昨日、上智大学で最終講義を行った。1998年から19年間、カトリックの大学でタイ語を教えたことは、私の人生ノートの中でかなりのページを占めることとなった。上智大学でタイ語を教えるきっかけとなったのは、東南アジア研究の泰斗である石井米雄先生(故人)から、「私の跡を引き継いでください」と、直接、指名されたからだ。
私はこの19年間、健康第一を掲げて、真面目に四ツ谷へ通った。明るく、楽しく、そして、全身全霊を込めて、教室の隅々にまで響きわたるほどの大きな声で授業をした。昨日、授業の最後の5分間を使って、学生に感想を聞いたところ、いろいろな感想を言ってくれた。
①スペイン語やポルトガル語が頭の中にいっぱい有って、タイ語がなかなか入って来なかったが、今は、タイ語が同じくらいの位置を占めて、タイ語の音が出て来るようになった。
②少女時代にバンコクで6年間住んでいたM子さんは、タイ語の文法が分かったことが嬉しい。
③欧米の言語しか知らなかった自分が、タイ語を学んだことで、アジアの世界に開眼した。
私は70歳。だから定年である。さあ、新しい世界に飛翔だ!
オレンジ色を基調とした花束
泰日文化倶楽部の近くに小さな小さな花屋さんが有る。一度、オーナー・チェンジをしたらしいが、この不景気にもめげず、とてもしぶとく奮闘している。
昨日้はミカン先生の誕生日。そこでこの花屋へ行き、オレンジ色を基調とした花束を注文。昨年の誕生日に作ってもらったピンク系統の花束の写真を見せると、「そうやって写真で残してくださっていると有難いです」と、40歳位の店主は素直に喜んだ。
出来上がった花束は、真ん中にオレンジ色(สีส้ม)のバラが3本、その他に、黄色(สีเหลือง)や白色(สีขาว)の花が周辺を固め、とても美しくまとまった。プミポン国王のシンボル・カラーである黄色、そして、喪中である白色。これが効いている!
しかし、何よりも、ミカン先生の誕生色であるオレンジ色が30歳になった先生の門出を祝福し、花すべてが輝いていた。
朗読の会
私の大学時代の元寮友の中には先輩達と一緒に「朗読の会」に参加すること数十年。主宰者が責任感の強い方だからその会は関東と関西で継続している。主宰者は哲学を専攻し、学生時代からとても思索的な顔をされていた。私は卒業後、一度もお会いしていないが、ますます引き締まった表情をしておられると思う。
「朗読の会」はとても良さそうだ。何故ならば、声に出して読むからである。そして、棒読みにするのではなくて、何度も読む訓練をして、行間に感情移入をすれば、自分自身が役者になったような気もしてくるかもしれない。
1月も後半に入り、日本全国は冷凍庫のようになってきた。外へ出かけるのが億劫であれば、一人で声に出して古典や名作を読んでみよう。そして、日本語の美しさに目覚めながら、自分磨きを心掛けてはどうだろうか。
松 & 梅
昨日、「土曜日タイ語中級クラス(14:30~16:00)」で、梅(บ๊วย)の話が出た。すると、ミカン先生がすぐに反応した。
「タイでは、梅クラス(ห้องบ๊วย)は成績が悪いビリ・クラスという意味です。一番良く出来るクラスは、キング・クラス、次がクイーン・クラス、と言います」
日本でも、かつては食事のランクを、松竹梅で表現していた。松が上で、梅は下。
今年の初釜で使われた茶杓の銘は「千年の松」。いつもすばらしい着物でお稽古に出席されるミセス・Nの御召し物も、手描きの松。しかし、梅が咲きほこる着物をお召しになって来られた方もおられて、茶席は目出度さを増した。
いずれにせよ、松(ต้นสน)、梅(บ๊วย)、牡丹(โบตั๋น)、柳(ต้นหลิว)というタイ語の単語は、中国語から由来したものである。
授業開始から1週間
泰日文化倶楽部では2017年度の授業が開始されてから昨日で1週間が経過。実に早い。おだやかな表情で教室に現れた生徒達を見て安堵した。しかし、出席者は全体の80%。皆さん、まだまだ用事がお有りなのであろう。
マイペースで授業に臨む生徒達。それはそれでいいのだが、彼らに注文したいことがある。それは今年こそはもう少しやる気を出してほしいということだ。具体的に言うと、目標値を10%~20%、上げてほしい!
目白駅のホームに立つと、スポーツ用品の会社であるデサントの広告がいつも目にとまる。現在は、大谷翔平君のダッシュする姿が大きくかかげられているが、すぐ傍に「すべての一瞬が未来になる」というコピーが光っている。
我々はスポーツ選手でもなければ、何かのプロでもない。だが、未来は有る。「未来はもう有りません」という否定的な人間になるのではなくて、自分の持ち時間を上手に上向きに持って行くのが大切。タイ語の勉強もその中の一環になれば嬉しい。
街頭募金 と 大学生
昨晩、8時30分からプライベート・レッスンが入っていたので、7時50分に自宅を出てバスで目白駅へ。バスを降りた途端、「私達は上智大学の学生です。インドの子供達にご寄付をお願いします」という声が耳に入った。目白といえば、学習院大学か日本女子大学だから、一瞬、耳を疑った。
そこで私は彼女達2人に近づいて行き、「あなた達はどちらの大学ですか?」と尋ねると、「上智大学です」というではないか。「私は上智の先生よ」と身分を明かしながら、「何故、目白で?」とさらに質問すると、「人が多いと思ったからです」と回答。
彼女達はグローバルスタディーズ学部の学生達で、春休みにインドへ行くとのこと。寒い夜空での街頭募金に私も協力して紙幣を一枚、募金箱へ。街頭募金には怪しいものが多いと聞くが、彼女達の顔は素直さに満ち満ちていた。
タイの水入れ(ขันน้ำ)
物は増やしたくないが物はたまる。そこで致し方なく近所の家具店へ行き収納ボックスを買うことになる。家具店の女性店主は私をよく覚えており、何でも家まで届けてくれるので、散歩も兼ねて、ついついその店へ行ってしまう。何故、その店に行くか。それには次なるもう一つの理由が有る。
ある日のこと、店のレジ近くに、タイ人が日常よく使っているタイの水入れ(ขันน้ำ)がいくつか並べて置いてあるのを見た私は店主に尋ねた。
「このタイの水入れ、おいくら?」
「それは売り物ではありません。新婚旅行でタイへ行った時に買ったものです」と、店主。
それを聞いて、しばしタイ談義が始まった。タイが好きな店主がタイの水入れをまるで招き猫のように大切に置いてある。その家具店は私が知る限りかなり長く営業しており、通信販売のご時世にもめげず、地元に根付いて実によくがんがっている。
さあいくなら なやみゼロ
昨日(1月10日)は「110番の日」。目白駅前にパトカーと白バイが停められていた。男の子の孫を連れたおばあちゃんが孫と並んで写真を撮っていた。その光景がほのぼのとしていたので、私も少し離れたところから、スマホでパチリ。
すると、警察官が私に近づいて来た。ドキリ。何か悪いことでも?
ところが警察官は私に小さなグッズをプレゼントしてくれた。「あなたもお孫さんを連れて、もう一度、ここにいらっしゃい」と言われているように思われた。
帰宅後、ビニールからグッズを取り出すと、それは折りたたんだトート・バッグであった。そして、それには、「犯罪被害によるこころの悩み相談 犯罪被害者ホットライン ☏03-3597(さあいくなら)-7830(なやみゼロ)」と書いてあった。
若い警察官は私を見て、悩みをかかえている女性と見たようだ。はい、悩みは有る、有る。だが、それは生徒達の発音が一向に向上しない悩み。犯罪とは関係ないから、この電話番号に電話しても埒(らち)が明かない。
気仙沼から年賀状
「お元気ですか? ようやく仮設住宅から出ることが出来ました。今度こそタイへ行きたいです」という年賀状(ส.ค.ส.)を頂いたが、お名前を見ても、一体どなたなのか思い出すことができない。女性の場合、旧姓を併記しておいてくださればわかりやすいが、それも結婚後1~2年以内。お名前の漢字から思い出せるかしらと思ったが、やはり思い出せない。困った。
いずれにせよ、年賀状には新居の写真が印刷されていた。アメリカのカントリーハウスみたいでおしゃれだ。2階のベランダからは太平洋が見渡せる。穏やかそのもの。2011年の津波が嘘のよう….。
災害(ภัยพิบัติ)が多すぎる日本。そして、復興が遅い様々な事情。そうした中から人間は謙虚に学んで行かなければならないが、なるべくであれば平穏が一番。今年も地震(แผ่นดินไหว)、台風(ไต้ฝุ่น)、火事(ไฟไหม้)、交通事故(อุบัติเหตุจราจร)に賢く対処しながら、時間を有効に使おう。
今年の歌会始の勅題「野」
昨日、目白庭園で初釜が有った。茶道講師から絵懐紙を頂いたが、それにはニ種類あり、一つは今年の干支である「酉」の絵、そして、もう一つは今年の歌会始の勅題(お題)である「野」に因んで、どこにでも見られる山野の絵であった。
「野」というお題で、果たして歌が詠めるのかしらと思ったが、「野」という漢字が入っていれば大丈夫だと聞くと一安心。それならいくらでもテーマは見つけられそうだ。
[例] 野望、野心、野性、野原、野草、野暮、野郎、野党、下野、粗野、枯野、原野、等々。
[地名] 上野、中野、野田、下野(しもつけ=栃木県、群馬県にまたがる旧国名)等々。
[名字] 野村、野々村、野口、天野、飯野、大野、今野、川野、山野…..等々。
小寒の候、思い出の土地や旧友に思いを馳せながら、「野」について考える静かな一日を持ちたい。願わくば、与謝野晶子のように情熱的な歌が……。無理、無理。