赤ちゃんの意識

昨日、バスに乗っていたら、パキスタン人と思われるお母さんと女の赤ちゃん(6ヶ月位)が乗り込んで来た。小さいながらも鼻筋がきりりと通っていてきれいな顔をしていた。だが、赤ちゃんは泣きっぱなし。お腹がすいているのであろう。
 そこへ、今度は日本人のお母さんが男の赤ちゃん(9ヶ月位)を連れて乗って来た。ベビーカーにさわってご機嫌の日本人の赤ちゃん。
 すると、パキスタン人の赤ちゃんが日本人の赤ちゃんをじっと見つめ始めた。そして、泣き止んだ。小さいながらも、泣いていては恥ずかしいと意識したのであろうか。
 両方の赤ちゃんは、現段階においては、「自分が何国人であるか」ということを考えてはいないと思う。<国際>という言葉は無縁である。赤ちゃんであるという共通項しかない。言葉をしゃべらない段階の赤ちゃん王国にいる彼らがうらやましくなった。

店のマネージャー

私は喫茶店に入って新聞を読むのが好きだ。昨日、読んだ記事の中に、将来はAI(人口知能)が活躍するであろうから、働く人の50%が自分で何かをやらなければならない、すなわち、自営業を始めなければならなくなるであろう、というのがあった。
 となると、何か技術を持つか商才にたけていないと生活が大変になるということか。
 「タイ語中級 月曜日18:00」の昨晩の授業の中で、<店のマネージャー ผู้จัดการร้าน>というタイ語が出て来た。ところが、生徒の発音が悪いものだから、タイ人講師は苦笑している。何故ならば、<禿げ頭のマネージャー ผู้จัดการล้าน>と聞こえるらしい。これはいつも指摘されている<r>と<l>の違いができていないということだ。
 どうにかこの点を解決したものの、タイ人講師はまた笑う。今度は<離婚したマネージャー ผู้จัดการร้าง>に聞こえるらしい。理由は末子音である<n>が、<ng>になっているからだ。<店のマネージャー>という発音がなかなかできない。このぶんだと、将来、店のマネージャーになるということ自体、無理かも……。

お雛さま

リサイクルの着物屋さんに飾ってあったお雛さまがあまりにも高貴なお顔をしていたので、許可を得て写真を撮った。そして、それを香港に帰省中の香港人留学生にラインで送ってあげた。すると、彼女から質問があった。
 「ひな祭りの飾り人形ですね! 2つだけですか?」
 「王様と王妃様です。最近は飾る場所がありませんから」、と私。
 「普通の家庭には何個あるんですか?」、また質問が返って来た。
 「現代では、2体ですね。従者の人形は省略しても大丈夫です」と、回答。
 香港人留学生は東京での就職も決まり、目下、実家で自由を満喫しておられる。バンコクにも遊びに行ったようだ。とても熱心にタイ語を習ってくださった。しかも、個人レッスンで。「私の親は勉強にはいくらでもお金を使っていいと言ってくれてます」と彼女から言われて、香港の方達の教育熱心さがびしばしと伝わって来た。

富田克也監督の新作映画

 昨日から、富田克也監督の新作映画「バンコクナイツ」がテアトル新宿でロードショーされた。脚本家である相澤氏から、教室に宣伝チラシを置かさせてほしいという要望の電話が有ったのは先月のこと。監督も脚本家もいずれも、泰日文化倶楽部で短期間、タイ語を勉強された方達なので、私はその要望を快諾した。
 チラシを見ていると、「バンコクナイツ BANGKOK NITES กลางคืนที่บางกอก」と書いてある。「あら、NITESのスペルが間違っている」と気づき、早速、相澤氏に電話をした。
 すると、彼は答えた。「間違ってはいません。そういう書き方もあるんです。特に最近は」
 それを聞いて、私には解せなかったが、なるほどそういう書き方もあるのかも?
 富田監督渾身の作品だから、是非とも見に行きたいと思っている。

新しい体制の生け花教室スタート

2007年1月から無料開講していた「アジア女性のための生け花クラス」は、当初予定していた10年が経過したので、先月惜しまれつつお開きとなった。だが、華道講師から教室を有料で借りて、新しい体制のもと、生け花クラスを存続させたいというご希望が出されたので、同意することにした。
 新しい体制とは、受講生各自が受講料を払うというものである。考えてみれば、そのほうがいいかもしれない。真剣さが増すからだ。開講日は、原則として、毎月第4土曜日とする。
 先日、クロスステッチの刺繍が大好きだという男性にお会いした。クロスステッチは女性の手芸だと思っていたら、男性でもはまる時ははまるそうである。
 狭い我が家はさておいて、自分の作品を飾ることはとてもいいことだ。生け花は季節の色合いを感じ取ることができて、気持ちがゆったりとする。

プレミアムフライデー

今日からプレミアムフライデー(Premium Friday)が始まるとのこと。今朝の経済ニュースを見ていると、午後3時以降に退社した場合、何をしたいかという項目ランキングが報じられた。
 1位:自宅で過ごす(寝る・料理を作る) 2位:食事に行く 3位:買物 4位:映画 5位:運動 6位:旅 7位:美容・理容 8位:病院へ行く 9位:アミューズメント 10位:マッサージ
 これらを見ながら、私はがっかりした。語学学校へ行って語学の勉強をするという項目が入っていなかったからだ。人それぞれだから、まあ、致し方ないか…..。
 いずれにせよ、働く個人に自由な時間ができるのはよい。だが、それは限られた業種の会社だけが可能であって、やはりそれは無理という職場が多いのが現実だ。時間の有効活用は何も金曜日の午後3時以降に限られるものではない。何をしたいかということを明確にして、日頃からの心がけが肝要!

神楽坂交差点のバス停

昨日は午後3時で仕事が終わったので、神楽坂へ遊びに行くことにした。理由は、2日前に放映されたテレビの街歩き番組で、神楽坂界隈が取り上げられたからである。
 私のお目当ての店は、与謝野晶子がよく買いに来ていたという和装のための袋物・履物・傘を扱う「助六」であった。1910年(明治43年)に創業されたそうだから、今年で107年とのこと。着物姿のご主人は凛としておられた。店内には、「撮影禁止」の貼り紙。外国人観光客も含めて、いろいろな人が店に入って来て写真を撮るのは御免こうむりたいということであろう。
 買物をしているうちに、荷物が重くなった。さて、帰りはどうしよう。神楽坂交差点まで出ると、すぐにバス停が見つかった。やれやれと思って立っていたが、私以外、誰もやって来ない。そこで時刻表を見ると、何と一日に6便しかないではないか。しかも夕方5時以降は全く無し。これだけ賑わっているというのに….。よく見ると、すぐそばに大江戸線の入り口が有った。地下鉄に乗れということか。

招き猫

今日は「猫の日」。猫を商売とする業界はテレビでコマーシャルを盛んに流している。マンションではペットが飼えない規約になっているので、私の場合、招き猫で我慢している。
 都内を歩くたびに瀬戸物屋を覗いているが、さすが招き猫とあって、店頭に飾られている。いいなあと思うものはやはり高額だ。我慢して買わない。何故ならば、20年前に買った招き猫が新しいものを見て嫉妬するからである。
 原宿の陶芸教室では、毎年、暮れになると、招き猫の形をした物体に、自分で思い思いの絵付けをする「招き猫選手権」がある。原宿とあって、若者が若者らしさの発想で鮮やかに、あるいは、可愛く絵付けしているのを見て、江戸時代の絵付けとはまるで違う発想や色づかいに面白さを発見。
 私はその焼き物教室が発行している<招き猫いろいろ>のちらしをもらって来て、冷蔵庫に貼っている。毎朝、紙の招き猫に手を合わせていると、これはこれで御利益いっぱいなので、あら不思議。

一週間に一日は蟄居

一週間に一日は絶食するという方がおられるが、私には出来ない。だが、蟄居するのは大丈夫。出来る。
 蟄居という言葉の由来は、「武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させるもの」ということのようだが、現代の使い方は、単に「家の中にひきこもっていること」。
 昨日、蟄居して家にこもった。そして、自分自身と対峙し、過去(อดีต)を振り返り、現在(ปัจจุบัน)を分析し、そして、未来(อนาคต)を見据えた。
 何故か両親のことが思い出された。私が大学を卒業して社会人になった時、父は70歳、母は62歳。それまで東京に仕送りしてくれた。当時は銀行振込などなかったから、現金書留で送られて来た。その時の封筒は今でも保存している。
 私はその時の父と同じ年齢に達した。子供に教育をつけると、きょうだい皆、四国には帰らなかった。両親の心境たるや、いかばかり….。

東京ではタイが身近になりました

昨日、友人とランチをした。場所は私の家の近くのフランス料理店。テーブルに着くやいなや、友人はタイシルクの長いスカーフが飾られているのをめざとく見つけた。そこで、私はオーナーシェフに尋ねた。「どうしてタイシルクのスカーフがあるのですか?」
 すると、シェフは答えた。「ああ、妻がタイへ旅行に行った折り、買って来たものです。タイのものだとお分かりですか?」
 私はすかさず応じた。「我々タイの関係者ですから、もちろんわかりますとも」
 食事を済ませて店を出たが、友人の荷物が重そうだったので、タクシーで池袋駅までお送りすることにした。タクシーはすぐに拾えた。そして、乗ってみて驚いた。「言葉にお困りのお客様に対応いたします」という紙を見つけたからだ。
 10ヶ国語位に対応するらしいので、タイの国旗を探すと、有りました! コールセンターにいる通訳につながる仕組みなのであろう。今や、東京のいたるところでタイを見つけることができる。