんから、「長女が全国小学生バドミントン大会に鳥取県代表として出場するため東京に行きました。新幹線に初めて乗った次男、めちゃくちゃはしゃいでいます」とラインして来た。写真には奥さん、おばあちゃん、次男、そして、団体戦に挑む友達が写っている。
 「試合はどこで、いつ、行われるの?」と尋ねると、「八王子で、12月24日から28日まで。娘は団体戦が25日午前40分から、個人戦は27日の昼頃です」とのこと。年末に小学生の全国大会が行われること自体に、私としては驚きだ。
 元生徒さんの結婚式に行ったのがつい昨日のよう。彼は順調に昇進し、そして、お子さんは全国大会へ。彼の運動神経が娘さんに伝わったのかと思いきや、奥さんゆずりだそうだ。
 全国からの小学生の熱気を感じ取りたい。そこでこれから応援に行く。

孫太郎の「南海紀聞」

私は旧い雑誌を取っておくのが好きだ。一昨日、『新潮45』(1994年4月号)を箱から取り出して読み返した。その中に、「二百年前の東南アジア紀行 ~漂流記の古典「南海紀聞」より~」に関心を覚えた。書いた方はノンフィクション作家の門田修氏である。
 門田氏は、「南海紀聞」を史料として、1764年に福島県塩屋崎の沖合で難破し、101日後、ミンダナオ島に漂着した「孫太郎」という人物を紹介している。孫太郎が無事に日本に帰還できたのは7年後。その間、奴隷として売られ、ボルネオ島やスラバヤ、ジャカルタ、パレンバン、等を経て、長崎に戻っている。
 孫太郎がすばらしいのは、見聞したこと(ボルネオ島の首狩りの風習、南海に居住する中国人たちの生活、オランダの活躍)をきちんと覚えていたことだ。「鎖国から百数十年たっていたその頃、漂流民は貴重なナマの海外情報源だった」と門田氏。孫太郎が現地の言葉に通じていたことが、彼の見聞を広めたとのは間違いない。

西洋→アジア→日本

今年一年、怪我もせず、予定したことをてきぱきとこなし、そして、予定外のことにも迅速なる対応ができた。自分で自分をねぎらいたい。
 私は小さい頃から英語が好きだったので、大学では英文学を専攻。その関係で、意識は常に西洋に向いていた。しかし、社会人になってからは、タイとの御縁ができ、約50年間、ずっとタイ語に接して来た。
 そして還暦を過ぎてから、生け花と編物を習い出した。茶道教室に通い始めたのは3年前。したがって、着物を着る機会が増えるにつれ、着物の伝統美について学んでいる。色彩感覚がとても重要であることは、生け花も着物の世界も同じ。というわけで、今は「和」の世界に惹かれている。
 いずれにせよ、西洋、アジア、そして日本に関して学ぶことはいくらでもある。勉強は楽しい。

年末年始休暇

泰日文化倶楽部は今日から1月7日(月曜日)まで、年末年始のお休みです。生徒の皆様、どうか間違って教室にいらっしゃらないよう、お願いいたします。
 休みになると、勉強はしたくないものですね。休みは休みだから…..。
 しかし、タイに関することには何かしら触れておくよう意識しましょう。
 浅草や上野に行けばタイ語が聞こえて来ますから、是非是非。
 山手線一周するのもいいでしょう。タイ人旅行者がたくさん乗っていますよ。
 要は、いろいろなツールや機会を見つけて、タイ語と仲良くするのが一番です。
 タイ語の感覚をキープし、より磨きましょう!

今年最後の授業

今日(12月22日 冬至)、今年最後の授業を実施する。お盆休み以降の4ヶ月があったいう間に過ぎた。無事にここまで来られたことに安堵を覚える。何はともあれ、タイ人講師達と生徒達に次なる点に対して感謝あるのみである。
 1)タイ人講師が懇切丁寧に教えてくださったこと。
 2)タイ人講師達のレベルが非常に高いこと。
 3)生徒達が仲良く、楽しく勉強してくれたこと。
 4)生徒達が定着していること。
 現時点での泰日文化倶楽部は、男性の生徒数が女性の生徒数を6名ばかり上回っている。しかし、学ぶ意欲の点に於いては女性のほうが上だ。教えていて、彼女達の底力を感じ取ることができる。
 今日が最後の授業日だというのに、今日からプライベート・レッスンを希望されるビジネス・ウーマンが現れた。「新年明けてからにしましょうよ」と私が提案すると、「いえ、今日から勉強したいのです」という返事。意欲的な女性と今日、初対面だ。