昨日の朝、新宿駅の総武線上りホームに立っていると、欧米人の母娘が目にとまった。洋服の色目がとてもおしゃれであったので、フランス人であろうと勝手に思った。母の手の中には折りたたみ地図が有ったので、彼らは観光客であり、東京見物で自由行動をしているようにみえた。
ところが、ホームに有る電柱に書かれた駅名を覗き込みながら、首をかしげている。私はそばに寄って行って駅名の書かれた電柱を一緒になって見た。しかし、漢字の下にアルファベットが併記されていたので、それなら読めるはずであろうと思った。
だが、母娘は相も変わらず困った顔をしている。そこで、「どこへ行きたいのですか?」と英語で訊いてみた。すると、「Mitaka」という返事が返ってきた。「ああ、それなら、ほら、あの電車ですよ」と、反対側のホームを指さして教えてあげた。
母娘はフランス人かと思ったが、スペイン人であった。三鷹に用事とは? ジブリへ行きたかったのであろうか?
いずれにせよ、「おもてなしは言葉から」を実践し、朝から気持ち良い気分になった。
二世達の訪問
昨日、結婚や出産のためお辞めになった元生徒さん2名が、突然、教室に私を訪ねて来てくださった。Kさんは現在、鹿児島県在住だが、御主人の東京出張に合わせて、息子さん(2歳2ヶ月)を連れて一緒に上京されたそうだ。もう一人の生徒であるMさんは東京にお住まいだがしばらくお会いしていなかった。Mさんも娘さん(もうすぐ3歳)を連れて来て私に会わせてくださった。
元生徒さん達はそれぞれの幸せな家庭を築いておられるので、本当にすばらしいと思う。Kさんは鹿児島県でタイ料理を広める活動を毎月しておられ、将来がとても楽しみだ。
昨日は授業が有ったので、ほんの10分しかお会いすることができなかったが、私が感心したことは、まだ2歳や3歳そこそこの2世達が、とてもしっかりしていることであった。思わずタイ語を教えたくなった。今から語学を教えると面白いだろうなあ、とか、教えがいが有るなあ、と思った。
そこで、二人のお子さんに『タイ文字練習帳』をおみやげとして渡した。ものすごく喜んでくれたのを見て、またまた嬉しくなった。元生徒さん達が2世を連れて教室にやって来られ、「25周年おめでとうございます!」と言ってくださった時は、頑張ってやって来てよかったと思った。
バンコクの仏具店への手紙
先日、都内に在る寺院の名誉住職が泰日文化倶楽部にお見えになられたことは、このブログですでに紹介したが、依頼された手紙の翻訳が仕上がったので郵送した。
僧侶の場合、一人称である「私」は、อาตมา (アータマー)を使う。タイ映画を見ていると、早い段階で僧侶がよく登場するが、やはりこの อาตมา という言葉を何度も聞くことがある。
では、僧侶が相手に使う二人称は何という言葉を使うかというと、โยม (ヨーム)だそうである。
名誉住職は、来年、タイのお寺にお弟子さんを3名、修行に出させるので、昵懇にしている仏具店の店主に対して、僧衣(จีวร)、鉢(บาตร)、うちわ(ตาลปัตร)、そして、頭陀袋(ย่าม)を、それぞれ3名分、注文したいという旨を手紙で書いてほしいという要望であった。
普段、これらの単語を使うことは滅多にないので、翻訳しながら、タイの僧院を思い浮かべることができた。仏教用語はなかなかに神聖なものである。
何故、語学を勉強するのか?
今月末から、新しいフランス語講師をお迎えするにあたって、フランスに関する本を読んでみたくなった。料理やファッションだけの単語ではいけないと思ったからである。前の講師がアルジェリア系のフランス人であったので、『移民と現代フランス』(ミュリエル・ジョリヴェ著 集英社新書 2003年)を読んでみた。その中に、1979年にカンボジアからタイ経由でフランスに行ったカンボジア男性の言葉が印象的であった。少し、長くなるが、引用させていただく。
「フランスに着いたとき、まずフランス語を勉強しなければいけないと考えました。カトリーヌの知り合いの女性に教えてもらいました。夜遅く勉強したんですが、いまでもカンボジア語ーフランス語の辞書を思い出します。私はほとんど全頁暗記しました。言葉を学んだのは、仕事をするためでした。もしいつかフランスを離れて、アメリカや他の国へ行くとしても、私はやはり言葉を学ぶことから始めます」
タイ語を習う日本人は、趣味やボケ防止だという方達が多い。それはそれで幸せだ。だが、移民は違う。より良き仕事にありつくには、必至で言葉を勉強する。
マッサージ師のタイ語勉強
ここ最近、マッサージ師の方達が「タイ語をきちんと習いたいです」と言って、入会されるようになった。施術の仕方に関しては、バンコクに於いても日本語でも勉強できるようだが、さらに技術を磨くために、再度、訪タイする際には、タイ人の専門家から直接、習いたいという希望が強いみたいだ。
身体に関する部位も、タイ語で理解すれば、自分自身がタイのマッサージの世界に一歩一歩踏み込んでいく自信が感じられ、楽しくなるにちがいない。そして、施術に対する学びたいという意欲がますます増すこと請け合いだ。
キック・ボクシングであれ、タイ舞踊であれ、タイ料理であれ、本場で修行し、タイ人から直接、教わることは有意義なことである。そのためには、時間とお金に余裕が有れば、出発前にタイ語を学び、タイでの生活を10倍、楽しんでもらいたい。
タイの歌やドラマを見ればタイ語が上手になると思っている方達がおられるが、それらは補助的な教材であって、やはり基礎を学ぶ必要がある。教室で学ぶのには忍耐が要る。授業が面白いと思われる時も、そうではない時もあるが、ひたすら、継続あるのみである。忍耐 → タイ語、そして、タイ語 → 忍耐。
新しい日本語を造ってみました → 「ゆかゆかしい」
昨晩、生徒さんの一人からお食事のご招待があったので、とても楽しみにして出かけた。場所は神楽坂。シックでエレガントなフランス料理店であった。神楽坂は昔から知ってはいるが、年々、若返っているような気がする。商店街がこぞって頑張っているからであろう。
さて、ご招待の主旨は、泰日文化倶楽部の創立25周年のお祝いと、私の誕生日のお祝いのダブルを冠したものであった。単独で祝ってくださった生徒さんのお名前はゆかさん。
美味しいお食事と楽しい会話が3時間半も続いた。大満足の中、帰路についた私は、ふと、新しい日本語を造語してみたくなった。それは、「ゆかゆかしい」という新語である。
日本には、「古式ゆかしい」、とか、「奥ゆかしい」という言葉が有り、日本情緒たっぷりの雰囲気を醸し出してくれている。特に、「奥ゆかしい」は、日本女性に対して、控えめな、しとやかな、つつましい、しなやか、と言った意味で使われているが、英語で言えば、elegant に相当する。
私が今回、提案している造語の「ゆかゆかしい」は、先生(師)に礼節をつくす人、目立たないまま、それとなく上手に創案し、先生にサプライズを与える心根の優しい人に対して使ってみたい。
霜降(そうこう)
今日、10月23日は、24節季のうちの第18季にあたる「霜降」だそうである。「寒露」から数えて15日目。旧暦では、紅葉が終わりに近づき、露が霜に変わる頃だから、そのように言うそうである。
道理で、筋肉が硬くなって、どうにもこうにも動きが悪くなったのを感じる。動脈硬化を起こさないよう運動をして、頭から足の先まで血流を良くしないといけないなあと思う。
特に、語学を勉強している方達は、いつもよりも意識的に口の周りの筋肉を動かし、そして、横隔膜を大いに振るわせながら、タイ語を発音することをお勧めする。テキストにだけ目を落とすのではなく、タイ語講師のほうに向かってタイ語を発音し、発音矯正をしてもらってほしい。
90分の授業中、発音する時間が多いと、帰宅途中でも、授業中に習ったタイ語が思い出せるであろう。語学の勉強はとにもかくにも繰り返し発音することだ。
もしも成果が有り、タイ語力が上がれば、自分に御馳走をしよう。タイ料理でもいいが、ごくたまには、霜降りの高級和牛はいかがかな?
またタイ語を習いたい方達
習い事は1月から始めたほうが気持ちが新たになっていて非常にいいと思うのだが、我がタイ語教室の場合に限って言えば、新しい生徒はあまり来ない。おそらく避寒のため、あるいは、花粉症を避けて、タイへ行かれる方が多いからである。
では、4月はどうかと言うと、人事異動や引越し等の身辺変化に伴い、落ち着かないらしく、以前に比べると、入会する方はそれほど多くはなくなった。
第3期である7月から9月はタイへ旅行される方があまりにも多すぎて、これまた新しい生徒達を多く望むことはできない。
だが、第4期の10月から12月は違う。気温が下がってくると、日本人は精神的に引き締まってきて、何かを学ぼうという気持ちが高じるようである。この時期になると、来年が迫って来ているから、特に人生について考えるらしい。
ここ数日で、タイ語を勉強したいという方達からメールや電話をいただいた。彼らに共通して言えることは、「かつてタイ語を習ったことがあるのですが…..。また、習いたくなりました」という内容だ。泰日文化倶楽部はそういう方達を、いつでも、大いに歓迎する。
タイ人的な顔
一昨日、泰日文化倶楽部が入っているビルに事務所を構える男性から電話が有った。「少々、タイのことをおたずねしたいのですが….」
私は「電話で済むものならお答えしますよ。どうぞ、何なりとおたずねください」と、答えた。しかし、彼は電話では済まないから、どうしても会って話したいというので、時間を作ってお会いした。
話し始めて20分くらいしたところで、「あれっ、日本人ですか? タイ人だと思っていました。電話で話した時、日本語が流暢だなあと感心しました」と、彼は言った。
私の場合、その手の話は、これまでにたびたび経験しているので慣れている。
問題は、タイ語教室だから、タイ人が経営しているものという先入観念を彼が持っていたことだ。
彼はタイやミャンマーとのビジネスに興味が有るらしい。私にはビジネス・マインドはゼロだが、お役に立てるようであれば、タイのことだけは教えてあげることができる。
御会式 と 盲導犬
雑司ヶ谷の鬼子母神の御会式は10月16日から18日の3日間、行われた。同じマンションに住むご夫婦が御会式の行列に参加すると聞いたので、沿道から声援を送ろうと思って、最初(19時半)から最後(22時半)まで彼らを探した。だが、あまりにも大勢の人がいて、残念ながら見つけられなかった。
3時間の間に、今年も老若男女のすばらしい絆を目にすることができた。世話係の年寄りも立派にお役目を果たされてよかったが、何よりも若者のパワーに大いなるエネルギーをもらった。若い女性がこんなにも威勢がいいのかと、頼もしくなった。イナセナなお兄さん連中も、もちろん目の刺激になった。毎年、外国人が行列に参加しているが、今年も楽しそうに日本人に同化して、小さな太鼓を思いっ切り叩いていた。
さらに、目の不自由な人が盲導犬と共に行列に加わっているのが目にとまった。驚いたことは、盲導犬がとても立派であったことだ。鉦や太鼓や笛や、そして、黄色い声が飛び交い、ものすごい騒音が3時間も続いているのに、普段通りの任務を果たし、おとなしかったことである。大きな音に対しても、驚かない、動じないという訓練がなされているのであろう。まるで神様のお使いのように見えた。