11月9日から、「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスを新規に開講した。参加者は4名。うち3名は、体験参加である。いずれの皆さんもタイへ何度も旅行されておられる「タイ大好き人間」であるので、タイ語に対する音感が敏感で、とても教えやすかった。タイ人にとってラッキー・ナンバーである「9」の日から始めたので幸先(さいさき)がよかった。
以前にも書いたことがあるが、やはり勉強は朝のほうがいい。夜だと仕事で体が疲れているので、集中力がどうしても鈍る。それに、翌朝の勤務に際して、早く帰宅したくもある。となると、土曜日の午前中の勉強はベスト・タイムだ。次回は「タイ語入門 土曜日9:30」というクラスを是非とも募集しよう。
ところで、10月から開講した「タイ語入門 木曜日20:30」のクラスはすでに6回の授業が終わった。目下、形容詞構文の勉強に入っているが、「ああ、もう単語が覚えられない」という声を聞くようになった。その気持ち、わかる。はい、よくわかります。毎回、1課進むごとに、新しい単語が出てくるわけだから、どんどん単語を覚えていかなくてはならない。仕事で疲れていると、単語を覚えることもままならない。自分を責めるのではなくて、「ま、いいか」、「マイペンライ」の精神で、とにかく続けよう。やめないでくださいね。
「からたち日記」の歌
中学1年生になった時、モナリザのように美しい先生が国語の授業を担当してくださった。或る日、先生が「皆さん、<からたちの花>という歌を御存知ですか?」とおっしゃられた。すると、クラスで一番、剽軽者であったW君が、すかさず手を挙げて、歌い出した。「こころで好きと叫んでも 口では言わず ただあの人と~」
みんなびっくりしたが、一番驚いたのは国語の先生であった。1959年の話である。
先生は、北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「からたちの花」の唱歌(1925年)を歌ってほしかったのだ。「からたちの花が咲いている 白い白い花が咲いている からたちのとげはいたいよ~」
昨日、島倉千代子さんが亡くなった。「からたち日記」を紅白歌合戦で歌ったのが1958年12月31日であったようだから、当時としては、一番に流行していた歌なのであろう。
昨年、中学卒業50周年記念パーティーがあったので郷里に戻った。その時、W君の不慮の死が告げられた、私はすぐに「からたち日記」を歌うW君の姿が思い出された。
25年前の生徒 T氏
今日は立冬。日々は刻々と冬に向かっている。
昨日、郵便受けに第一号の喪中葉書が届いていた。どきりとする。差出人は、25年前にタイ語を習われたT氏の奥様であった。T氏が昨年11月下旬に93歳で亡くなられたことを知り、しばし感慨にふけった。何故ならば、ずっと年賀状を交わしてきたからである。本来であれば、昨年、喪中葉書を送るべきところ、奥様は四十九日まで何かとご多忙であられたのであろう。葉書の最後に「お知らせするのが遅れて申し訳ございませんでした」と書いてあった。
私はT氏の年齢を知らなかった。逆算すれば、彼は68歳の時にタイ語を習い始めたことになる。きっかけはタイ人の留学生の知り合いがいるようなことをおっしゃっておられた。背筋のピンと伸びた紳士であった。大きな声ではっきりと話をされていたのが今でも脳裏に残っている。新宿中央公園のすぐ近くに立派なマンションを建てられた時にはご自宅に招待してくださった。そして、奥様の手料理を御馳走になった。
「ワイフが恵子というんです。先生のお名前と同じなんですよ」と言うと、奥様が傍でにこにこされた。
T氏と同じ姓(同一漢字)を有する男性が2名、目下、泰日文化倶楽部で勉強しておられる。63歳と51歳。まだまだ若い。これからが本当のタイ語の勉強だ。そう思って、頑張ってほしい。
ホームドア
山手線目白駅も、いよいよ明日9日からホームドアの使用が始まる。それに際して、2ヶ月くらい前から、数人のガードマンが未使用のホームドアのそばに立って、事故が起こらないように乗客を見守っていた。ガードマン会社から派遣されて来ている方達であろうと思ったが、昨日、見かけたガードマンにはびっくりした。何故ならば、日本人でありながら、身長が2m近くあるように思われたからである。彼のように背が高ければ、ホームの端から端まで見渡せる。そこでふと思った。動物園からキリンを借りて来て、ホームを見守ってもらうのも一興ではないかと。
ところで、事故を防ぐホーム上のドアを、「ホームドア」というそうだが、調べてみると、案の定、和製英語であった。「ホーム」というと、home がすぐに思い出されるので、なんだか変だ。「ホーム」はプラットホーム(platform)の短縮形として使ってきているので、そのままそのようになったのであろう。
「f音」の発音に対して無頓着な日本人。英語では、platform screen door 、 もしくは、 automatic platform gate というそうだから、欧米人と話す時は、英語の発音に気をつけたいものである。。
健康であることは幸せなこと
10月の1ヶ月間だけ、休学していたY子さんが、昨夜の授業から復帰された。1ヶ月のブランクを感じさせるものは全く無かった。むしろ、自習に励んでおられたようだ。何故ならば、他の生徒さんよりもタイ文字が速く読めたからである。
今朝、起きてみると、M子さんから夜中にメールが入っていた。「体調をこわしていましたが、やっと快復しましたので、またタイ語の勉強に行きたいです」
それを読んで、彼女が1年半、闘病をしていたことを初めて知った。
何を為すにも、健康あってこそだ。タイ語で健康のことを「สุขภาพ スッカパープ」というが、これは「幸せである(สุข)+状態(ภาพ)」という言葉から出来上がっている。健康であれば幸せを感じる。小さな幸せを積み重ねていけば、日々の健康が保たれる。
タイ語で、品が悪い言い方として、便所(厠)のことを「สุขา スカー」とも言う。これは、出すべきものを排泄して、すっきりした気分になり、「ああ、我れ幸せなり!」という叫びの声にも似ており、言い得て妙である。語源はまさしく、「幸せ」から由来している。便秘で悩んでいる人には、この気持ちがよくわかることであろう。
太陽光線は必要なり
私が住んでいるマンションは、大規模修繕3年目点検ということで、ベランダに置いてある植物や品物はすべて部屋の中に取り込まなくてはならなくなった。そこで植木鉢を6鉢、1ヶ月前から部屋の中に置いているが、だんだん元気が無くなってきた。理由は太陽光線の不足である。やはり一日の中で、太陽からの恵みは受けるべきなのだ。
泰日文化倶楽部が使っているテキストにも、次なる文章が出てくる。 ต้องมีแสงแดดพอสมควร これを直訳すれば、「適宜なる陽射しを持つ必要がある」。意訳をすれば、「十分なる陽射しを要する」
この文章を利用して、「陽射し แสงแดด」のところを、「お金 เงิน」、「友人 เพื่อน」、「体力 กำลังกาย」、「気力 กำลังใจ」という単語に置き換えると、幅広い表現ができる。タイ人との会話で、大いに使ってみてはいかがかな?
太陽光線といえば、タイの太陽が恋しい。マンゴーやドリアンを育てるあの強烈な太陽光線。日本はこれからどんよりとした天気におちいっていくので、ああ、タイの太陽がますます恋しい。
同姓同名の生徒さん
以前にも書いたが、泰日文化倶楽部には面白い現象が続いている。それは、田中さん(仮名)という方が辞めると、すぐに別の田中さんが入会して来ることだ。山田さんが去れば、山田さんが入会し、高橋さんが辞めれば、別の高橋さんが入って来られるので、不思議、不思議。
この現象は、11月に入っても続いている。今度は同姓同名の方の入れ替わりだ。鈴木孝(仮名)さんがお辞めになったが、すぐに、鈴木敬(仮名)さんが入会された。漢字は異なるが、読み方は同じ。日本人の場合、漢字でかなり区別できるが、音声だけでは全く同じなので、なかなか厄介だ。特に海外で事故が起きると、最初のうちは当事者の名前の漢字がわからないために、ニュースではカタカナで知らされる。もしや知人ではないかと心配することが時々ある。
そういう意味では、誰も使わない特徴のある名前を子供に命名するほうがいいかもしれない。だが、そうなると、特殊過ぎて、なかなか覚えられなくなる。特に、最近のお子さんの名前には難しい漢字の組み合わせが多いので、漢字を覚えるだけでも大変だ。中年以上の方達の名前は、漢字の組み合わせが一般的なので書くのはラク。果たして、どちらがいいことやら。
「しないわけにはいかない」という日本語
昨日も台湾青年がタイ語の個人レッスンを受けに来た。彼はタイ語の勉強に対して真剣である。だから、私も彼のその真摯な態度に対して、きちんと応えている。
ところで、彼は「しないわけにはいかない、という日本語のニュアンアスがわかりません。教えてください」と言った。日本語は相当にできるので、まさか日本語の質問が出て来るとは思いもしなかった。
私は実例を挙げて教えてあげた。① しないわけにはいかない。→ 諸事情から考えて、結局はする、という意味。② おごってばかりもらっているので、今回は払わないわけにはいかない。 → 結局は払う意思がある、という意味。 ③ 義理があるので、行かないわけにはいかない。→ 積極的ではないが行く、という意味。
私はつけ加えた。「しないの<ない> と、いかないの<ない> が、2回出てきていますから、二重否定です。結局は、肯定していることになります。日本語にはそのような二重否定の表現が多いですね」
彼は、「中国語には三重否定も有りますよ」と、教えてくれた。いずれにせよ、彼は次のように吐露した。「会社の同僚に日本語の意味を尋ねても、説明がさっぱりわかりません。彼らの説明を聞けば聞くほど、ますますわからなくなるので、質問するのはもうあきらめました」
尾道在住の元生徒さん
尾道市の向島に住んでいる元生徒M子さんより、久々にメールが来た。内容は、「愛媛県の岩城島にある造船工場でタイ語通訳をすることになったので、タイ語を復習し始めたが、勉強の仕方について、何か助言をください」、というものであった。
そこで、私は『タイ語入門』(吉川敬子監修・佐々木浩士著 実業之日本社刊 2012年)を紹介した。これにはタイ人を雇用する際の表現がたくさん盛り込まれているからである。
すると、M子さんからまたメールが来た。早速、購入し、勉強し始めたようである。
とにかく、M子さんは学生時代から才媛であった。そして、行動力が抜群であった。2007年のプーケットの津波の時には、私がスポンサーになって、彼女に取材に行かせると、立派なレポートを見事に作り上げた。尾道に住んでもう3年が過ぎたが、彼女は田舎でじっとしている女性ではない。瀬戸内海に住んでも、2県(広島県と愛媛県)にまたがり、大いに活躍している。まるで昔、瀬戸内海に住んでいた人達が咸臨丸でアメリカを目指したかの如く。
マイペンライ 対 De rien
泰日文化倶楽部でフランス語講座をやっているということで、大変に珍しがられている。だが、何語でも開くつもりである、希望者がいる限り。
今週から新しいフランス語講師を招いて、ギア・チェンジをした。前の講師は留学生。日本語がめちゃくちゃに上手であった。しかし、新しい講師は落ち着きのあるマダム。我々生徒との共通語は英語だ。フランス語会話と英会話の両方を習っているようで、とてもお得感がする。
第1回目で教わった表現のうち、とても印象に残ったのが、「De rien」。タイ語のマイペンライに相当する。De rien は、ドリアンに聞こえるのでとても覚えやすい。
フランス語にアンテナが行くと、電車に乗っていても、フランス語が聞こえてくるようになった。東京は本当にいろいろな国の人が来ているんだなあと、つくづく思う。大変に刺激的である。
だから、その環境を活かして、日本人はもっと語学を勉強すればいいのに。目(教科書)で勉強するのではなくて、耳と口で勉強するほうがいい。せっかくネイティブの講師を招いているのだから、そのネイティブにぶつかっていかないと。彼らに日本語の勉強をさせてはいけない。我々生徒は大いに貪欲になるべし。