具志堅用高さんのジム閉鎖

昨夜、ネットニュースで、具志堅用高さんがHP上でスポーツジムを7月31日に閉鎖することを発表したと報じた。「気力、体力ともに、これまでのように情熱を持って選手の指導に当たるには難しい年齢になったこともあり、ここが潮時と決断いたしました」と、彼はコメントしているとのこと。
 彼の年齢を見ると64歳。まだまだやれる年齢なのに……。
 私はかつてボクシング雑誌『ゴング』で、タイから送られて来るラジャダムナン・スタジアムとルンピニ・スタジアムのランキングを毎月、翻訳していたことがある。キック・ボクシングの試合が日本のテレビのゴールデンアワーに放映されていた頃の話だ。「ケイコのワンポイント・タイ語講座」というコラムも持っていた。
 当時の編集長が具志堅さんと懇意にしておられた関係で、具志堅さんがジムを開設した時のこともよく聞かされていた。まるで昨日のことのように思い出される。
 「気力・体力ともに、これまでのように情熱を持って生徒達のタイ語指導に当たるには難しい年齢になったこともあり、ここが潮時と決断しました」と、私は言わない。もう少しだけ頑張ってみよう。

「言葉を学ぶ」ということ

コロナ禍で学校教育に於ける諸問題の停滞を憂える。そこで、昨日は、『シュタイナーの治療教育』(高橋巌 角川選書 1989年)を読んだ。傍観者としては大いに頷ける点が有ったが、文科省傘下の教育においては永遠に実現が不可能であろう。
 それはさておき、この古本の中に新聞の切り抜きが入っていた。ドイツ文学者でありエッセイストでもある池内紀氏が書いた「言葉を学ぶ」(日本経済新聞 <あすへの話題> 2011.6.8)というものであった。参考までに抜粋して紹介させていただこう。
 ーー 外国文学の場合、その国に行くのは言葉を学ぶためだが、言葉は読んだり、書いたり、話したりだけにかぎらない。その土地や人や歴史や風土や習慣と密接にむすびついている。私の学んだドイツ文学だと、ドイツ語は居酒屋のビールの泡、ザウワークラウト(酢づけキャベツ)の匂いでもある。初夏のころ町の広場にワッと出まわるアスパラの白さ、日曜日の楽隊と夕映えにそまった教会の塔、そういったすべてが同時にドイツ語であって、メディアが代理する言葉とはまるでちがった色と、かたちをもっている。雑誌は手ざわり、紙とインクの匂いを味わいながら開くもの。

水曜日の生徒達

昨日、3人の生徒達にお会いした。

Aさん=小学校教師。ものすごく疲れた表情で教室に来られた。生徒達の登校が朝の部と午後の部に分かれているので、休む時間がまったくなさそうであることは話の中で想像できた。だが、彼女は象に乗るのが大好きな方なので、ランパーンの象保護センターの近況を教えてくださった。目下、閉鎖されているセンターでは、象が放し飼いにされており、象は一日中、好きなことを自由に楽しんでいるそうだ。
Bさん=写真館経営。学校関係の仕事が激減したが、その間、タイ語をしっかり勉強しておられたとのこと。
Cさん=設備会社社長。社会が動き始めたので受注している工事に専念するため、しばらく休学。残念。
Dさん=欠席。日本語教師。6月いっぱいオンラインで授業しているので、高田馬場には来ないとのこと。
Eさん=欠席。大学事務職。東京アラートが発令されたので、電車に乗ることを自粛。致し方ない。
Fさん=欠席。個人レッスンの女性。新宿で働いているので、自粛します。

高校生とタイ語

元生徒さんからお手製のマスクと長文の手紙が届いた。手芸が趣味の彼女はたくさん縫って、毎日楽しんでおられるとのこと。彼女は次なる情報を教えてくださった。以下に箇条書きにします。気が向く方はタイ語に訳してみてください。書くことは大切。何故ならば、誤字脱字、そして、語順の間違いが必ず有りますから、その気づきにもなります。

1.最近、若い子の間で、タイ語ブームが起きているのをご存知ですか?

2.タイのBL(ボーイズラブ)ドラマが、日本の高校生の間で人気なんだそ
 うです。

3.友達の高校生の娘さんもタイ語を勉強したいと言っているとのこと。

4.試しに私も見てみたところ、すっかりハマってしまいました。

5.ネットを見てみると、若い世代を中心に大人気で、タイ語を習いたいと
 いう声が溢れています。

6.タイ語のテキストも売れているみたいです。

7.泰日文化倶楽部にも、そういう若い子が習いに来ていますか?

昨日の生徒達

昨日、3人の生徒達にお会いした。

Aさん=小学校教師。ものすごく疲れた表情で教室に来られた。生徒達の登校が朝の部と午後の部に分かれているので、休む時間がまったくなさそうであることは話の中で想像できた。だが、彼女は象に乗るのが大好きな方なので、ランパーンの象保護センターの近況を教えてくださった。目下、閉鎖されているセンターでは、象が放し飼いにされており、象は一日中、好きなことを自由に楽しんでいるそうだ。
Bさん=写真館経営。学校関係の仕事が激減したが、その間、タイ語をしっかり勉強しておられたとのこと。
Cさん=設備会社社長。社会が動き始めたので受注している工事に専念するため、しばらく休学。残念。
Dさん=欠席。日本語教師。6月いっぱいオンラインで授業しているので、高田馬場には来ないとのこと。
Eさん=大学事務員。東京アラートが発令されたので、電車に乗ることを自粛。致し方ない。

今日の宿題

日本語で「わかる」という動詞は、幅広く使う。かつては漢字(分かる、解る、判る)で区別していたが、書物では「わかる」という平仮名書きが多くなった。タイ語の場合は、①内容がわかる(รู้)②情報を入手しているからわかっている(ทราบ) ③経験を通してわかっている(รู้จัก)、というように使いわけがある。
 月曜日の授業中、「過ぎる ผ่าน」と、「超える เกิน)の二つの動詞で混乱している生徒さんがおられた。そこで、次なる表現を書いてみてください。

 1.この2ヶ月間(=この過ぎ去った2ヶ月)で、体重が2キロ増えた。
 
 2.70歳を過ぎる(超えると)と、ゴルフに参加する人が減って来る。
 
 3. 私の家は建ててからもう30年以上になる。

 4. キッチンカーで売っている料理の味付けは油っぽくて甘すぎる。

3つの「感」

昨日、浅草の呉服店から「3つの感の決算セール」というDMが届いた。そして、以下の3つの文章の中に、「感」の字が大きく書かれていた。
① お店の再開に「感」激
② お客様との再会に「感」動
③ すべての人に「感」謝

 泰日文化倶楽部も昨日から授業を再開した。①教室の再開に「感」激、②生徒との再会に「感」動、③健康に「感」謝、である。
 マスクをしての授業であったから、生徒達にはタイ語の有気音、無気音、そして、末子音が聞きにくそうであった。しかしながら、すでに習った単語や表現なのだから、類推できて当然だ。
 語学には「勘」が肝心。相手が何を言いたいか、先を読んで待ち構える訓練をしよう。

今日から授業再開します!

昨日、教室へ行き、ホットカーペットを取り除き、掃除機をかけ、そして、机の配置換えをしました。これからは真ん中の白板を使います。対面ではなくて、横並びに座ってもらうことにいたしました。
 今日から授業再開です! たまたま月曜日なので、なんとなく気分が高揚しております。
 これは私の想像ですが、生徒さんの戻りは75%くらいです。諸理由から、まだまだ状況がゆるさないようです。ゆっくりと秋を待つことにいたします。
 いつも言っていることですが、語学の勉強はとても刺激になります。外国語の単語を覚えることは面白いです。実際に現地へ行くのが最良ですが、日本でいても勉強はできます。
 オンラインが流行っていますが、私は教室主義。教室での授業は、オンラインでは感得できない「臨場感」がたまりません。授業中の雑談の中に「何か」が飛び交います、それがたまりません。

一匹の蠅

4月下旬に「緊急事態宣言」が5月末まで延長されそうな気配を感じた時、一体どうやって過ごそうかと思った。しかし、その5月も終わろうとしている。終ってみれば、退屈することもなく、それなりに過ごすことができた。教室は閉鎖していたが、社会の閉鎖は有り得ないから、犯罪は相も変わらず有る。従っていつも通り通訳の仕事はしていた。
 或る日の昼休み、コンビニでパンとジュースを買って、小さな公園へ行った。2つしかないベンチにはすでに男性が座っており、食パンを鳩にやっていた。「鳩に餌を与えてはいけません」と掲示しているが、餌をやるその男性の気持ちもわかる。私は石でできた一人用のイスをみつけて座り、パンを食べた。
 ふと足元を見ると、一匹の蠅が這いつくばるようにして大地をなめている。誰かがアイスクリームをこぼした跡が有った。それを目ざとく見つけた蠅が幸せそうになめていたというわけだ。一匹の蠅の生き様に教えられるものがあった。

一匹の蠅

4月下旬に「緊急事態宣言」が5月末まで延長されそうな気配を感じた時、一体どうやって過ごそうかと思った。しかし、その1ヶ月も終わろうとしている。終ってみれば、退屈することもなく、それなりに過ごすことができた。教室は閉鎖していたが、社会の閉鎖は有り得ないから、犯罪は相も変わらず有る。従っていつも通り通訳の仕事はしていた。
 或る日の昼休み、コンビニでパンとジュースを買って、小さな公園へ行った。2つしかないベンチにはすでに男性が座っており、食パンを鳩にやっていた。「鳩に餌を与えてはいけません」と掲示しているが、餌をやるその男性の気持ちもわかる。私は石でできた一人用のイスをみつけて座り、パンを食べた。
 ふと足元を見ると、一匹の蠅が這いつくばるようにして大地をなめている。誰かがアイスクリームをこぼした跡が有った。それを目ざとく見つけた蠅が幸せそうになめていたというわけだ。一匹の蠅の生き様に教えられるものがあった。