今日は立冬。学習院大学正門にある桜の木の葉は緑と黄が半々になった。そして、たくさん落ち始めた。今から少しずつ2019年の総括を始めると、年末が楽になると思う。
ちなみに、タイ語の学力の進捗状況を自分なりに把握し、来年に備えてみてはどうだろう。
先月、泰日文化倶楽部が始まって以来、とても優秀な生徒さんが個人レッスンを受けに来たことをこのブログで書いたが、先週、第6回目にして、タイ語の構造を理解された。発音は抜群。タイ人講師達も目を丸くしてうなった。私は彼に言った。
「自習ができる学力をお持ちです。今日で卒業なさってください!」
彼は泰日文化倶楽部でわずか12時間しか勉強していない。だが、彼はギリシャ語やラテン語の素養を有し、フランス語、イタリア語、英語、中国語、広東語がわかる。語学を学ぶ迫力がすごかった。
縄文のまほろば
先月、青森の三内丸山遺跡へ行った時、「縄文のまほろば」という名前がついたお茶を試飲した。売り子であるおばさんが、「このお茶を飲めば、百歳まで長生きしますよ」と言ったからだ。アワ、ヒエ、ソバがミックスされたそのお茶から郷愁をさそう香りがしたので、買ってみることにした。
そして、朝夕めっきり冷え込んで来た昨今、そのお茶がますます美味しく感じられるようになった。毎日飲んでいれば、数分ずつ寿命がのびるかもしれない気がしてきた。
ところで、「まほろば」という単語についてネットで調べてみた。
「素晴らしい場所」、「住みやすい場所」を意味し、美しい日本の国土とそこに住む人々の心をたたえた古語です。「物事が完全であること」などの意味がある「まほ(真秀)」に場所を意味する接尾語「ら」がついて「まほら」となったものが転じて、「まほろば」や「まほらま」といった言葉になったとされています。
とても落ち着く響きをもつ言葉だ。現代の日本、そして、これからの日本は、はたして<まほろば>で有り得るか?
มือ(手)というタイ語を使った表現
昨日、「タイ語中級 火曜日10:30」のクラスで、テキストの中に、[ร่วมมือ 協力する]という表現が出て来た。そこで、มิอ(手)を使ったタイ語をいくつか列挙し、生徒達にすぐ覚えてもらった。
参考までに、以下の文章をタイ語に訳してみよう。
(1)握手する(จับมือ)かしないかは、あなたの自由だ。
(2)満場一致で、皆、盛大なる拍手をした(ตบมือ)。
(3)首里城の再建にご協力(ร่วมมือ)ください。
(4)プロ(มืออาชีพ)のサッカー選手になるにはどうすればいいですか?
(5)あなたが書いた筆跡(ลายมือ)はとても美しいですね。
(6)右手の指紋(ลายนิ้วมือ)は明瞭だが、左手のほうはぼやけている。
(7)ヒットマン(มือปืน)という職業はなくならない。
(8)あなたは携帯(มือถือ)を何年で買い替えますか?
(9)郵便局はまっすぐ行った先の左手(ซ้ายมือ)に在ります。
大阪の男性 vs 東京の男性
先日、タイ女性に会う機会が有った。彼女は関西ばかり観光しているようであった。東京に来たのは今回が初めてらしい。そこで、私は興味本位で次なる質問をぶつけてみた。タイ語に訳してみてください。
私: 「大阪の街を歩いていて、大阪の男性から受ける印象は?」
タイ女性: 「大阪の男性は体が太くて、肌が黒い」
私: 「では東京の男性は?」
タイ女性: 「女っぽいです」
私: 「日本料理は何が好きですか?」
タイ女性: 「焼肉とラーメン」
それを聞いて、関西風うどん、たこ焼き、そして、お好み焼きの話をするのはやめにした。
若いミャンマー女性
昨日の昼、山手線に乗ると、近くにいる若い女性が携帯電話で友達に電話をかけ始めた。私は彼女の一語を聞いただけで、ミャンマー人であることがわかった。何故ならば、かつて泰日文化倶楽部でミャンマー語を開講していたことがあるので、ミャンマー語が醸し出す雰囲気だけはピンとくる。
私は彼女に向かって、「電話はだめよ」という仕草をした。すると、彼女はすぐにやめた。そこで、私は高田馬場駅で下車する寸前、彼女に「ミャンマー語で、<ありがとう>というのはどういうの?」と尋ねた。理由は、彼女が素直に私の忠告を聞いてくれたから、私の気持ちを表したかったからである。
彼女はにこにこしながら、「チェーズティンバーデー」と教えてくれた。
習ったことがあるのに、使わないから忘れていた。私の発音を聞いて、彼女はにっこり。我々はミャンマー語で「タッター(=バイバイという意味)と言って、仲良く別れた。
東南アジアから来た若者には日本のルールを守ってほしい。だから、私はこれからも彼らに明るく注意していきたい。
布団干し
一昨日と昨日は好天に恵まれた。布団を干す。ただし、私の住んでいるマンションはベランダに布団を干してはいけないという決まりが有るので、外部から見えないようにして干す。庭付きの一戸建てに住んでいれば、自由に布団を干せるので、この点だけは全くもって不自由である。
いずれにせよ、太陽光線を浴びた布団は気持ちがいい。そして、何ともいえない良い香りがする。自然の恵みであると、少々、大げさに喜んでみる。鼻がつまっていればわからない。匂いがわかるということは、健康そのものであるということ。これまた感謝である。
小さな宿題:寝具に関するタイ語を10語、列挙しなさい。
心の疎開先
今日から11月。9月は暑い日が続き、10月は雨ばかり。台風や水害で被害に遭われた方達に対していかなる言葉をかけても、おそらく空々しく響くと思う。自分が本当に被害に遭ってみないと、その辛さはわかるはずもない。
だが、最近、いつなんどき、自然災害や不可抗力の事件・事故に見舞われるかもしれないという不安がつのるようになってきた。そのための準備として、「心の疎開先」を持っておきたい。したがって、旧知の人々との御縁は末永く大切にしておきたいものである。
タイ語を習っている方達にとっては、タイを疎開先にすればいい。タイはいつでも我々を受け入れてくれる。
元タイ人講師から、次なるメールが来た。訳してみてください。
ตอนนี้อยู่ที่ Novotel Siam-square ค่ะ ใช้ห้องพักฟรีก่อนหมดอายุของcredit card
โรงแรม upgrade ให้เป็นห้องexecutive แถมอาหารเช้า 2 ที่ และมี welcome drink อีกค่ะ
ยังมีอีกสองห้องเหลืออยู่ ถ้าอาจารย์ไปไทยภายในปีนี้ จองให้อาจารย์ได้ค่ะ
五百機織
先日、「五百機織」という着物を見る機会が有った。これは米沢の産で、「いおはたおり」と読むそうだ。頂いて来たパンフレットにはいろいろな説明が書かれてあったが、次なる文章を読んで、着物の奥深さをあらためて思い知った。
「五百機小紋=江戸時代、武家の裃に多く用いられた江戸小紋を表現した着尺です。経糸に約4000本の細い糸を、緯糸に独自の強撚糸を使用することにより、軽くてシワになりにくく、湿気に強い、風合いの着尺を目指しました」
経糸に4000本とは! 気の遠くなるような話である。だが、これはそのまま人生にも喩えられる。多くの事象を経ながら、そして、数限りない人々と瞬間的に行きずりあいながら、人生は流れて行く。
問題は緯糸だ。自分のやる気をどこまで織り込み、どのように個性を発揮していくか…..。そして、いかに満足の行く人生布を仕上げていくか…..。
今日の宿題
タイ語の単語で、第一音節に母音の[~ะ]を入れない単語は数限りなく有る。
例)สวัสดี(こんにちは) สบาย(元気な) สนุก(楽しい)
อร่อย(おいしい) ตลาด(市場) ถนน(道路) 等々。
2日前に、「สะกดจิต 催眠術をかける」という単語の話を書いたが、この時の動詞である「สะกด」には、第一音節に[~ะ]が入っている。
では、このように[ ~ ะ + 第二音節]を書く単語を10語列挙してみてください。
例)สะพาน(橋)
雲龍柳 と 南天
先週の土曜日、「アジア女性のための生け花教室」を実施した。私は2杯、生けた。華道講師が用意された花材は、雲龍柳とバラ、そして、南天と竜胆(リンドウ)であった。
1杯目は、雲龍柳を生けた。葉っぱが全く無い。良い枝ぶりを5~6本、まず選ぶことから始めたが、細い枝を剣山に生けて行くのは至難の業である。最近、ずっと枝物ばかりを生けているが、いくら習っても思うようにはいかない。
だが、華道講師のご指導のもと、生け終わると、まさに龍が天に昇って行くみたいに見えて、大満足。
2杯目は、南天と竜胆と白菊を生けた。南天といえば、「難を転じる」ということで、正月の花だ。だが、赤い実はついておらず、緑ゆたかな南天の葉が瑞々しかった。竜胆は漢字のイメージから言うと、まさしく竜の胆(きも)だから、とても力強い。
このところ花の名前をカタカナで書く傾向がみられるが、漢字で書いたほうが、日本人には有難味が感じられる。