哀悼のタイ王国(44)

プミポン国王の御一家は、スイスのローザンヌでおだやかな生活を送っておられた。御母君は教育熱心な方であられたから、子供達にはフランス語の上達を第一に願われた。なかなかできないのを見て、宿題を手伝ったりしたが、それが大いに間違っていることを教師から指摘されると、家庭教師をつけて補強をはかられた。御姉君の回想によると、ある日、突然、フランス語がスーッとわかるようになられたそうである。
 プミポン国王の場合は5歳から幼稚園でフランス語に触れておられたわけだから、自然に耳に入ったものと思われる。
 こうしておだやかな日々をお過ごしの御一家に、1935年3月2日、ラーマ7世の退位宣言により、タイ政府から要請が入った。御兄君をラーマ8世にということであった。その日以来、御一家すべての肩書の格が上がり、お住まいももっと広いところに移ることになった。ローザンヌから2つ目の駅(Pully)というところで、「ヴィラ ワッタナー」と称した。
 私はそこへも行ってみたが、解体されて、もはや影も形もなかった。