活気あふれる高田馬場駅周辺

今日から4月。高田馬場に春がやって来た。これから1ヶ月間は早稲田大学生の新入生コンパで高田馬場駅周辺はにぎやかになる。若者の息吹の中を歩くと、とても気持ちがいい。若さのおすそわけをもらって、自分も明るくなれる。
 さらには日本語の勉強に来ている外国人留学生が高田馬場駅周辺にいっぱい。彼らの勉強したいという意欲は実にうらやましい。
 泰日文化倶楽部が入っているビルの中の一室に、最近、ミャンマー留学生のための相談室が開設された。したがって、ミャンマーの人々とエレベーターでよく会うようになった。
 新年度、新学期を迎えるたびに人の移動があるが、勉強意欲にあふれる進取の人々が高田馬場を席巻することは大いに歓迎する。

年度末における自省

月並みな言い方ではあるが、今年も1月、2月、3月があっというまに過ぎた。今日3月31日は年度末の最後の日。明日から新年度が始まる。
 あえて自分に問うてみようではないか。この3ヶ月間で果たしてタイ語の学力はどのくらい向上したであろうか?
 長く勉強していると、新鮮味が欠けてきて、自分の学習態度に甘さが生じる。そのことを他人から指摘されるのはいやなものだから、自分で自分を制するしかない。
 いずれにせよ、3ヶ月単位で自省を繰り返すようにすると、自分の学力がわかり、半年、1年後に結果がついてくること間違いなし。

寮友、逝く

昨晩、東京女子大学東寮時代の友人のお通夜に参列した。「悲しい訃報です」というメールが同じく寮友である一人から入ったのは私が箱根に着いた時。ショックであった。2年前にも寮友が天国に召されているので、もうそんな年齢かと……。
 故人は徳島県出身で大きな体格をしていたが、2年前に30年ぶりで会った彼女はスリムになっていた。昨年末、彼女から喪中葉書が来たので、電話をかけて10分ほど話したが、学生時代からの話し方そのもので、明るく、かつ、理路整然としていたのに….。
 お通夜には愛媛県、香川県、岡山県、岩手県、山形県出身の寮友が参列した。特に私は同じ四国出身だから、彼女には親近感が有る。今日は告別式。私は寮の委員長をしていたので、参列できない地方在住の寮友達に代わって、最後の最後まで彼女を見送るつもりである。

箱根一泊旅行(復路)

箱根一泊旅行は私の「古稀と大学退職祝い」という名目で兄一家が企画してくれたものだが、大変に思い出深きものとなった。
 復路は急ぐ旅でもないので、ロマンスカーには乗らないで箱根湯本から新松田までは各駅、そして新松田から新宿までは快速急行で帰って来た。各駅に乗っている時、欧米人観光客達が大声で落ち着かなさそうにしゃべっていた。そして、ついに私に向かって、「英語、話せますか?」と尋ねて来た。彼らは新宿までの行き方がわからなかったようなので、私は新松田で急行に乗り換えるよう教えてあげた。彼らはイスラエルから来た3組の60代夫婦であった。
 その後、1時間30分、1組の夫婦と新宿までずっと英語でしゃべった。話した内容は、1)ご主人は今年の9月に引退する銀行マン。2)空軍勤務であった奥さんは当時、実に可愛かったこと。3)これまで百万回以上、奥さんに愛してると言ったこと。4)初めての日本旅行で、日本人が礼儀正しいこと、等々を話してくれた。
 だが、最後にこう言われた。「日本の若者達、どうして英語が話せないの?」

箱根一泊旅行(往路)

3月27日午前11時30分、新宿からロマンスカーに乗り、箱根湯本まで行った。私が乗った車輌は外国人ばかり。私の隣りに座った女性はツアーの一人。最初、ベトナム人のグループかと思って、彼らの会話を聞いていたが、私が知っているベトナム語の単語が一向に出て来ない。そこで、隣りの女性に尋ねてみると、インドネシア人であった。
 私はかつてインドネシア語を習ったことがあるが、ほとんど覚えていない。そこで英語で会話することにした。箱根湯本までの1時間30分、たくさんのことを聞き出した。
 1)女性ばかりのツアーは、子供が同じ学校に通うママ友であること。 2)欧米系の銀行に勤務していること。3)イスラム教徒ではなくて、仏教徒であること。4)父親が中国系であること 5)初めての日本旅行で感じたことは、電車の発着が時間通りであること。6)バンコクへ遊びに行ったことがあること。
 しかし、彼女は次のように言った。「英語が話せる日本人が少ないですね」

骨休み・口休み

私は1969年4月に社会人になって以来、今日まで48年間、健康に恵まれてずっと働いて来た。45年間の節目を迎えた時、今後は仕事量を半分に減らそうと決めた。したがって、無理なことは何にもしないまま、3年があっというまに経過。まだまだ余裕はあるものの、古稀を迎えた今、世間でいうところの林住期に入ったわけであるから、それに逆らわないようにして生きて行こうと思っている。
 今日はこれから箱根へ一泊しに行く。骨休みのためである。そして、いつも激しく情熱を持って指導しているので、口休みも兼ねている。私の場合、はっきりとした物言いをするタイプであるが故、人からは誤解されることが多い。だが、教師という職種に属す人間は、褒める時は褒める、駄目なら駄目、と教室でてきぱきと言うべきだ。
 最近、スマホのアプリでタイ語を勉強することができるが、それはそれとして、タイ語教室に通って、人間対人間でタイ語を勉強してほしいと常に願っている。

稽古場の確保

昨日、有志による生け花教室(月に1回)が707号教室で開催された。生けた花材は、吉野桜、しゃが、貝母百合。とても上品な色調に仕上がった。
 稽古後、華道講師が困った顔で次なる話をされた。「横須賀教室で借りている生け花教室が大変なんです。花屋さんのビルの3階を借りているのですが、花屋さんから閉店したいので教室を貸すことがもうできませんと言われ、次なる稽古場をあたってみたのですが、そこはエレベーターが無いので重い花器を運ぶのが一苦労。さらに、小原流専用の花材を提供してくれる花屋がみつからないのです」
 それを聞きながら、稽古場を常に確保するのはなかなか大変であることがわかった。最近、至るところで閉店のお知らせを見かける。私の行きつけの近所の割烹店も3月31日で57年の営業を終える。ビルの老朽化による建てなおしが理由だ。大好きな女将は引退とのこと。

永遠の留年状態

昨日、知人に我が家に来てもらって、本の移動を手伝っていただいた。同じ部屋の中だけの移動なのに、何故、自分でできないのか。その理由は一人で運ぶのが億劫だったこと、そして、重いものを運ぶのがつらいという思いがいつしか頭に停滞してしまっているからである。
 力持ちに手伝っていただくと、30分で片付いた。ただし、これは蔵書の1割に過ぎない。「今日はこれだけ。またお願いしますね」と知人に言って、本運びは打ち切りにした。知人の顔を見ると、「早く処分したほうがいいですよ」と、言っているのがありありとわかった。
 夜、『知の仕事術』(池澤夏樹 集英社インターナショナル新書 2017年1月刊)を読むと、「出会って、ちょっと覗いて、合わないと思えば他に行く。そういうわがままな読みかたでも大事な本にはいつかは行き着く。むしろ広く浅く読むほうがたくさんの本に会えるし、浅くと思っても相性によっては深く引き込まれ、それが一生の付き合いになることもある。読書にはカリキュラムはないし卒業もない。永遠の留年状態」、という文章を見つけた。

契約の「契」

 昨日、必要が有って、「契約」という漢字を手書きで書こうとした。ところが、「喫茶」の「喫」という漢字を書いてしまった。「契約」の「契」は、<口編>だと思ったのがそもそもの誤り。書きながら、途中から変だと気づいたが、もうおそい。
 契約なんて滅多にしないから、いかにこの漢字を書いていないかがわかり反省した。
 こうなると、それ以外の漢字もだんだん自信(ความมั่นใจในตนเอง 又は ความเชื่อมั่นในตนเอง)が無くなってきた。せめて、<口編>の漢字だけでも全て書き出そうかしら…..。
 最近、不動産(อสังหาริมทรัพย์)を<負動産>と書いている広告(โฆษณา)を目にする。最初は違和感を持ったが、何度も見ていると、世の中の趨勢から次第になるほどと思うようになった。PCやスマホに入力するならば、漢字の間違いは修正できるが、手書きの間違いは白い紙を汚すだけだ。

沈丁花の香り

 沈丁花の香りがただよってからもうすでにかなりの時間が経っている。しかし、三寒四温の日々が続いているので、沈丁花は枯れることなく、白い花弁(กลีบสีขาว)をしっかりと広げ、道行く人々に優しく呼びかける。
 沈丁花が咲き始めると、シンガポールで頑張っておられる元生徒のYさんに「沈丁花が咲き始めましたよ」と、毎年、私は報告することにしている。彼女はここ数年、日本に帰国しておられないので、沈丁花が大好きな彼女に、昨日はラインで写真を送ってあげた。
 海外生活が長くなると、季節を感じさせてくれる日本の花々とおわかれだ。香りを届けることができないのが残念ではあるが、それでも情報を送らないよりはましだと思い、日本の四季(สี่ฤดู)を伝え続けている。