茶の湯の力

『白河・会津の道/赤坂散歩=街道をゆく33』(司馬遼太郎 朝日文庫 1994)の中に、蒲生氏郷(がもう うじさと 1556-1595)が登場する。会津の産業奨励にとって重要人物だからだ。会津若松と命名したのもこの人。
 近江の生まれ。聡明さを見込まれて、織田信長の娘婿になった。伊勢松坂に報じられ、そこで松阪を商業の町へと発展させた。その後、秀吉から奥州行きを命じられ、会津若松で3年間、お役目を果たした。
 歴史の話を孫引きすれば切りがないが、私が言いたいことは以下の通りである。
 7年前に会津若松の城を散策した時、庭園の片隅に「麟閣」という茶室が有り、それが千利休の息子である小庵ゆかりのものであることに不思議さを覚えた。蒲生氏郷が千利休の七哲(優れた弟子)のトップであり、千利休亡き後、その息子を匿って、会津若松に連れて来ていたこと、そして、やがて頃合いを見て秀吉にお伺いを立て、許しを得た後、小庵を京に返すことができた。という流れを知って、納得。
 小庵の子孫が今日の茶道界を継いでいる。茶の湯は道楽と言えば道楽である。しかし、茶の湯の力は強い。