諭吉の両親

今日もまた、司馬遼太郎の『街道をゆく』のシリーズから、大分県の中津の部分を引用する。中津と言えば、福沢諭吉。下記の文章に書かれている百助とは、諭吉の父上のことである。
 百助は中津藩の大坂蔵屋敷で小吏として、「余剰米を大坂の市に出すこと、現金化すること、借金をすること、あるいは返済についての言いわけをすることなどの業務」をしていたそうだ。
 「日常、接待の酒席が多かった。新町などで大商人の番頭と酒を飲むことで、こういう宴会のことを<お振舞(おふれまい)>といった。本好きの百助は、それがいやでたまらず、上役にしばしばお役替えをしてほしいとたのんだが、ついに死にいたるまでつとめさせられた。よほど有能だったのにちがいない」
 百助さんは45歳で急死。さらに読み進めると、母親が実におおらかで、かつ独創的な女性であったかがわかった。小学校の教科書に出ていた諭吉の母のことが鮮明に思い出された。