完全天日塩 

昨晩、正月に郷里の高知県へ帰っていたという生徒さんから、完全天日干しの塩で造った塩キャラメルを練り込んだラスク菓子をお土産にいただいた。菓子の名前は「塩」。名前の通り、塩が効いた菓子で珍しかった。箱に入ったちらしには、次なる文面が書かれてあった。
 「雄大な太平洋に面した高知県東部田野町で、新鮮な海水のみを原料に作られる日本でも数少ない完全天日塩<田野屋塩二郎>。工程の最初から最後まで一切火力を使わず、潮風と天日のみで仕上げるため出来上がるまでに2~3ヶ月の期間と、その間、毎日一時間毎に全ての塩に手入れをするという膨大な手間もかかりますが、とてつもなく味わい深い、海そのものの塩が出来上がります」
 これぞまさしく手塩にかけた塩だ。塩という漢字は「塩梅(あんばい)」にも使われる。今年の生き方としては、「塩梅よく」を頭の片隅に入れて、心身ともに注意深く暮らそう。

子供は発音がいい

去年の暮れから1月5日まで、我が家にタイ人一家が泊まっていた。もう3回目だから、とりたてて接待はしなかった。一人息子は10歳。だから東京ディズニーランドへ行ったと思いきや、今回は行かなかったとのこと。川越や吉祥寺へ遊びに行って来たそうだ。
 息子のナット君と夜、会った時、彼が「おはようございます」と挨拶してきたので、「日本では夜は、<こんばんは>、と言うのよ」と教えてあげると、すかさず「こんばんは」とおうむ返しで真似をした。その素直さが何とも言えず可愛かった。
 大人であれば、「なぜだ?」とワンクッションが入る。外国語に関しては、つべこべ言わず、すかさず、素直に発音することが一番よろしい。そして、ひたすら単語や表現を覚えて、使ってみることに限る。
 大人の生徒さん、どうか今年は学習態度を改善させて、子どもの心で素直にタイ語を学ぼう!

初釜

昨日、初釜が有り参加した。皆さん、それぞれにお似合いの着物を着て茶会の場を盛り立てた。私は去年、仕事で八戸へ行った時に記念にと思って買った鮫小紋の着物を着た。武士の裃(かみしも)から由来しているという鮫の地模様はきりりとした気合と精神を与えてくれる。今年も頑張るぞという意欲がみなぎってきた。
 茶道講師がご用意された宝船の大棗は実に目出度いものであった。金地金が打ち込まれ、蓋の裏には銀がはられていた。これぞまさしく「金銀」なり!能登の塗師の腕前をたっぷりと堪能させていただいた。
 初釜には「花びら餅」という和菓子が供される。都電の鬼子母神駅そばに大正時代からの和菓子屋さんが有る。そこの花びら餅がこれまた実に美味であった。
 すばらしい初釜を体験し精神統一をした。今日から2018年の本格的始動だ。

高田馬場の地名の由来

『江戸東京物語 山の手編』(新潮文庫 平成14年刊)の後部には12ページからなる年譜が編まれている。最初の1行には、「948年(天暦2年)白山神社が加賀国から本郷元町に勧請される」という記述がある。目を走らせていると、同じ1ページ目の中に「1604年(慶長9年)、家康、江戸城造営を開始。日本橋を基点とする五街道の整備を開始」とあり、さらには、続けて「1636年(寛永13年)、家康の六男・忠輝の母である<高田の君>のご遊覧地が<馬場>に」という文章にはっとさせられた。
 高田馬場の地名は『忠臣蔵』の堀部安兵衛の仇討ちの場としてあまりにも有名だが、その<高田>という地名の由来が高貴な女性の名前から依拠していることを初めて知り、歴史の裏話に興味を持った。
 上記の本には、「明治43年に山手線の新宿ー目白間に高田馬場駅が開業した」ことも書かれている。江戸時代に流鏑馬をする馬場は現在の西早稲田に在ったことは事実だが、それはそうとして、「たかだばば」と読むのではなくて、何故に「高田の馬場」と称するかがわかり、胸がすっきりした。

嗅覚 と 聴覚

日本野鳥の会が発行している『Toriino トリーノ』には、いつも星野道夫氏のすばらしい写真が掲載されている。最近届いたもの(2017年Winter)には、安藤康弘氏の次なる文章が有った。
 氷点下、マイナス50度の極寒の地。 凍てつく純白の雪原に、ホッキョクギツネは身一つで生きる。その勝れた嗅覚と聴覚は、雪下の糧、レミングの 僅かな動きも見逃さない。
 語学の勉強には聴覚が大切である。しかし、動物として生きる以上、嗅覚も必要だ。ましてや極寒の大地に生きる生き物にとっては。
 正月太りと運動不足で五感が鈍ってしまっていると思う。これからの1週間で何とか鋭敏性を取り戻したいものだ。泰日文化倶楽部は今日から勉強開始である!

節目の年

毎年、何らかの節目の年が有るが、今年は明治維新から150年。NHKは大河ドラマ「西郷どん」の宣伝に躍起になっている。昨日のニュースでは小笠原諸島の返還から今年で50年だそうである。そして、泰日文化倶楽部は10月で30年!
 私の場合は、母校の東京女子大学が創立100周年ということで寄付のお願いが数年前から来ている。1918年は大正7年。浪漫多き良き時代であったことであろう。
 私は1965年に入学し寮生活を始めたが、北海道から来た学生もいれば、鹿児島から来た学生もいた。当時の大学入試は7科目の試験が有ったから、皆よく頑張った連中であった。個性も抜群。
 現代では女子大学自体が時代遅れになりつつあるが、最近読んだニュースでは、「東京女子大学の卒業生は非常に優秀で仕事ができる」と書かれてあった。判断力を養い、働く能力を有し、社会や家庭の一員として教養ある生き方をする女性が輩出し、これからの100年、200年先を継承して行くことを願う。

始動!

今日から日本列島は本格的に始動! 2018年の一年が始まった。どのような年にするのかは個人の才覚次第。自分を信じ、自分を励まして、これからの360日余りの升目を着実に塗り込んで行こう。
 まずは、外に出ることだ。そして、可能であるならば、海外へも行くことだ。「外」という漢字は、「タ+ト」から構成されているが、私には「タ+イ」に見えて仕方がない。こじつけであるのはわかっているが、タイを愛する私だから、許してもらえるであろう。
 タイと付き合っている日本人は多い。タイ旅行、タイ料理、タイでのゴルフ、これらは序の口の話だ。今年はもう少し深くタイを知ろう。それにはタイ語の学力を深めたほうがよろしい。
 泰日文化倶楽部は1月6日(土曜日)から授業を開始する。今日と明日で、これまでの復習、そして、予習をぬかりなきように!

空(から)か、空(くう)か

 昨日、大学時代の親友が上京して来たのでホテルでお茶をした。夕食を楽しむためにケーキは食べず、コーヒーだけを注文。運ばれて来たコーヒーと一緒にミルク入れもテーブルに置かれた。親友はミルクは入れないという。私は健康のためにミルクを入れる。
 ところがである。親指大の真っ白い陶器のミルク入れを持ってコーヒーにミルクを注ごうとしたところ、ミルクが入っていなかった。このようなミルク入れを見たのは初めてである。
 そこで考えた。従業員の気合が正月から入っていない。何故、中身をチェックしなかったか。どんなに小さいことであれ、点検が必要なのに…..。
 だが、こうも考えた。これを「空(から)」と見るか、それとも、「空(くう)」と見るか。小さなミルク入れも、それはそれでひとつの存在。宇宙であるかもしれない。何も入っていない小さきものから何かを教わった。
 
 

タイ語の数え歌

タイから新年向けのタイ語の数え歌が送られてきた。
๑สิบสุขภาพดี (十の桁=健康良好)
๑ร้อยความสุข (百の桁=幸福)
๑พันความสดชื่น (千の桁=さわやかさ)
๑หมื่นความสมหวัง(万の桁=誓願成就)
๑แสนพลัง(十万の桁=力)
๑ล้านความสำเร็จ(百万の桁=成功)
จงเกิดแด่ทุกท่านและครอบครัวตลอดปีตลอดไป 
最後の文章はあえて訳しません。今年最初の翻訳の宿題です!