ケセラセラ と マイペンライ

アメリカの女優であったドリス・デイの訃報を聞いて、「ケセラセラ(Whatever Will Be, Will Be)」という)歌がすぐに頭に浮かんだ。
 この歌を初めて聞いたのは私が小学校4年生の時だ(1956年)。当時、高度経済成長期の波に乗ったはいいが、それだけに競争社会の渦に巻き込まれたわけであり、子供達にとっては未来の受験戦争が待っていた。
 時代の空気は決して明るいものではなかった。そんなところに、「ケセラセラ」の歌が流行り、「なるようになるさ」という歌詞はつかの間の解放感を与えてくれた。
 ケセラセラは完璧なるスペイン語ではないということだが、アメリカ人にとってはそれがかえって面白かったのであろう。
 競争社会に入ってしまった後にはケセラセラという言葉が奥底深く沈殿し、ひたすら社会規範に則って生きて行くしかなかった。しかし「マイペンライ精神」を見事に実践しているタイ人達の存在を知り、生きて行くことが楽になった。