昨日、練馬駅近くの喫茶店でランチをした。何気なく請求書をひっくり返すと、次なる文章が書かれてあった。
「私の生涯の願いはタッタ一人でよい この店は私にとってだいじな店ですと いって下さるお客様という名の友人をつくること」
店の人に聞くと、創業40年だそうだ。昔のなつかしい優しさに満ちている喫茶店であった。泰日文化倶楽部もそうありたい。
昨日、練馬駅近くの喫茶店でランチをした。何気なく請求書をひっくり返すと、次なる文章が書かれてあった。
「私の生涯の願いはタッタ一人でよい この店は私にとってだいじな店ですと いって下さるお客様という名の友人をつくること」
店の人に聞くと、創業40年だそうだ。昔のなつかしい優しさに満ちている喫茶店であった。泰日文化倶楽部もそうありたい。
今年はMLBや日本のプロ野球をかなり見ているが、気になるのは野球解説者の話し方だ。解説の内容に不満はないものの、彼らの発声には聞きづらいものが有る。なかでも高齢者の声には力が感じられず、もごもごしている。自然体で発話していると言えば聞こえはいいが、実況中継に於いてはもう少し発声に留意してほしいものだ。プロのアナウンサーがいなければ、とてもじゃないが聞いていられない。
泰日文化倶楽部で実施している「アジア女性のための生け花教室」に、最近、姿を見せなくなった方がいる。彼女はコーラス・グループにも参加しておられ、「歌を歌っているのが楽しい。健康にもいい」と言って、花よりも歌を優先。たしかに彼女の発声はすばらしい。盛夏は人と会うのを避けて、一人のんびりしたいものだ。だが、喉を鍛えて明瞭なる発声ができるよう、一日5分でいいからお腹から声を出そうではないか。
『อาทิตย์ลับฟ้า』(ดาไซ โอซามุ/เขียน มาลินี แก้วเนตร/แปล สำนักพิมพ์ดอกฟ้า 刊 発行年月日は不記載)の「บทที่๑ : งู」から出題する。
1.คุณแม่เปล่งเสียงร้องออกมาแผ่วๆ ขณะนั้นท่านกำลังรับประทานซุป อยู่ในห้องรับประทานอาหาร
2.ฉันคิดไปว่าคงจะมีบางสิ่งบางอย่างแปลกปลอมตกลงไปในซุปนั่น ” ผมหรือคะคุณแม่”
3.”ไม่ใช่หรอกจ้ะ ” คุณแม่ตักซุปช้อนหนึ่งใส่ปากราวกับว่าไม่มีอะไรเกิดขึ้นเมื่อเสร็จเรียบร้อย
4.ท่านก็เหลียวศีรษะไปด้านหนึ่ง ส่งสายตาจับจ้องไปยังต้นซากูระอันออกดอกสะพรั่งเต็มต้นยังเบื้องนอกหน้าต่างห้องครัว
5.และทั้งๆที่ยังเบนศีรษะเบี่ยงอยู่เช่นนั้น ท่านก็ตวัดซุปอีกหนึ่งช้อนเข้าระหว่างริมฝีปากอย่างรวดเร็ว
6.คุณแม่รับประทานด้วยท่วงท่าอันแสนจะผิดแผกไปจากมารยาทอันได้บัญญัติเอาไว้ตามนิตยสารสตรีต่างๆ กระทั่งการใช้คำว่า “ตวัด” ในกรณีของท่านนั้น ไม่ได้เป็นการเล่นสำนวนความเปรียบแต่อย่างใด
昨夜、二人のミカン先生を招待して楽しく食事をした。4年間、東京医科歯科大学で学び博士号を取得された小ミカン先生は日本語を積極的に話された。ラインも日本語である。
一方、東京の大学病院に研修に来られている大ミカン先生は、目下、日本語を習得中。だが、大学病院では英語。何故ならば、日本人スタッフ達が英語を話す機会を欲しているから。そして、どうしてもグーグル翻訳を使ってしまうものだから、日本語を話すことが無いそうだ。話さないと上手にならない。それをよく知っている彼女はとても悔しがっておられた。
7月29日、元講師で歯科医師のミカン(ส้ม)先生が教室に来訪された。前回の来訪は今年2月。真冬と真夏の年2回の来日はすごいなあと思っていたら、彼女の友人であるส้มใหญ่(大ミカン)医師までもが一緒にやって来られた。聞くところによると、ส้มใหญ่医師は目下、8ヶ月間の予定で東京の大学病院に日本政府の奨学金でレントゲン技術の研修に来られているそうだ。
それを聞いて、小ミカン(ส้มเล็ก)と自称しているミカン先生の来日理由がわかった。大ミカンに会いに来られたのだ。さっそく彼女達は墨田川の花火を見に入ったり、伊香保温泉へ行ったりして日本の夏を楽しんでおられる。彼女達は明るくてとても積極的だ。大いに刺激をもらった。
1.どんなに暑くても、3食はきちんと食べる。
2.どんなに金欠でも、趣味のお金はけずらない。
3.どんなに多忙でも、筋トレは必ずする。
4.いくら反省しても、彼は過ちを繰り返す。
5.周囲の人が反対しても、彼は自分の信念をつらぬく。
仕事で出かけると昼の休憩時間に昭和レトロな純喫茶店を探すことが多い。昨日、板橋で見つけた喫茶店は扉を開けると煙草の匂いが……。客は9割がた電子タバコを吸っている。カウンターにはマダムが一人で氷をかち割っていた。75歳位の女性だ。品が良く堂々としていた。選曲もいい。
かち割りとはなんとまあ懐かしい。注文したアイスコーヒーの中にはふぞろいな氷群。ストローで掻きまわしているだけで涼がとれた。
先日、仕事帰りに八百屋の前を通ると、早くも店頭に置いてある品物の片づけを始めていた。最後の商品がスイカ。舟形、あるいは三日月形に切られたスイカが私を呼んでいる。「いくらですか?」と八百屋の奥さんに尋ねると、「700円」と言われた。私は躊躇した。すると、店の奥にいたご主人が「尾花沢のスイカだからね。一推しだよ。絶対にうまいから」と力強く言った。奥さんも追随。
その日は私の母(故人)の117歳の誕生日。そこで決めた。よし、買おう! 帰宅後、数時間冷やした後、食べた。なるほど、スーパーで売っている一口カットのスイカとは雲泥の差であった。八百屋のご夫婦の自慢がよくわかった。彼らは扱っている商品の味をすべて知っているプロだ。
『เมื่อคุณตาคุณยายยังเด็ก』(ทิพย์วาณี สนิทวงศ์ ฯ การพิมพ์สตรีสาร )の「ล่าจระเข้」から出題する。
1.คุณยายมีคุณลุงห่างๆ อยู่คนหนึ่ง เป็นเศรษฐีใจดี คุยสนุก เด็กๆชอบฟังคุณลุงคุยเพลินจนอ้าปากบ๋อไปตามๆกัน
2.คุณลุงตกแต่งฝาบ้านด้วยเขากวาง เขี้ยวหมูป่า หัวสิงสาราสัตว์ และอาวุธต่างๆเต็มไปหมด
3.เด็กผู้ชายนั้นสนใจมากและชอบฟังคุณลุงเล่าเรื่องประวัติเกี่ยวกับอาวุธและหัวสัตว์เหล่านั้นอย่างพิสดาร
4.คุณลุงเคยล่าสัตว์มาสารพัดแล้ว แต่ยังไม่เคยล่าจระเข้เลย
5.แล้วคุณลุงก็มักจะเอาชนักออกมาอวดเด็กๆ เป็นหอกมีแง่งออกมาสองข้าง มีเชือกพันอยู่ที่ด้ามเวลาพุ่งไปแล้วปักหลัง จระเข้จะดิ้นไม่หลุดทีเดียว
タイ人がニックネームで呼び合っているのを知った日本人男性が自分もニックネームがほしいとタイ人に言った。すると、タイ人は「あなたの好きなものは何ですか?」と尋ねた。日本人男性は「カレーです」と答えた。
「タイ語でカレーはแกงกะหรี่です」とタイ人が発音すると、タイ語に関心を持っている日本人男性は「そうだ。カリーがいい」と即座に言った。しかし、タイ人は怪訝な表情を浮かべ、やがて笑い出した。二人の間にいた私も苦笑し、そして日本人に教えてあげた。「カリー(กะหรี่)にはカレーのほかに、もう一つの意味(=俗語)が有り、それは売春婦です」