昨日、「タイ語中級 水曜日14:40」のクラスを見学していると、ボン先生が「ปรนนิบัติ」というタイ語を白板にお書きになり、「この単語はดูแล(面倒をみる)と同じです」と解説された。
この格調高い単語を久々に耳にして、しばし瞑想した。何故ならば、「つきっきりで、心をこめて、お世話をする」という意味を有しているからである。
昨日、アフガニスタンで尊い命を奪われた中村哲医師のニュースに接し、何回も繰り返される映像を見ながら、中村先生の御顔と態度はまさしく、ปรนนิบัติ(プロンニバット)の精神に満ち溢れておられると思った。
シャーダス(ハンガリー語)
昨日、代々木上原に在る古賀政男音楽博物館けやきホールへ行った。大学時代の友人の娘さんのヴァイオリン演奏を聴くためである。大学女性協会という団体が主催したもので、ピアノを演奏したのはチューリッヒ在住の若手日本人男性であった。
曲目は有名なものばかりであったから親しみやすかったが、最後の曲だけは初めて。それは、モンティ(イタリア人)が作曲した「シャーダス Czardas」という曲で、解説を読むと、次のように書いてあった。
「シャーダスとはハンガリー語で、居酒屋の、という意味を持っています。募兵制(兵士一般市民から募り、戦地へ送る)であった時代に、酒場で宴会を開いて兵士を誘い、軍隊の楽しさをアピールして勧誘したそうです。近代以降は徴兵制となったハンガリーですが…..」
これを読んで、チューリッヒ駅構内を思い出した。たくさんの傭兵が大いに盛り上がっている光景を見たことがあるからである。
若いミャンマー女性
昨日の昼、山手線に乗ると、近くにいる若い女性が携帯電話で友達に電話をかけ始めた。私は彼女の一語を聞いただけで、ミャンマー人であることがわかった。何故ならば、かつて泰日文化倶楽部でミャンマー語を開講していたことがあるので、ミャンマー語が醸し出す雰囲気だけはピンとくる。
私は彼女に向かって、「電話はだめよ」という仕草をした。すると、彼女はすぐにやめた。そこで、私は高田馬場駅で下車する寸前、彼女に「ミャンマー語で、<ありがとう>というのはどういうの?」と尋ねた。理由は、彼女が素直に私の忠告を聞いてくれたから、私の気持ちを表したかったからである。
彼女はにこにこしながら、「チェーズティンバーデー」と教えてくれた。
習ったことがあるのに、使わないから忘れていた。私の発音を聞いて、彼女はにっこり。我々はミャンマー語で「タッター(=バイバイという意味)と言って、仲良く別れた。
東南アジアから来た若者には日本のルールを守ってほしい。だから、私はこれからも彼らに明るく注意していきたい。
或るベトナム女性の話
私は茶道教室の仲間と一緒に月に2回、中華料理を食べに行くが、そこにはベトナム女性がバイトしている。現在の女性は二人目だが、働きぶりを見ていると、非常に好感が持てる。
一昨日、店長に訊いてみた。「前にいたベトナム女性、新しいところで頑張っているかしら?」
店長はすかさず答えた。「介護施設に就職できたのですが、労働環境に馴染めなくて、もう辞めたそうです。ベトナム人の恋人がいるので、二人そろってベトナムに帰るみたい」
それを聞いて、私はそのほうがいいと思った。自分の国に帰って、幸せな家庭を築くほうがいい。介護施設で働いてくれるのは日本人にとっては有難いが、想定外のことがあって気分がふさぎストレスがたまるようではよろしくない。
東京は年々、恐ろしいくらい複雑化し、ストレスの坩堝(るつぼ)となっている。緑豊かなベトナムで堅実に生きるほうが確かなる幸せが得られると思う。
バイリンガルの家庭
一昨日、ドイツ在住の御夫妻と食事をした。ご主人は毎年5月に来日しておられるが、奥様は7年ぶりのご帰国だとのこと。ご子息もついて来られていたので、話題がつきなかった。
もうドイツに住んで48年であると聞いて、気が遠くなりそうになった。当然、息子さんはドイツ生まれ。とても丁寧な日本語を話される。そこで奥様に日本語指導について尋ねたところ、次のように答えてくださった。
「家の中は日本語だけにしておりました。学校から帰って来た時、息子がドイツ語でペラペラとしゃべるのを聞いた後、それを日本語できちんと言ってごらんなさい、と言って、日本語を訓練させました」
そのようなご家庭だから、メールの文章もものすごく丁寧である。
御夫妻は毎回、JALを利用しておられるそうだが、7年ぶりに日本の若い客室乗務員に接した奥様はがっかりされたとか。CAの言葉遣いや返事の仕方があまりにも雑であると感じられたのが理由である。
今日の宿題
今から35年前、デパートでコンピューターによる運勢占いをしたことがある。その時の結果を今でも後生大事にとってあるが、久々に出して読んでみた。不思議や不思議、80%は当たっているではないか!
現在、私は晩年期に突入している。晩年の占いは以下の通りである。タイ語に訳してみてください。
経済的にも家庭的にも安泰の日々を送れます。又、立派な後継者も育ち、しかも長寿の人です。
晩年期は依然として仕事か何かで活躍して下さい。
隠居さんはもったいないですね。
タイ製のタオル
先日、目白通りでローマ法王を2回もお見かけすることができた幸運をブログで書いたが、その帰路、雑貨店の前を通った時、次なるお知らせが目に止まった。
「長い間(25年間)有難うございました。感謝の気持ちのセールです」
その店は欧米のアクセサリーや中古の洋服のほかに、ブランド品のシーツやタオルも売っており、なかなか夢のあるお店なので、数回買ったことがある。
店主の女性に閉店理由を尋ねると、「通院することが多くなりまして…..」とのこと。私は褒めてあげた。
「25年もお一人でやって来られたのはすばらしいことです!」
私はローマ法王に会えた記念に、タックピン(tackpin)を2個買った。1個は長靴下の形でクリスマス色。もう1個はフクロウで、ピンク色の水晶でできている。
さらに日本で有名なリネンの会社のタオルも買ってみた。帰宅して開けてみると、何と「タイ製」であった。
未来を切り開く包丁
結婚式に出ると引き出物としてカタログ本を頂くが、最近は葬儀に出てもやはりカタログ本が送られて来る。欲しい物が無いので品物選びに困ってしまう。
先日、堺市で造られている包丁が届いた。包丁なら場所をとらないし、何本有ってもいいだろうという思いで選んだ。
商品の説明書きに書かれた冒頭の文章が気に入った。
「包丁が贈り物に選ばれるのは、<未来を切り開く>と言う意味があるからです。包丁は結婚式のケーキ入刀など新しい門出に縁起物として使われます! 包丁を頂いた方の<未来を切り開き幸せ>を願って贈ります!」
しかし、何故、堺市なのであろう? 調べてみると、江戸時代にポルトガル人が煙草をもたらし、その煙草の葉を切るために刃物造りが始まったが、煙草の葉を切る機械が出来た後は、刃物産業へと生まれ変わったそうだ。日本人の知恵は止まることはない。
エコバッグ・シェアリング
今週届いた『野鳥 2019年12月号』(日本野鳥の会 発行)の特集は、「海洋プラスチック問題と私たちができること」である。写真を見ると、海の中で生きる動物だけではなくて、海面すれすれを飛んで餌をさがす海鳥も大迷惑をこうむっているのがよくわかる。
京都府亀岡市では、スーパーでのレジ袋有料化だけではなく、個人商店でのマイバッグ・シェアリングの取り組みが始まっていると上記の特集で紹介されていた。客がいろいろなサイズやカラフルなエコバッグを余分に持って来て、店頭に置いて行っている光景を見て、次のように思った。
タイへ旅行される生徒の皆さん、僧侶が托鉢時に使う頭陀袋(ย่าม ヤーム)を数枚買って来て、それをお土産にしよう。そして、懇意なお店が有れば、エコバッグとして使ってもらおう。雨の時はちょっと困るなあと思うならば、折りたためるビニール袋もある。しっかりしているから何回も繰り返して使える。
二束三文
正月に備えて、新しく足袋を買った。テレビドラマで有名になった埼玉県行田市の会社の足袋であった。袋の中に、「たびのサイズの由来」が書かれてあり、「一文銭は古来、日本では度量衡(長さや重さのものさし)のもととして使われておりました」という説明と共に、和同開ほう(王偏+称の右側)の古銭の絵がついており、直径24m/m 重さ3.75gとあった。例)足のサイズが22.5cmは九文半、24.0cmは十文。
現代社会において、「二束三文」という言葉はまだまだ通用する。昔、高額で買ったものでも、一回使えば、もう商品価値は落ちる。もしも売却しようものなら涙をのんで二束三文で売り飛ばすしかない。
そういう場合があまりにも多いから、要するに高額な買物は控えるにこしたことはない。