昨日、日本語をよく理解し、なおかつ、日本語の文章もかなり判読できるタイ人に会った。彼に尋ねた。「どのようにして勉強しましたか?」
「バンコクで勉強しました。勉強している時は、あまり面白いとは思いませんでした。しかし、成田に着いた途端に、日本語がスーと入ってきました」
彼は日本に住むこと、もう10年。したがって、上手に話せて、漢字も読めるのは当たり前。
だが、私はこの話を泰日文化倶楽部の生徒達に是非とも話したいと思ったので、あえて書く。
1週間に1コマ(90分)、タイ語を勉強すれば、1年に48週だから、学習時間は72時間、すなわち、わずかに3日間にしかすぎない。3年通っても、9日間。4年で12日間。こんな調子だと、10年で30日間(=1ヶ月)だけ。勉強は必ずしも面白いものではないから、持続させるには相当の忍耐が要求される。
昨日会ったタイ人はバンコクで真面目に日本語を勉強したようだ。我々もスワナプーム空港に着いた途端、「あっ、タイ語がわかる!うれしい!」という驚きを味わうために、日本でタイ語を忍耐強く勉強しておこうではないか。
6年ぶりに復学された元生徒さん
泰日文化倶楽部の今年の授業は12月22日(月曜日)までである。
昨日、「タイ語初級 水曜日13:00」のクラスに、元生徒さんである0氏が復学された。彼がおやめになられたのは確か6年前のこと。先週、見学にみえた時は、「来年から来ます」とおっしゃっておられたが、なんと、今年の授業の最終週から復帰ということになり、とても嬉しく思った。
何故ならば、何かを始めるにあたっては、少しでも早く始めるのがいいからだ。ぐずぐずしていると、半年くらい、あっというまに経ってしまう。時間が過ぎてしまうと、過ぎた時間が惜しくてたまらない。
いずれにせよ、6年間のブランクがある0氏にうかがうと、授業は十分についていけるということなので安心した。クラスの皆さんも彼を歓迎してくださっている。
この「タイ語初級 水曜日13:00」のクラスは男性ばかり。女性は入りにくいかな?
「庇う」という漢字
読書していると、「あくまで庇う」という表現が出てきた。「庇う」は、「かばう」と読む。しかし、この「庇」という漢字は、名詞であれば、「ひさし」と読む。
「庇(ひさし)」を調べると、窓の上に設置されている雨除けの部分を指しており、「軒(のき)」とは違うと説明されてあった。いずれにせよ、マンション暮らしの都会人にとっては、庇も軒も区別がつかないどころか、その言葉すら忘れられようとしている。
タイ人が編集した『日・タイ』の辞書で調べてみると、庇は、ชายคา と書かれてあった。しかし、もう一つの単語も併記されていた。ปีกหมวกด้านหน้า (帽子の前方につけられているつば)
次に、冨田竹次郎氏の『タイ日辞典』で、ชายคา を引くと、「軒、ひさし」と、訳されていた。
大学の授業は今日、出講すれば、明日から冬休み! いろいろな辞書を引き比べる遊びは意外と面白いから、退屈まぎれになる。そして、語源遊びにまで発展すれば、言葉に対する関心度が高まり、一挙両得だ。
高田馬場で頑張る沖縄の人
昨晩、教室をお貸ししている韓国語クラスの打ち上げ会があった。忘年会とは言わず、「女子打ち上げ会」と称するには訳がある。何故ならば、1年半、勉強したクラスではあるが、所定の教科書が終了したので終わり、ということになった。
だが、せっかくのコミュニティを解散するのはもったいないという声が上がり、それではは月に1回だけ勉強しましょうということに決定。
昨晩、行った店はイタリアンであったが、料理店というよりも、バーに近かった。韓国語の生徒さんはその店に3回も通って、店の様子をチェックしたそうだ。ものすごい熱の入れようである。
だが、何故、そこに決めたのか次第に分かってきた。そこのマネージャーがとても優しい男性であったからだ。
出身県を尋ねると、「沖縄です」と答えた。彼はその店を一人で切り盛りしている。「この店はいつからですか?」とさらに訊くと、「1年半前です」と彼は言った。
高田馬場の飲食関係の店は変わりまくる。是非とも彼には頑張ってもらいたい。
女性の政治家
昨日の衆議院選挙において、198名の女性が立候補し、その中で45名が当選したので、22.7%の勝率だと報じられている。
私の選挙区では5名の立候補者があったが、その中の4名が女性。経歴を見ると、いずれも皆、すばらしい学歴と実力の持ち主であった。そのため誰を選んでいいいのか難しく思われた。
午前4時まで選挙報道を見ていたが、気がついたことは、映像を通して見たベテランの女性政治家の顔つき、目つきがあまりよろしくないということである。数年、政治家をやっていると、あのような顔になるのであろうか?
親の地盤・看板・鞄を継承し当選した女性政治家達もいる。幼少時から政治の風に触れているわけだから、選挙でもなんとかうまく乗り切れる。願わくば、顔つき、目つきだけは下卑ないでほしい。
しかし、かのピカソに言わせれば、下卑た顔のほうが、はるかに面白い絵になりやすい、と。
ミックスナッツ
一昨日、そろそろ年越し用の買物を始めておこうと思い、大きめのトートバッグを持って出かけて行った。スーパーのレジ近くに「素煎りミックスナッツ」が置いてあったので、ついつい買ってしまった。
帰宅すると、さっそくナッツのふたを開けて食べた。食べたあと、容器の底を見て、ナッツの素性をチェックした。カシューナッツ(ベトナム製)、アーモンド(アメリカ製)、くるみ(アメリカ製)と書かれてあった。一番、おいしかったのはカシューナッツだった。そのカシューナッツがベトナムから来たものであることを知り、私は驚いた。
容器の中でのアメリカ対ベトナムの戦いは、ベトナムに軍配が上がった。
ナッツを食べ終わった後、ニュースを見ると、韓国で<ナッツ・リターン>という事件が大きな話題になっていることを知った。そして、昨日は、事件の当事者とその父親がマスコミの前で謝罪している映像が流された。この事件はいろいろなことを示唆していて興味深いので、もう少し詳しく知りたいと思っている。
トン先生のおばあちゃん
今年5月から泰日文化倶楽部でタイ語を教えてくださっているトン先生は、日本語のブラッシュ・アップのために日本語学校へ通っておられる。卒業は来年3月。日本滞在ビザは更に3ヶ月もらえるということで、その間、まだ行ったことがない地方を旅して、日本を知りつくしたい様子だ。
「春、母と祖母が日本に来ます」と彼は言った。
1歳の時、父親が亡くなり、母親によって育てられたことは聞いたことがあるが、おばあちゃんの存在は初めて知った。
「おばあちゃん、おいくつ?」
「85歳です」
「えっ、85歳で日本にいらっしゃるの?」と、思わず、私は大きな声で訊きかえした。
どうやら、おばあちゃんは初来日をとても楽しみにしておられるとのこと。
旅を企画すると、それだけで心がはずむ。あと4ヶ月もすれば、桜も満開だ。おばあちゃんに是非とも見てもらいたい。
中学の英語教師
以下の話は先月、NHKのニュースで見たものである。
これから東京オリンピックまでに、50歳代のベテラン英語教師が相当数、定年退職をすることになるので、今のうちに、若手の英語教師に教え方を伝授しておいたほうがいいということになり、定評の有る英語教師の授業を経験が浅い先生達に参観させることになった。埼玉県の某学校に於いてである。
ベテランの英語教師は一体、どんな教え方をするのかと思って、私も画面を食い入るように見たが、何てことはない、生徒のところに回って行って、‟Good!!”と言いながら、ノートに○を書いていた。離れて座っている生徒達は皆、白けていた。
もっと驚いたことは、ビデオに収録したこの授業をたびたび見ながら参考にしてほしいと、若手講師達に希望していることであった。
先生一人が楽しんでいてもしょうがない。生徒にとって英語の勉強が楽しいかどうかは、生徒の表情、そして、好奇心の度合いで判断できる。英語を教える以前に、生徒の関心を確かめるのが肝心だ。
小学校での英語教育
小学校での英語教育に関する是非が問われている。今朝、放送大学で東大教授が次なることを話していた。
① 外国人講師は楽しいゲームをしたがるが、それだけで終わってはならない。何を教えるかの目標を持って、指導すべきである。
② アクセント、そして、日本人が弱いr音とl音の違いをきちんと教え込まなければならない。
③ 小学校の英語教育が、中学校での英語教育のための助走で終わってはならない。
教授だから理想を述べているが、実際に授業を行う英語教師は大変だと思う。何故ならば、40人もの生徒に英語を教え込むことは無理な話であるからだ。
私は英語がとても好きな生徒だったから、小学校6年の時から高校3年まで英語塾に通った。だが、英語が嫌いな生徒がたくさんいるということを知ったのは大人になってからだ。
私の考えは、英語が嫌いな生徒には別の教科を学ばせるほうがいい、あるいは、英語の成績をつけない、ということをしたほうが、英語嫌いの日本人をつくらなくてよいと思う。
徳島県山間部の孤立
徳島県山間部に予想もしない大雪が降り、3つの村が孤立状態になったのは12月5日。山道が通過不能になった理由に関して専門家がテレビで説明していた。本来であれば間引きすべき木々が、長きに亘り放置されたままになっており、それらが雪の重みで倒れ、道をふさいだとのこと。持ち主がはっきりしないため、勝手に伐採できず困っていると、県の役人は言っている。
それを聞いて、昔の或る男性を思い出した。彼は徳島県の祖谷渓近くに住み、伐採した材木をトラックで運んで町に売りに来た。その際、私の家に泊まっていたからである。とてもさわやかで、明るい方であった。そういう男性が今でもいれば、今回のようなことにはならなかったのではないだろうか。
みんな都会に出てしまった。残されたのは老人ばかり。98歳のおばあさんが大きな家で孤独死した話を聞くと、四国の山間部は限界集落になりつつあると思わざるを得ない。
いずれにせよ、テレビのインタビューに応じる年寄達の話し方は私の慣れ親しんだ言葉なので、とてもなつかしかった。